熊野古道 大辺路 安居の渡し2020年05月29日

紀伊山地の霊場と参詣道は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野参詣道)が世界遺産に登録されています。

前に映画のカテゴリーで書き込みました「道」の先例である「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の最終地であるスペインのガリシア州と、熊野古道の最終地である和歌山県とは、古道の最終地としての永続的な友好関係を確立するために、両古道の「姉妹道」提携を締結しています(^^)/

私、実は「和歌山県世界遺産マスター」なる資格を頂戴いたしまして、世界遺産保全啓発活動などをしております。何しろ広大な世界遺産ですので、「高野地区」と「熊野地区」に分かれてまして私、「高野地区」担当なんですが、もちろん熊野古道の方も大好きです。


熊野古道とは、主に次の6つの道を指します。

紀伊路(渡辺津 ~ 田辺) ※世界遺産登録に含まれていない

小辺路(高野山 ~ 熊野三山、約70km

中辺路(田辺 ~ 熊野三山)

大辺路(田辺 ~ 串本 ~ 熊野三山、約120km

伊勢路(伊勢神宮 ~ 熊野三山、約160km

大峯奥駈道 (吉野 ~ 熊野三山)


皆さん、熊野古道って紀伊山地の山の中、ひたすら歩く道って思ってますよね。まあそうなんですけど・・・大辺路に日置川を渡る渡し舟区間があります。仏坂の入り口です。

大辺路街道で唯一、川を舟で渡る「安居の渡し」があります

昔ながらの川舟で日置川の清流を渡ることができるんですよー♪

和歌山県南紀の河川って綺麗ですが、この日置川も美しい河川です。
渡し舟は対岸までのわずかな区間ですが。。。水の透明度に驚きます。
船が浮かんでいるようなインスタ映え写真も狙えます!(^^)!

安全確保のため船頭さんは2名体制です。


渡し場跡からは仏坂の登りを一気に登ります。ここから、すさみ町の入谷までの間は、自然林に囲まれた尾根道、石畳道が続いて南紀の美しい自然と、歴史を感じることができます。


以前、和歌山市の旅行代理店で勤務していた時、和歌山大学のインターンシップ生を指導して、

国土交通省主催の「水の里の旅コンテスト」に応募するため、現地を視察しました。

 

↑ 乗船券です。もちろん記念にお持ち帰りです。


今回の写真はその時のものです。

コンテスト結果は、学生部門で受賞致しました(^^)/

百間山渓谷のウオーキングも含めた、いいツアーですよ。

国土交通省のホームページから見てあげてくださいませ。

http://mizunosato-ouen.jp/wp/wp-content/uploads/2018/12/b9f1275a43a84ad2351549f96c10f315.pdf

紫陽花の季節2020年05月27日

庭の紫陽花が、色づいて参りました。そろそろ紫陽花の季節です。
以前、このBlogで花の色は青で群生しているタイプが好きと書きましたが、紫陽花もそんな感じで好きな花の一つです。日本のガクアジサイがオリジナルということで、とても日本的な雰囲気を持ってるのではないかと思います。
育てやすいので、家庭や公園などあちこちで見かけますが、お寺なども紫陽花を植えているところ多いですね。

紫陽花の名所ランキングなど検索しますと、関西では三室戸寺(京都府宇治市)、矢田寺(奈良県大和郡山市)、救馬渓観音(すくまだにかんのん)あじさい曼荼羅園(和歌山県上富田町)など、お寺が上位に入ります。

春の花の季節、今年は新型コロナの影響で、拝観中止のお寺が多く、お花見も楽しめませんでした。現在、緊急事態宣言は解除されたものの、厳しい状態が続きます。
紫陽花は咲くのは来月6月~7月。行けるといいのですが。。。


「 夜もすがら月をみむろとわけゆけば 宇治の川瀬にたつはしらなみ 」
光仁天皇勅願の西国第十番札所、観音霊場。三室戸寺です。

本堂は江戸時代のもので、京都府の文化財に指定されています。

時期によっては蓮の花とのコラボレーションも楽しめます。
蓮の花は何といってもお寺にぴったりです!

 ↓境内には 丑と兎と蛇の造形物があります。

三室戸寺に観音詣でをしていた富右衛門というお百姓が、飼っていた弱々しい牛が、観音様のご利益で立派な牛になり、 地域一番の権兵衛の牛に戦い勝ち、その時に得た報奨金をもとに、牛の仲買人として成功したという故事によるそうで、宝勝牛。くわえている牛玉の観音様に触れると、勝運に恵まれるといいます。
三室戸寺本堂前に狛牛と対面しています。応神天皇の皇子、菟道稚郎子が宇治に来られた際、兎が道案内したとの伝承による兎との因縁から、置かれているそうです。やはり球を抱いており、さらにその球の中にある、卵が立てば昇運がつくといわれています。
狛牛・狛兎に続く狛蛇?
宇賀神は財運・金運の蛇神で、頭は老翁、体は蛇で蓮に乗る姿だそうです。
撫でますと、財運(金運)・良運がつくといわれています。

※ 今、ホームページを調べてみますと、奈良の矢田寺様は5月15日から7月15日まで山門を閉門して拝観中止、したがってアジサイ園も中止だそうです。残念ですが。。


絶景の庭園から 明日がみえますか?2020年05月24日

昔、初めてヴェルサイユ宮殿を訪問した時、宮殿そのものよりもお庭に圧倒されてしまいました。

特に、「緑の絨毯」とも呼ばれる、中央部分の芝生。全長335m、幅40m。その両側に彫刻を配して圧倒的スケールでした。やるなー、ルイ14世とやら。

我が家の車1台が停められる広さを誇るお庭に、私も芝生を植えてみました。

少し違う。。なんだか違う。。。いーや、全然違うではないかあ!って・・・

でもガーデニングって楽しいですよね。(新型コロナ期間、やること庭の雑草むしり・・そればっかり)西洋の庭園も美しいのですが、今は日本庭園にも惹かれています。

 

日本の庭園って、大名庭園(普通、お城の近くにある)とか、お寺の庭園なんか有名所ありますよね。日本三名園と呼ばれる金沢市の兼六園、岡山市の後楽園、水戸市の偕楽園は全ていわゆる大名庭園。

お寺の庭園では、やはり京都市でしょうか。龍安寺方丈石庭、詩仙堂(一乗寺)、高桐院(大徳寺塔頭)などなど数多あります。

あと、美術館ですがお庭で有名になった島根県の足立美術館もスゴイですね。私、横山大観画伯、好きなので、そりゃもーたまりません(^^)/

 

私の故郷、和歌山市にもいい庭園がいくつかあります。

① 番所庭園 日本遺産「絶景の宝庫 和歌の浦」


万葉ゆかりの地でもありまして、神亀元年(724年)に、はるばる平城宮から聖武天皇が、お供の公家・宮廷人達と、和歌の浦に行幸されましたが、藤原卿がここ番所庭園の北側に広がる海「雑賀の浦」の漁火を見て、詠まれたと言われている次の歌は有名です。↓

  紀の国の 雑賀(さひか)の浦(うら)に 出()で見れば

   海女(あま)の燈火(ともしび) 波の間()ゆ見ゆ

 


「番所庭園」は「番所の鼻」といい、平坦で海に長く突き出た地形のため、江戸時代に紀州藩が海の防備見張りのため遠見番所を設けた場所の一つです。(番所は十数か所あったといいます)

ここはその中でも、和歌山城に最も近い番所として重要でした。米国ペリーの来航(嘉永六年・1853年)を機に、紀州藩も本格的に海防に取り組み始めました。翌年、安政元年(1854年)に家老三浦長門守御持場「元番所お台場」が、庭園大芝生の所に構築されました。

その後、遠見番所は鷹の巣山頂(場所は近くです)へ移転したので、ここは「元番所」とも呼ばれたそうです。


 ↑ 私もそうなのですが・・・明日が見えない人、多くいらっしゃいますよね。

 ↓ 明日はどっちだーっ!  (明日のジョー?)

 

低めの黒松と石が不規則に並んだ、芝山の眺めは白砂青松(白砂青松とは白砂と青々とした松で造形したもので、日本の美しい海岸の風景を見立てているそう)の様にも感じられます。

島根県の足立美術館の白砂青松を思い出したりも致します。

芝生だけでなく珍しい紀州青石(緑泥片岩)の海岸美も、素晴らしいです。

 


 ↑ テレビドラマ・映画撮影のロケ地定番です


② 「養翠園庭園」 番所庭園から車で10分あれば行けます!

紀州徳川家・第十代藩主徳川治寶により造営された大名庭園です。

松を主体として約33,000㎡の広さがありますが、ユニークなのは海の面している立地から、池に海水を取り入れた汐入りの池。これは珍しい!


庭園内には御茶屋 養翠亭が有り、茶室 実際庵(二畳台目)や左斜め登り御廊下など貴重な遺構が保存されています。季節にはカキツバタが実に美しいです。


関西花の寺 船宿寺2020年05月23日

「霊場巡り」ってありますよね。有名なのは「四国八十八か所」とか「西国三十三か所」とか。

それらとは少し切り口の違う、お寺の廻りかたで、「ボタン寺」、「アジサイ寺」など、「花の寺」と称される関西一円24県の25ヵ寺が集まって「関西花の寺二十五カ所霊場会」というグループがあります。宗旨宗派の垣根を超えた花がご縁のお寺です。それぞれに自慢のお花が咲き誇り、その季節に巡っていくのは楽しいものです。

私、まだ、全部の巡礼達成できていないのですが、訪問したお寺の中で印象的だった一つが「船宿寺(せんしゅくじ)」です。船宿寺は、奈良県御所市五百家にある高野山真言宗の寺院です。



寺伝によると、東大寺の再建に力を尽くした行基が葛城の地を訪れた際に夢枕に老人が現れ、「ここから東の山に船形の石がある。その上に薬師如来像を祀るように」と告げられた。行基は、これに従い、お告げ通りに発見された石の付近に庵を建てたのが始まりとされるそうです。

緩やかな傾斜地に山門や本堂、鐘楼が配置されている優雅なお寺です。



で、お花ですが1,000株ものツツジやサツキが咲き乱れています。裏山を借景にした池泉回遊式庭園も素晴らしいです。本堂前の広場からは西方に葛城山や金剛山が眺められます

本堂前広場の東南隅や本堂下の石段の上がり口には大手毬!これがまた盛大に花をつけて美しいです。



また、寺務所の北側や境内のはずれと思われる西側の場所にも、多くの花が植えられていて、四季それぞれの花を見ることができるまさに花の寺の決定版かと。

新型コロナ、収束したら是非に。ご本尊は「薬師如来」そこから山号が「医王山」。病気平癒を願いたいと思います。

 


主たる花

ツツジ・ヒラドツツジ・クルメツツジ・キリシマツツジ・サツキ

 

四季の花

サザンカ・クリンソウ・ロウバイ・サルスベリ・オオデマリ・サクラ・シャクナゲ・シャクヤク・ツバキ・ヤマボウシ・紅葉・ボタン



御朱印帳もステキです。貼り付け式なのが少しだけ残念なのですが。。


古代との対話 ~ゲンセツに行きたい2020年05月22日

古代史が好きで、よく奈良、特に橿原市~明日香村にかけて出かけました。
ただ、古代の観光資源はほとんどが遺構です。現状はたいてい田畑が広がっててそこに想いを馳せる。。。そんな時、発掘したての現場を見学できるイベントがあることを知りました。
考古学的な発見が大きかった時などよく実施されています。現地説明会、、ゲンセツです!
今は新型コロナウイルスの影響で実施されていないと思いますが。。。以前は良く参加させていただきました。牽牛子塚古墳の時は参加者の行列並びました~。夏の暑さに倒れかけたこと覚えています( ;∀;) 
 ↑ スクラップブックに張り付けた当時の新聞ニュースです。
何といっても明日香における土木工事の女帝、斉明天皇の真墓か!?ですよ~!
これは行かねばなるまい・・・と思った次第です。
なのにその後、かなり歳月が過ぎましたが、宮内庁の治定(車木ケンノウ古墳)はなかなか改められないですねー(というより改めない方針なんでしょうねー)

ゲンセツに行きますと、発掘ほやほやの土器やら、ハニワやらがその場で見学できて感動ひとしおなんですよ~!
特に思い出深いのが2011年2月26日の茅原大墓古墳です!
 ↑ ごれがゲンセツの様子だ!
古墳時代中期初頭頃(4世紀末頃)の帆立貝式古墳(後円部に対して前方部の規模が小さい)のクビレ部から盾持人埴輪、埴輪棺が出土しています。
この盾持人埴輪がそれはもうステキ💛なんです。
盾持人埴輪は、これまでに50箇所以上の古墳・遺跡において出土していて、他の形象埴輪とは異なり、古墳の外縁部に置かれる例が多く、外側の邪悪なものから古墳を守る「辟邪(へきじゃ)」の意味を持つものと考えられているそうです。
いかがですか?古墳を守る守備隊!カッチョいいですよね~!

お顔の表現がたまりませんです。守備隊の割にはあまり怖くない??

また、いつかゲンセツに行ける日を心待ちに。。

葛城古道を歩く 高鴨神社~高天彦神社~葛木御歳神社2020年05月20日

奈良盆地の東に連なる美しい青垣の山裾を縫うように、三輪山の麓から石上布留を通り、奈良へと通じる道。「日本書紀」にもその名が残り、日本最古の道ともいわれる「山の辺の道」が好きで何度か歩きに行きました。個人的に行ったり、お客さんを連れてのガイドや添乗でも行きました。

もう一ヵ所好きな古道に、西の葛城連山の麓を走る「葛城古道」があります。
こちらは個人的に歩いただけで、お客さんをお連れしたことはないです。
でも、専門学校の教員時代、学生たちを案内して、観光に関する論文を執筆してもらいました。
一般財団法人日本ホテルセンター様の「学生観光論文コンテスト」に応募したもらうためです。2015年のことでした。論文タイトルは、資産価値の認識を目的とした観光コースの作成など~語学・観光系専門学校との実務レベルでの「産学連携」の提案~】
結果、最優秀賞は逃したのですが、優秀賞(公益財団法人日本ナショナルトラスト 会長賞)を受賞いたしました~!ああ~懐かしいなあ。。。
このコンテストも2019年度で終してしてるようですが、19回の歴史で、受賞は大学生ばかり。専門学校生が受賞したのはほとんどないと思います。
いい内容ですよ。 是非読んであげてください! こちらからアクセスできます。

葛城古道の道沿いには、古代豪族の 葛城(かつらぎ)氏とか鴨(かも)氏ゆかりの古社が点在しており、神さびた雰囲気が漂っています。。。

こちらは、高鴨神社です。↓
全国の鴨(加茂) 社の総社です。京都にある世界遺産の下鴨(しもがも)・上賀茂(かみがも)両社も、源流はこの神社にあります。
また、4月中旬から5月初旬にかけて500種2,200鉢以上の日本サクラソウが咲くことでも有名です。
ご神木と本殿へ上る階段、鳥居の向こうに拝殿が見えます。↑ 本殿はその奥で天文12年(西暦1543年 室町時代)再建、三間社流造の建造物で国の重要文化財に指定されています。(撮影禁止)

高鴨神社境内の宮池には浮舞台があり、5月に行われる「献花祭」で奉納される雅楽と舞は、「奈良県景観資産」に登録されています。↓
こちらは、摂社東宮で、県指定重要文化財に指定されていますす。 ↑ 
さらに摂社西宮や多くの摂社が境内にはあります。
鴨、「カモ」は「カミ」と同源であり「カモす」という言葉から派生し、「気」が放出している様子を表しているそうです。こちらの神社の神域は鉱脈の上にあることも重なり、多くの「気」が出ているパワースポットとしても有名です。

御所市高天の高天彦神社です。参道はかなり急な山道です。。。↓

↑ 高天彦神社拝殿です。金剛山の麓に建つ神社であり、5世紀ごろに栄えた葛城氏の祖神「高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)」を祀っています。御神体は、背後にそびえる円錐形の白雲峯(694m)です。
そして、この一帯は、古くは日本神話に登場する天孫降臨の「高天原(神々がおわした土地)」といわれています。

↓ 葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)です。全国にある御歳神社・大歳神社の総本社であり、先に訪れた高鴨神社(上鴨社)に対して「中鴨社」と称されています。 
※ 鴨都波神社(下鴨社)もありますが今回はご参拝できていません。また次回是非に!
( 神社ご由緒書きより抜粋 )
「御神名の「トシ」は穀物特に稲、またはその実りを意味する古語で、御歳神は稲の神、五穀豊穣をもたらす神、また、穀物の生長を司る神として古くから崇敬されています。また「トシ」は年に一度の収穫を基準とした時の単位であることから、何か事を始める時にお参りするとよいとされています。
私たちが正月にお祭りし、親しんでいる年神様は、この御歳神、大年神、若年神といわれています。鏡餅は御歳神へのお供え物(依り代)であり、このおさがりのお餅には御歳神の魂がこめられており、これを「おとしだま」と呼んでいたものが今のお年玉の起源であります。。。」
神社名は「みとせじんじゃ」とも呼ばれているそうで、その歴史は古く弥生時代よりの頃より五穀豊穣の神として祭られてきた場所です。
親切な宮司様にご案内いただき、ご神域近くまで入らせていただきました。
いにしえからの空気に満ちたご神域。。。。
宮司様に教えていただき、歩いてきた足元を見ると不思議な植物が! ↓(白い植物)
銀竜草(ギンリョウソウ)というそうです。
ツツジ科ギンリョウソウ属の多年草で、別名がユウレイタケ。。。(-_-;)
森林の林床に生え、花が咲くとき(4月~8月)以外は、その姿は地上では見られないそうです。
いや~、初めて見ましたが、色素がなくて真っ白なんです。
「神さまの使い」かもしれないなー。。。なんて思ってしまいましたです。

手塚漫画と明日香村 謎の石造物2020年05月18日

日本で、いや世界で最も偉大な漫画家であると信じる手塚治虫先生。膨大な作品の中で私が思う代表作は何といっても「火の鳥」です。特に過去と未来を交錯させながら展開する、実質的最終話「太陽篇」が好きです。

過去の部分では、西暦663年、白村江の戦いで倭・百済軍が唐・新羅連合軍に惨敗しするところからお話は始まります。百済王一族の兵士・ハリマは、唐軍に捕らえられ、生きながらに顔の皮をはがれ、狼の皮を被せられてしまいます。狼の顔を持ったハリマは、不思議な老婆に助けられ、老婆、そして瀕死のところを助けた大将軍、阿倍比羅夫と共に倭国へやってきます。物語の舞台は当然、飛鳥の都になります。

日本古来の産土神(漫画では狗族という狐っぽい一族)と仏教の四天王が、実際に戦ったり、当時の仏教が日本に浸透し、天智天やら大海人皇子も登場して、仏教が災いになるだの、いや仏教に帰依するだのといった混乱が描かれています。



↓ 斑鳩、法隆寺の火災事件も描かれています。


手塚漫画は他の作品もすべて傑作ぞろいですが、「三つ目が通る」でも飛鳥を舞台にしたお話があります。飛鳥には誰が、何のために作ったのかよくわからん~??石造物が約20体ほどあるそうです。
その中の酒船石 ↓を扱っています。このお話は多分、松本清張さんのミステリー小説「火の道」にヒントを得ています。そうですねー。私も数ある石造物のうち、これが一番ミステリーを感じて好きです。


酒船石の場所は 亀形石造物 小判形石造物と祭祀場 ↓の横を少し登っていく丘陵の上、竹林の中ですが、発掘調査でこの丘陵は自然のままではなく、版築と砂岩の切石で改造した人工的な丘陵ということがわかっています。

他の石造物もミステリアスで、「誰が、何のために?」と想像力を働かしながら見て回るのは楽しいです。


飛鳥資料館に展示されている石人像  ↑

岩に座った男性に女性が後ろから手をそえているのでしょうか。男性の足元から口まで内部に細い管が通り、途中で女性の口にも分岐しているのだそうで、噴水施設であったと推測されています。

ブラタモリでなんか実験やってましたね。。石人像の風貌から男女のモデルをペルシャ・インドに求める説もあります。うーむ、この時代に遠路はるばる。。。聖徳太子ペルシャ人説、ゾロアスター教説なんかも興味あります('ω') 


猿石 ↑ は4体が吉備姫王墓内にあります。
実に奇妙な人面石像で、猿ではなく渡来人を象ったものといわれています。
4体の像にはその外見から「女」・「山王権現」・「僧(法師)」・「男」とそれぞれに愛称がつけられてます。
高取城への登山道の途中にも猿石と呼ばれる石像が1体だけ置かれている(もとは同じ場所にあったものを移した?)そうなのですが、そこはまだ行ったことがございません。

鬼の雪隠 ↑ 鬼の俎ってのもすぐ横にあります。でかいです!多分、古墳用の石なのでしょうが。。。
他にも亀石・二面石(橘寺境内)・益田岩船などなど。。。どれもステキです💛

前に推古天皇の宮や陵墓について書きましたが、一代おいて即位した女性天皇、皇極天皇、重祚(一度退位して復活~)した斉明天皇は土木工事を多く実施。これらの石造物は、ほとんどが彼女に関係するといわれています。その中で酒船石遺跡が石造物の謎をとく、もっとも重要な遺構なのではないでしょうか。。。

ちなみにこの飛鳥時代、「日本国創成のとき―飛鳥を翔(かけ)た女性たち―」というテーマで日本遺産に登録されています。
「女性が国づくりの原動力
日本で初めての女帝であった推古天皇は、巫女(シャーマン)的要素を備えつつも、仏教の興隆に力を注いだ。従来どおり神々が宿る自然を厚く敬いながらも、新しい仏教を取り込み、いわば神仏が調和した国づくりをはじめた。そして、東アジア世界と正面から向き合った女性でもある。このような女性の力は、次の女帝・皇極(斉明)天皇にも受け継がれている。(後略)」(日本遺産ポータルサイトから引用)

本薬師寺跡 ホテイアオイ2020年05月18日

少し前からインスタ映えがするーということで、茨城県「国営ひたち海浜公園」のネモフィラが大人気でした。和名は瑠璃唐草。見頃は4月後半からゴールデンウィークにかけてのひと月ぐらいです。

関西も、大阪でそれにあやかるべくオープンさせたのが「大阪まいしまシーサイドパーク」のネモフィラ祭りです!もともとこの場所は「ゆり園」があったのですが、台風の影響でアウトに。その後に始めたものです。2019年に行って来ました。よかったです。



私、花が絨毯のように群生している所、大好きなんです。花の色は青が好きなので、このネモフィラいいなーと思ってました。
 それが、今年は新型コロナウイルスの影響で中止。。。残念でした(;_;)

そんな方きっと大勢いらっしゃると思います!


そこで、今年久しぶりに行って見ようかなと思っていますのが、奈良橿原市にある本薬師寺跡のホテイアオイです!

新型コロナウイルス、まだまだ油断できませんが、花の開花は8月の後半~9月。

その時の状況次第ですが。。。



本薬師寺は、現在奈良市の西の京にある薬師寺の前身にあたる寺です。

平城遷都に伴って寺は伽藍ともども西の京へ移築されたと言われていましたが、別々に造られたという説が有力です!なのでこのお寺は本薬師寺(もとやくしじ)と呼ばれるようになったそうです。

現在はは小さな堂が建っているのみですが、当時は、金堂や東西に二つの塔があったそうです。

背景には畝傍山や遠方には二上山も望めます。

新型コロナが完全に終息していることを祈りつつ。。。

あなたの知らない 高野山へ2020年05月18日

失礼なタイトル。。知っていたらごめんなさい。

和歌山県にある、「高野山」は「紀伊山地の霊場とその参詣道」として世界遺産に登録されています。多くの人は南海電鉄高野線で極楽橋へ。そこからケーブルカーで山上の宗教都市を目指します。そしてそこで弘法大師空海が開いた多くの伽藍・建造物を見て感動するはずです。

随筆家白洲正子さんの著書「かくれ里」には、高野山の中腹、神々住まう高天原に例えた天野の地に鎮座する丹生都比売神社と周辺天野の里の紹介が書かれています。こちらへは車で行くことになりますが、世界遺産になってからは、訪問者も増えているようです。


↑ 丹生都比売神社

丹生神社は白洲さんによれば、全国に138か所あるそうで、その半分以上が和歌山県に集中していると書かれています。(和歌山神社庁のホームページから「丹生」で検索しますと32社がヒット致しました。いずれにしてもかなりの数です。
「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味しており、『魏志倭人伝』にも既に古代邪馬台国の時代に丹の山があったことが記載されているそうで、、その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があるといわれています。

伝説によれば、丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた猟師に化身して現れ(狩場明神)、高野山へと導きました。弘法大師は、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。

高野山は神仏習合の場でもあるといえます。
高野山内には、丹生都比売大神と高野御子大神(狩場明神)を祭る神社が点在して、小さな集落で守り伝えられ続けています。
通常のルートでは行かない、行けない、そんな神社に足を運んでみました。

↑ 伊都郡かつらぎ町大字宮本1番地に鎮座する丹生神社
ご祭神 丹生都比売神 高野御子神

由緒(和歌山県神社庁HPより)
勧請年月日は不詳なれども明治維新に至るまで高野山地頭の信仰篤く、年々祭祀料、米10石を寄進せられ其の他臨時の営繕には、特に米幣を寄せられる例多し、神功皇后、三韓征伐の時、特に祈願あり神賽として和泉の国、葛城の他を神地として寄せ給ふと言い伝えられている。
毎年6月8日神楽を奏し、神湯を献じ葛城、高野先遠等来拝して崇厳を極めたと言われる、境内社として、高野神社、厳島神社、百合野神社、狩場大明神がある。
三野国牟毛津の未裔蔵吉人を丹生都比売神社に勤仕していたが、その子孫がこの地に住み狩猟を事としていた。
弘法大師が高野に登る際白黒2犬を率いて先導した、功績で里人等同人を神として祀り狩場明神と名づけたと伝えられている。

天野が白洲さんのおっしゃる「かくれ里」だとしますと、ここは「奥かくれ里」といえるかも知れません。。。(集落人口総数: 38 人 世帯総数: 16 世帯)

↑ 狛犬のデザインがオオカミっぽいのですが、これは弘法大師と出会ったときに、狩場明神が連れていた2匹の犬の姿ではないでしょうか?



神々の気配が感じられます。。。


明日香 豊浦寺跡 推古天皇即位の宮2020年05月15日

前回、黒岩重吾さんの小説「紅蓮の女王」を読んで推古天皇ご陵を訪問したことを書きました。
あのあたり「近つ飛鳥」って言います。「近つ飛鳥」という地名は、「古事記」に記載があります。
で、奈良県の明日香村あたりが、「遠つ飛鳥」だそうです。
推古天皇のご陵は「近つ飛鳥」ですが、活躍の場は当時の日本の首都「遠つ飛鳥」今の明日香村です。
即位した宮跡に行ってみました。
現在は浄土真宗のお寺向原寺(こうげんじ)の境内になります。
お寺の拝観は無料で、親切にご案内いただきました(^^)/
↑ これが発掘された豊浦宮(とゆらのみや)の遺構です!おおーっ
推古天皇はここで即位されしばらくしてからまた都を小墾田宮(おはりだのみや)に移します。(場所は奈良県明日香村の雷丘周辺が有力推定地)
豊浦寺はその豊浦宮の跡地に建立されたもので、周辺に遺構が残っています。

この時代の物部氏の廃仏派と蘇我氏の崇仏派の争い跡が、すぐ横に伝承地として残されています。
日本書紀によりますと、日本に初めて仏像が伝えられたのは、552年のことで(538年という説あり)、百済の聖明王から伝えられた。
当時の欽明天皇は献上された仏像の礼拝の可否を群臣たちに尋ねたところ、崇仏派の蘇我稲目(蘇我馬子の父)はその仏像を安置させるために、自分の邸宅を寺として立て直したそうで、それがここ豊浦寺です。
その後、国内に疫病が流行したため、排仏派の物部尾輿と中臣鎌子はそんな事態になったのは、外国の神である仏像を祀ったことに対する日本の神々の怒りであるとして、仏像を難波 (なにわ) の堀江に捨て、伽藍を焼き払ってしまったのだそうです。その難波の堀江に当たる場所がこちら ↓
 でも、ここ、豊浦寺の隣なんです。いくらなんでもちょっと近すぎでは?
(現在の大阪の難波の池とちゃうか~?との説もあり。。。そこは逆に遠すぎるかも。)

その捨てられた仏像は、600年に信濃の住人である本田善光なる人物が、たまたまこの難波の堀江にさしかかった時、「善光、善光」と、どこからともなく呼ばれるお声を聴き、そして驚くべきことに善光の目の前に、水中より輝く仏像が出現!そんなわけで長野に持ち帰り、善光寺を建立して安置したとの伝説があります。ちなみに善光寺の本尊は絶対秘仏のためご開帳されることはございません。。。

で、この仏像、江戸時代に、向原寺のすぐ横にある、この難波池からこの仏像の頭部だけが発見!
ややや~!伝説の仏像!
その後、京都の仏師が江戸時代に頭部以外の部分を鋳造、接合してあるそうでつまり、頭部は飛鳥時代に日本国内で造られ、首から下及び光背、台座は江戸時代の後補!
そして。。。実は1974年9月に盗難に遭っています。本堂内陣に祀られていた金銅製観音菩薩立像が厨子と共に姿を消したのです!
一度は盗難に遭った観音菩薩様ですが、オークションに出品されているのが見つかり、2010年9月、向原寺に無事お戻りになられました。 ↓
なんという数奇な運命でしょうか。。。。

明日香村に行かれましたら、是非この向原寺(豊浦宮・寺跡)にもお立ち寄り下さいませ。
そして、はるか飛鳥の昔に想いを馳せてみませんか。
それにしてもこの仏様のお顔・・・飛鳥仏のいわゆるアルカイックスマイルの感じられる素晴らしさ!合掌。
(写真は、展示パネルを撮影させていただきました。)