日本の「ボロブドゥール」奈良市と堺市の「土塔」とは?2020年08月14日

私、いわゆる観光資源の中でもちょっとミステリアスなものが好きでして、奈良市ではここですね!周辺、有名なお寺など集中していますが、奈良市の方もあまりご存じないという「頭塔」。
以前(2010年)に訪問して以来の再訪です。
 ↑ 上空からの写真が欲しくて・・・パンフレットの写真を使わせてもらってます。
(私が、ドローン飛ばしたわけではないです💦)
日本の「ピラミッド」という方もおられますが、仏教遺跡ということからも日本の「ボロブドゥール」という方がぴったりでしょう!
世界遺産で大規模な仏教遺跡「ボロブドゥール寺院遺跡群」は、インドネシアのジャワ島中部に位置し、大乗仏教を奉じていたシャイレーンドラ王家によって、ダルマトゥンガ王治下の780年頃から建造が開始され、792年頃に一応の完成をみたと考えられています。
ボロブドゥールは、寺院として人びとに信仰されてきましたが、通常の寺院のように内部空間を持たないのが際だった特徴となっています。最下層に一辺約120mの基壇があり、その上に5層の方形壇、さらにその上に3層の円形壇があり、全体で9層の階段ピラミッド状の構造となっています。この構造は、仏教の三界をあらわしているとされています。
  ↑ 「ボロブドゥール寺院」
  ↓ 奈良市の「頭塔」です。(奈良市高畑町921)
奈良町へ向かう清水通りに入ってすぐ右手の小高い丘で、東大寺の真南と言ってよい場所(東大寺南大門の南約950m、新薬師寺から西北約700m)に位置しており、国の史跡に指定されています。かつては全体が鬱蒼とした森でしたが、2000(平成12)年復元・整備が完了し、北側半分には方形7段の土塔の姿が蘇っています。

767(神護景雲元)年、東大寺二月堂修二会の創始者、実忠が建立したといわれる土の仏塔です。造塔の目的は諸説あります。恵美押勝の乱後に称徳天皇が懺悔の意味で国家安穏を祈って造営したとする説が有力だそうですが、パンフレットによりますれば、五重塔などと同じく仏舎利を収める仏塔と考えられるとあります。また、藤原広嗣の怨霊によって殺害された、奈良時代の僧玄昉の頭部を葬った塚であるとの伝承もあります。「玄昉の体が筑紫から飛来し5カ処に落ちたが、首が落ちた地に墳廟が造られ頭塔と呼ばれた。後の各書で首落下地伝承地は分岐するが、ほとんどは興福寺域内とされている。」ドトウがなまってズトウとなって伝説ができた?

頭塔の形は独特であり、 大きさは一辺32m、高さ10m。方形で7段あるうち奇数段には浮彫りや線彫り石仏が配置されています。天平時代のもので、三尊仏や独尊仏・五尊仏など、天平仏画にもよくみられる図案です。オリジナルは第1・3・5・7の奇数段に各11基ずつ、計44基が配置されていたと考えられていますが、1977(昭和52)年、当時すでに地表に露出していた13基に加え、その後の発掘調査であらたに発見された石仏を加えて、現在22基が重要文化財に指定されています。
 ↓塔の上部は距離があり視認が困難ですが、下部の方は尊像が拝観できるのもいくつかあります。現在、デッキ式見学路が整備され、周囲を見て回ることができます。復元された北側には、見学小広場も設置されています。またこの頭塔の内部に、創建当初の塔があることも判明しています。
↑ (写真上 西面 浮彫如来及両脇侍二侍者像)
(写真下 東面 浮彫如来及両脇侍二侍者像)
この石仏群のうち1基は大和郡山城の石垣に使用されているそうです。
  ↑ 頭塔 入り口
数ある奈良の有料観光施設での中で、見学に際して、頭塔入口斜め向かいの仲村表具店さんに申し出ると、入り口扉の鍵を開けに来てくださるという古風な拝観システムがたまりません(^^)/
協力金 1人300円 見学時間 09:00~17:00
この日は仲村表具店のおばちゃんが、「暑い中、よう来はったねー」と歓迎してくださいました。
いただいたパンフレットには「見学希望の方は隣接するホテルウエルネス明日香路フロントまで」とも書かれているのですが残念ながらホテルは現在休館中です。
※ 奈良文化財研究所のこちらのページから詳しい発掘調査資料がダウンロードできます。
これは感動もんです!

 ↓ 大阪府堺市の「土塔」です。こちらを訪問するのは今回が初めてでした。
奈良時代の僧、行基が建立したとされる四十九院のひとつ大野寺の仏塔です。平安時代の「行基年譜」には727(神亀4)年の起工とあり、奈良の頭塔より約40年古いことになります。鎌倉時代の「行基菩薩行状絵伝」にも、本堂・門とともに「十三重土塔」と記された塔が描かれています。
発掘調査によって土を盛り上げた一辺53.1m、高さ8.6m以上の十三重の塔で、各層には瓦が葺かれていたことがわかりました。
現在の姿は全体を盛土で保護し、十二層まで復元したものです。
奈良市の頭塔は石仏が44基もありそこがポイントですが、こちらには石仏はなくて、ポイントは全面に葺かれた約60,000枚もの瓦ですね。文字を記した瓦が1,300点出土、そのほとんどが人名で行基と共に土塔を建立した知識と呼ばれる人々の名と考えられ、男女を問わず僧尼や氏族の名前も見られるそうです。刻書瓦780点、 「神亀四年」銘軒丸瓦2点、刻書須恵器4点、皇朝十二銭2点、附として刻書瓦のうち文字の判読できないもの294点の計1082点が国の重要文化財に指定されました。古代の文字資料がこれだけまとまって出土する遺跡は珍しいそうで、1953(昭和28)年に国の史跡に指定されています。2009(平成21)年、復元整備されて創建当時の姿が再現され、同時に立体模型や土層の断面展示、発掘調査の状況を再現したコーナーもできています。
 ↓ 同じ敷地内公園に隣接する池に水鳥の姿も・・
どちらもユニークな建築物ではありますが、石仏が配されている分、奈良市の「頭塔」の方が楽しめました。堺市の土塔の出土品は堺市博物館に保管されているそうです。でも堺市の土塔の方も史跡公園として整備・開放されていて無料ですし、説明板も丁寧です。

 ↓ 道路向かいが土塔山野寺、門が閉ざされており拝観できなかったのですが、高野山真言宗の寺院で、本尊は十一面観音。寺暦や規模など詳細は不明ですが、境内には古い礎石が残っているそうです。

インドネシアの「ボロブドゥール寺院遺跡群」より日本の両塔の方が成立時期は早いのですが、この内部空間を持たない「土塔」という形式は世界的にも、そして日本でも他に類例が見られません。
造塔の目的は同じなのでしょうか・・・?
そしてなぜこの形式は発展したり、多く造塔されなかったのでしょうか・・・?

タイトルには日本の「ボロブドゥール」奈良市と堺市の「土塔」と書いたのですが、日本の方が成立が古いのですから、むしろインドネシアの「土塔」、「ボロブドゥール遺跡」とすべきですね~😁

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