木喰(食) 上人2020年06月02日

一般的に「木食」とくると、「木喰仏」(もくじきぶつ)の作者である仏師「木喰上人」(1718年~ 1810年)のことを思い浮かべると思います。・・・といってもそのジャンル(仏像彫刻)が好きな人だけでしょうけれども。。。

私はNHKのEテレの番組、日曜美術館「微笑(ほほえ)む仏~柳宗悦が見いだした木喰仏~」で知りました。

この方は生涯に三度改名し、木喰五行上人、木喰明満上人などとも称したそうですが、本名が何なのかよくわかりませんので、「木喰上人」で押し通されているようです。

木喰より1世紀ほど前の時代に活動した、仏師円空(1632 - 1695年)もまた木喰僧ですが、円空の場合あまり木喰円空とは言われません。

このお二人は、仏師であるという共通点があり、恐らく「木喰上人」は円空の仏像彫刻の影響を受けています。 

  上画像 円空  下画像 木喰

 円空の荒削りで野性的な作風に比べると、木喰の仏像は微笑を浮かべた温和なものが多いです。 


「木食(もくじき)とは、固有名詞ではなく、草木しか食べない修行僧のことです。穀物さえも断ち、草や木の実だけを食して行を受ける人たちです。」と、私の尊敬する人のブログから知ることができました。

おーそういうことか!なるほど~ 究極のベジタリアン。。。

ブログによりますと、修行である木食の開祖は弾誓(たんぜい、1552年~1613年)。尾張国の出身9歳で出家後、諸国を行脚して修行の後、京都の大原に古知谷阿弥陀寺を開山、そこで62才の時、自ら石棺に入り即身仏となったと伝えられています。古知谷カエデと呼ばれる樹齢800年以上の古木もあるそうで、いつか是非訪問したいお寺です。(秋とか素晴らしいのでしょうね。)

京都府南丹市八木町には、「木喰上人」最晩年の仏像(羅漢像)が残されているお寺、清源寺があり、こちらも行ってみたいです。

 

高野山の麓に橋本市(和歌山県)があります。

木食応其(もくじきおうご)は、橋本市では応其上人と呼ばれ、尊敬されています。出身は近江のお侍、38歳で高野山において出家し、高野山に興山寺(青巌寺と合併して現在の金剛峯寺になっています)を創建したほか、行基の再来ともいわれるほど、各地で寺社の造営に尽力しています。

豊臣秀吉が発願した大仏(盧舎那仏)を安置するための寺、京都の方広寺も応其上人によって創建されました。京都の地名で上人町(京都市東山区問屋町通)は、方広寺造営の際に招致された応其が、五条大橋東詰南側付近に草庵を営んだのが地名の由来になったという説もあります。(京都観光文化検定出題予想😁)

応其上人、実は豊臣秀吉にめちゃくちゃ気に入られています。秀吉が紀州を攻めて根来寺・粉河寺・雑賀を攻略した後、高野山に対して降伏を求めた時、和睦交渉で力を尽くしたからです。

高野山に向かうため、紀の川に長さ約236mの橋を架けました。「橋本」の地名はこれによるものと伝えられています。おーっそうだったんだ(^^)/

橋本橋という右から読んでも左から読んでも、はしもとはしという名前の橋がありますが、その橋お近くに応其上人が開基のお寺、応其寺があります。 ↓

 

また、現在の地図を見ても橋本市~高野山には多くの池が見えますが、その大半は応其上人が工事をされたと伝わっており、この土木事業ぶりがやはり行基の再来~!

 

応其上人は関ヶ原の戦い以降、晩年は連歌の規則や作法を記した『無言抄』を出版した後、1608101日に入定。行年73歳。

辞世の句は「あだし世を めぐり果てよと 行く月の きょうの入日の 空にまかせん」

高野山奥の院に程近い場所に廟所があります。

日本唯一の飛び地の村 北山村2020年05月31日

もう、5月も終わりですねー。どんどん蒸し暑くなってまいりました。
梅雨の季節、そして本格的な夏がやってまいります。
夏になれば、水遊びいいですよね。海や川、プール。あるいは川下りなど。
関西では京都の「保津川下り」、有名です。ホームページによりますと、新型コロナウイルスの影響で中止されていましたが、6月1日から再開とのことです!

しかしながら、私、是非行ってみたいのが「北山川 観光筏下り」
(こちらは7月1日より運航再開予定)。(何度か添乗で行きました。写真はその時のものです)

ポイントは筏(いかだ)!

日本に川下りは数多あれども、丸太を組んだ筏に乗って川下りを体験できるのは、ここ北山村だけ。

筏に乗っての急流下りで自然の中を大冒険!(例えばテーマパークUSJのジュラシックパークライド、人工物の中で決められたコースを行くのとは比較になりませんぜ!)


和歌山県北山村。紀伊半島南部の山間部に位置して、面積約48平方km、その村域の約97%が山林地帯。そして村に隣接する町や村はすべて三重県、奈良県。和歌山県のどの市町村とも隣接していません。日本で唯一の飛び地なんです!

その理由は、和歌山愛にあふれる物語!

北山村では古来、木材を切り出して北山川から木材流送を行い、下流の新宮(和歌山県)で商人がそれを受け取り売るという、林業ビジネで生活を営んでいました。つまり新宮との結びつきが強く、江戸時代にはこの地域は紀州藩新宮領に属していました。廃藩置県で新宮が和歌山県に入ると、村は新宮との結びつきの強さゆえに和歌山に入ることを望み、それが叶った結果、飛び地村が出来たのです。以降、1889年(明治22年)に自治体として発足して以来この村に合併などは一切なく、飛び地ゆえに人口が少なくとも一村を維持してまいりました。

ダム建設により、熊野市までの道路が整備され、現在はむしろ三重県の熊野市などとの結びつきが強くなり、三重県の市町村との合併により和歌山県の飛び地でなくなろうという動きもありましたが、住民投票の結果和歌山県に残ったそうです。


山林の真ん中を清流・北山川が悠々と流れるという日常の風景は、「美しい日本のむら景観コンテスト」で農林水産大臣賞も受賞しています。

筏は今では、陸送で運ばれるようになったのですが、「観光筏下り」、この地域の伝統文化でもある「筏」を今に伝えるべく改良を加えた観光事業としてよみがえりました。

 

 ↑ 流れの静かなところは着座、流れが速い場所では立ち上がって手すりにつかまります

あ、もちろんずぶぬれ度、はんぱじゃないですよ~。このあたり映像でお見せしたいのですが。。


豊かな自然に包まれ、ゆったりとした時間が流れる中、筏師が造る筏で大自然の中を人力だけで下る北山川の筏下り。最初の瀬であるオトノリはかつて弟乗りといわれ、後継ぎの長男は乗らない(あまりの危険さゆえ)といわれた逸話もあるらしく。。ここを乗り切る北山村の筏師の櫂さばきは筏師の華とされていたそうです。

 ↑ こちらが竿師さんだ!他府県の若者がヘルプに来ているそう


 ↑全国唯一という特産品がこれ ジャバラドリンクでのどを潤します

柑橘系の果実で、古来からこの地域でのみ自生するという珍しいものです。

モニター調査の結果で47%の人から「じゃばらが花粉症に効く」効果があったと報告があり、人気の特産品になりました。「邪払」とも(^^)/

 ↑ こちらは到着場所です。 ここでクイズです。筏はどうやって上流に戻すのでしょうか?

 

 ↓ 正解はクレーンで釣り上げてトラックで運ぶでした〜 なかなか大変 (;^_^A

 

新型コロナウイルスもようやく沈静化が見えてまいりました。

しか~し、ここで私は安倍総理に申し上げたい!緊急事態宣言時あなたは「他府県への移動は控えるべし」と通達された。それはそれでよいっ。しか~し、あなたはその時この北山村の存在をちゃんと考えていたか!?北山村、村内には小売店が4軒、コンビニが村営1軒。ガソリンの購入については、村役場から約2キロの三重県熊野市育生町や村の北隣の奈良県下が最寄。

他府県に行かねば何もできんではないかっ!!

宣言の中で「他府県への移動はお控えください。ただし北山村村民の村外外出は例外と致します」との例外規定を付け加えるべきだったのではないのかっ!それとも何かっ。450人の飛び地の村など、どーでもいいというのかっ!ドーン(机をたたく音)どうなんだっ安倍総理お答え願います。(国会討論、野党風)

さぞかし北山村村長並びに住民は怒り、不信、疎外感、絶望、悲観、諦観などの感情が渦巻いていたことでしょう。そう思って北山村のホームページを見ると、そんなことは全くなくて粛々と大人の対応をされているのでありました(^^)/

 ↑ 訪問証明書を頂きました。和歌山弁での記述がええわいしょ♪

重伝建を歩きたい(1)湯浅 お醤油の街2020年05月30日

「重伝建」とは、重要伝統的建造物群保存地区の略称です。

城下町・宿場町・門前町・寺内町・港町・農村・漁村といった歴史的な集落や町並みの保存を目的に設けられた国の制度です。

国が優れた建造物を個別に保護する場合、重要文化財に指定しますが、「重伝建」は、一定区域に存在する複数の建物や景観を残すため、「面的」に指定するところがポイントです。

つまり古い街並み景観が残っている地域のことですね。

2019年(令和元年)12月現在、山形・東京・神奈川・熊本を除いた43道府県、100市町村の120地区が文化庁により選定されています。

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/hozonchiku/judenken_ichiran.html


和歌山県では唯一の「重伝建」が湯浅伝統的建造物群保存地区です。

湯浅は古代より熊野参詣の宿所として栄えていましたが、中世に伝わった金山寺味噌の製造に由来する醤油醸造が、近世になって紀州藩の保護を受けて、代表的な産業となりました。(92軒も醤油屋さんがあったという。現在は5軒)

通りと小路の特徴的な地割りで構成され、切妻造平入、本瓦葺を伝統とする街並みに醸造文化の歴史的景観が残っています。 

↑ 醤油発祥の地やいしょ~(^^)/  ※ やいしょ は和歌山弁 = でございます。
醤油発祥の地も諸説ありますが、湯浅の場合、鎌倉時代に同じ紀伊国(和歌山県)の興国寺の僧であった心地覚心(法燈国師)が、入宋時に学んだ金山寺味噌の製法を、湯浅の村民に教えている時に、仕込みを間違えて偶然出来上がったものが、今の「たまり醤油」に似た醤油の原型だとされていて、偶然というところがなんかいいかんじです。
 ↑ 角長さんは現在も醤油づくりを続けている老舗。(創業1841年 天保12年)
 

 ↓ こちらは昔の醸造工場の様子 ボランティアガイドさんによる説明を受けることもできます


私、街歩き好きなんですが、やはり古い街並みはええですね~♪
レトロなポストもいい味出してます。↓


ここ(湯浅町)までくれば、お近くの広川町にも足を延ばしますって、大阪方面へは帰り道になるので、ついでやいしょ~(^^)/

ここには2007(平成19)4月にできた、濱ロ梧陵記念館と津波防災教育センターからなる「稲むらの火の館」があります。


115日は「世界津波の日」に制定されていますがその理由は・・・?

安政元年(1854年)115日に和歌山県で起きた大津波の際に、濱ロ梧陵が自らの収穫した稲むらに火をつけることで早期に警報を発し、避難させたことにより村民の命を救い、被災地のより良い復興に尽力した「稲むらの火」の逸話に由来しています。

(稲村の火の館 ホームページより)

https://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/siryo_inamura.html


濱口梧陵記念館は、濱口梧陵の生家です。展示室には生い立ちから晩年までの資料が展示されています。


そのまま順路を進みますと、隣接した新築の津波防災教育センターへ。
津波のシミュレーション、体験、3Dシアターと防災と津波について学ぶことができます。
湯浅の「重伝建」街歩きと広川町の「稲むらの火の館」。これはもう是非ご一緒に (^^)/
あ、ちなみに両方とも「日本遺産」にも登録されてます!

熊野古道 大辺路 安居の渡し2020年05月29日

紀伊山地の霊場と参詣道は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野参詣道)が世界遺産に登録されています。

前に映画のカテゴリーで書き込みました「道」の先例である「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の最終地であるスペインのガリシア州と、熊野古道の最終地である和歌山県とは、古道の最終地としての永続的な友好関係を確立するために、両古道の「姉妹道」提携を締結しています(^^)/

私、実は「和歌山県世界遺産マスター」なる資格を頂戴いたしまして、世界遺産保全啓発活動などをしております。何しろ広大な世界遺産ですので、「高野地区」と「熊野地区」に分かれてまして私、「高野地区」担当なんですが、もちろん熊野古道の方も大好きです。


熊野古道とは、主に次の6つの道を指します。

紀伊路(渡辺津 ~ 田辺) ※世界遺産登録に含まれていない

小辺路(高野山 ~ 熊野三山、約70km

中辺路(田辺 ~ 熊野三山)

大辺路(田辺 ~ 串本 ~ 熊野三山、約120km

伊勢路(伊勢神宮 ~ 熊野三山、約160km

大峯奥駈道 (吉野 ~ 熊野三山)


皆さん、熊野古道って紀伊山地の山の中、ひたすら歩く道って思ってますよね。まあそうなんですけど・・・大辺路に日置川を渡る渡し舟区間があります。仏坂の入り口です。

大辺路街道で唯一、川を舟で渡る「安居の渡し」があります

昔ながらの川舟で日置川の清流を渡ることができるんですよー♪

和歌山県南紀の河川って綺麗ですが、この日置川も美しい河川です。
渡し舟は対岸までのわずかな区間ですが。。。水の透明度に驚きます。
船が浮かんでいるようなインスタ映え写真も狙えます!(^^)!

安全確保のため船頭さんは2名体制です。


渡し場跡からは仏坂の登りを一気に登ります。ここから、すさみ町の入谷までの間は、自然林に囲まれた尾根道、石畳道が続いて南紀の美しい自然と、歴史を感じることができます。


以前、和歌山市の旅行代理店で勤務していた時、和歌山大学のインターンシップ生を指導して、

国土交通省主催の「水の里の旅コンテスト」に応募するため、現地を視察しました。

 

↑ 乗船券です。もちろん記念にお持ち帰りです。


今回の写真はその時のものです。

コンテスト結果は、学生部門で受賞致しました(^^)/

百間山渓谷のウオーキングも含めた、いいツアーですよ。

国土交通省のホームページから見てあげてくださいませ。

http://mizunosato-ouen.jp/wp/wp-content/uploads/2018/12/b9f1275a43a84ad2351549f96c10f315.pdf

紫陽花の季節2020年05月27日

庭の紫陽花が、色づいて参りました。そろそろ紫陽花の季節です。
以前、このBlogで花の色は青で群生しているタイプが好きと書きましたが、紫陽花もそんな感じで好きな花の一つです。日本のガクアジサイがオリジナルということで、とても日本的な雰囲気を持ってるのではないかと思います。
育てやすいので、家庭や公園などあちこちで見かけますが、お寺なども紫陽花を植えているところ多いですね。

紫陽花の名所ランキングなど検索しますと、関西では三室戸寺(京都府宇治市)、矢田寺(奈良県大和郡山市)、救馬渓観音(すくまだにかんのん)あじさい曼荼羅園(和歌山県上富田町)など、お寺が上位に入ります。

春の花の季節、今年は新型コロナの影響で、拝観中止のお寺が多く、お花見も楽しめませんでした。現在、緊急事態宣言は解除されたものの、厳しい状態が続きます。
紫陽花は咲くのは来月6月~7月。行けるといいのですが。。。


「 夜もすがら月をみむろとわけゆけば 宇治の川瀬にたつはしらなみ 」
光仁天皇勅願の西国第十番札所、観音霊場。三室戸寺です。

本堂は江戸時代のもので、京都府の文化財に指定されています。

時期によっては蓮の花とのコラボレーションも楽しめます。
蓮の花は何といってもお寺にぴったりです!

 ↓境内には 丑と兎と蛇の造形物があります。

三室戸寺に観音詣でをしていた富右衛門というお百姓が、飼っていた弱々しい牛が、観音様のご利益で立派な牛になり、 地域一番の権兵衛の牛に戦い勝ち、その時に得た報奨金をもとに、牛の仲買人として成功したという故事によるそうで、宝勝牛。くわえている牛玉の観音様に触れると、勝運に恵まれるといいます。
三室戸寺本堂前に狛牛と対面しています。応神天皇の皇子、菟道稚郎子が宇治に来られた際、兎が道案内したとの伝承による兎との因縁から、置かれているそうです。やはり球を抱いており、さらにその球の中にある、卵が立てば昇運がつくといわれています。
狛牛・狛兎に続く狛蛇?
宇賀神は財運・金運の蛇神で、頭は老翁、体は蛇で蓮に乗る姿だそうです。
撫でますと、財運(金運)・良運がつくといわれています。

※ 今、ホームページを調べてみますと、奈良の矢田寺様は5月15日から7月15日まで山門を閉門して拝観中止、したがってアジサイ園も中止だそうです。残念ですが。。


絶景の庭園から 明日がみえますか?2020年05月24日

昔、初めてヴェルサイユ宮殿を訪問した時、宮殿そのものよりもお庭に圧倒されてしまいました。

特に、「緑の絨毯」とも呼ばれる、中央部分の芝生。全長335m、幅40m。その両側に彫刻を配して圧倒的スケールでした。やるなー、ルイ14世とやら。

我が家の車1台が停められる広さを誇るお庭に、私も芝生を植えてみました。

少し違う。。なんだか違う。。。いーや、全然違うではないかあ!って・・・

でもガーデニングって楽しいですよね。(新型コロナ期間、やること庭の雑草むしり・・そればっかり)西洋の庭園も美しいのですが、今は日本庭園にも惹かれています。

 

日本の庭園って、大名庭園(普通、お城の近くにある)とか、お寺の庭園なんか有名所ありますよね。日本三名園と呼ばれる金沢市の兼六園、岡山市の後楽園、水戸市の偕楽園は全ていわゆる大名庭園。

お寺の庭園では、やはり京都市でしょうか。龍安寺方丈石庭、詩仙堂(一乗寺)、高桐院(大徳寺塔頭)などなど数多あります。

あと、美術館ですがお庭で有名になった島根県の足立美術館もスゴイですね。私、横山大観画伯、好きなので、そりゃもーたまりません(^^)/

 

私の故郷、和歌山市にもいい庭園がいくつかあります。

① 番所庭園 日本遺産「絶景の宝庫 和歌の浦」


万葉ゆかりの地でもありまして、神亀元年(724年)に、はるばる平城宮から聖武天皇が、お供の公家・宮廷人達と、和歌の浦に行幸されましたが、藤原卿がここ番所庭園の北側に広がる海「雑賀の浦」の漁火を見て、詠まれたと言われている次の歌は有名です。↓

  紀の国の 雑賀(さひか)の浦(うら)に 出()で見れば

   海女(あま)の燈火(ともしび) 波の間()ゆ見ゆ

 


「番所庭園」は「番所の鼻」といい、平坦で海に長く突き出た地形のため、江戸時代に紀州藩が海の防備見張りのため遠見番所を設けた場所の一つです。(番所は十数か所あったといいます)

ここはその中でも、和歌山城に最も近い番所として重要でした。米国ペリーの来航(嘉永六年・1853年)を機に、紀州藩も本格的に海防に取り組み始めました。翌年、安政元年(1854年)に家老三浦長門守御持場「元番所お台場」が、庭園大芝生の所に構築されました。

その後、遠見番所は鷹の巣山頂(場所は近くです)へ移転したので、ここは「元番所」とも呼ばれたそうです。


 ↑ 私もそうなのですが・・・明日が見えない人、多くいらっしゃいますよね。

 ↓ 明日はどっちだーっ!  (明日のジョー?)

 

低めの黒松と石が不規則に並んだ、芝山の眺めは白砂青松(白砂青松とは白砂と青々とした松で造形したもので、日本の美しい海岸の風景を見立てているそう)の様にも感じられます。

島根県の足立美術館の白砂青松を思い出したりも致します。

芝生だけでなく珍しい紀州青石(緑泥片岩)の海岸美も、素晴らしいです。

 


 ↑ テレビドラマ・映画撮影のロケ地定番です


② 「養翠園庭園」 番所庭園から車で10分あれば行けます!

紀州徳川家・第十代藩主徳川治寶により造営された大名庭園です。

松を主体として約33,000㎡の広さがありますが、ユニークなのは海の面している立地から、池に海水を取り入れた汐入りの池。これは珍しい!


庭園内には御茶屋 養翠亭が有り、茶室 実際庵(二畳台目)や左斜め登り御廊下など貴重な遺構が保存されています。季節にはカキツバタが実に美しいです。


関西花の寺 船宿寺2020年05月23日

「霊場巡り」ってありますよね。有名なのは「四国八十八か所」とか「西国三十三か所」とか。

それらとは少し切り口の違う、お寺の廻りかたで、「ボタン寺」、「アジサイ寺」など、「花の寺」と称される関西一円24県の25ヵ寺が集まって「関西花の寺二十五カ所霊場会」というグループがあります。宗旨宗派の垣根を超えた花がご縁のお寺です。それぞれに自慢のお花が咲き誇り、その季節に巡っていくのは楽しいものです。

私、まだ、全部の巡礼達成できていないのですが、訪問したお寺の中で印象的だった一つが「船宿寺(せんしゅくじ)」です。船宿寺は、奈良県御所市五百家にある高野山真言宗の寺院です。



寺伝によると、東大寺の再建に力を尽くした行基が葛城の地を訪れた際に夢枕に老人が現れ、「ここから東の山に船形の石がある。その上に薬師如来像を祀るように」と告げられた。行基は、これに従い、お告げ通りに発見された石の付近に庵を建てたのが始まりとされるそうです。

緩やかな傾斜地に山門や本堂、鐘楼が配置されている優雅なお寺です。



で、お花ですが1,000株ものツツジやサツキが咲き乱れています。裏山を借景にした池泉回遊式庭園も素晴らしいです。本堂前の広場からは西方に葛城山や金剛山が眺められます

本堂前広場の東南隅や本堂下の石段の上がり口には大手毬!これがまた盛大に花をつけて美しいです。



また、寺務所の北側や境内のはずれと思われる西側の場所にも、多くの花が植えられていて、四季それぞれの花を見ることができるまさに花の寺の決定版かと。

新型コロナ、収束したら是非に。ご本尊は「薬師如来」そこから山号が「医王山」。病気平癒を願いたいと思います。

 


主たる花

ツツジ・ヒラドツツジ・クルメツツジ・キリシマツツジ・サツキ

 

四季の花

サザンカ・クリンソウ・ロウバイ・サルスベリ・オオデマリ・サクラ・シャクナゲ・シャクヤク・ツバキ・ヤマボウシ・紅葉・ボタン



御朱印帳もステキです。貼り付け式なのが少しだけ残念なのですが。。


古代との対話 ~ゲンセツに行きたい2020年05月22日

古代史が好きで、よく奈良、特に橿原市~明日香村にかけて出かけました。
ただ、古代の観光資源はほとんどが遺構です。現状はたいてい田畑が広がっててそこに想いを馳せる。。。そんな時、発掘したての現場を見学できるイベントがあることを知りました。
考古学的な発見が大きかった時などよく実施されています。現地説明会、、ゲンセツです!
今は新型コロナウイルスの影響で実施されていないと思いますが。。。以前は良く参加させていただきました。牽牛子塚古墳の時は参加者の行列並びました~。夏の暑さに倒れかけたこと覚えています( ;∀;) 
 ↑ スクラップブックに張り付けた当時の新聞ニュースです。
何といっても明日香における土木工事の女帝、斉明天皇の真墓か!?ですよ~!
これは行かねばなるまい・・・と思った次第です。
なのにその後、かなり歳月が過ぎましたが、宮内庁の治定(車木ケンノウ古墳)はなかなか改められないですねー(というより改めない方針なんでしょうねー)

ゲンセツに行きますと、発掘ほやほやの土器やら、ハニワやらがその場で見学できて感動ひとしおなんですよ~!
特に思い出深いのが2011年2月26日の茅原大墓古墳です!
 ↑ ごれがゲンセツの様子だ!
古墳時代中期初頭頃(4世紀末頃)の帆立貝式古墳(後円部に対して前方部の規模が小さい)のクビレ部から盾持人埴輪、埴輪棺が出土しています。
この盾持人埴輪がそれはもうステキ💛なんです。
盾持人埴輪は、これまでに50箇所以上の古墳・遺跡において出土していて、他の形象埴輪とは異なり、古墳の外縁部に置かれる例が多く、外側の邪悪なものから古墳を守る「辟邪(へきじゃ)」の意味を持つものと考えられているそうです。
いかがですか?古墳を守る守備隊!カッチョいいですよね~!

お顔の表現がたまりませんです。守備隊の割にはあまり怖くない??

また、いつかゲンセツに行ける日を心待ちに。。

葛城古道を歩く 高鴨神社~高天彦神社~葛木御歳神社2020年05月20日

奈良盆地の東に連なる美しい青垣の山裾を縫うように、三輪山の麓から石上布留を通り、奈良へと通じる道。「日本書紀」にもその名が残り、日本最古の道ともいわれる「山の辺の道」が好きで何度か歩きに行きました。個人的に行ったり、お客さんを連れてのガイドや添乗でも行きました。

もう一ヵ所好きな古道に、西の葛城連山の麓を走る「葛城古道」があります。
こちらは個人的に歩いただけで、お客さんをお連れしたことはないです。
でも、専門学校の教員時代、学生たちを案内して、観光に関する論文を執筆してもらいました。
一般財団法人日本ホテルセンター様の「学生観光論文コンテスト」に応募したもらうためです。2015年のことでした。論文タイトルは、資産価値の認識を目的とした観光コースの作成など~語学・観光系専門学校との実務レベルでの「産学連携」の提案~】
結果、最優秀賞は逃したのですが、優秀賞(公益財団法人日本ナショナルトラスト 会長賞)を受賞いたしました~!ああ~懐かしいなあ。。。
このコンテストも2019年度で終してしてるようですが、19回の歴史で、受賞は大学生ばかり。専門学校生が受賞したのはほとんどないと思います。
いい内容ですよ。 是非読んであげてください! こちらからアクセスできます。

葛城古道の道沿いには、古代豪族の 葛城(かつらぎ)氏とか鴨(かも)氏ゆかりの古社が点在しており、神さびた雰囲気が漂っています。。。

こちらは、高鴨神社です。↓
全国の鴨(加茂) 社の総社です。京都にある世界遺産の下鴨(しもがも)・上賀茂(かみがも)両社も、源流はこの神社にあります。
また、4月中旬から5月初旬にかけて500種2,200鉢以上の日本サクラソウが咲くことでも有名です。
ご神木と本殿へ上る階段、鳥居の向こうに拝殿が見えます。↑ 本殿はその奥で天文12年(西暦1543年 室町時代)再建、三間社流造の建造物で国の重要文化財に指定されています。(撮影禁止)

高鴨神社境内の宮池には浮舞台があり、5月に行われる「献花祭」で奉納される雅楽と舞は、「奈良県景観資産」に登録されています。↓
こちらは、摂社東宮で、県指定重要文化財に指定されていますす。 ↑ 
さらに摂社西宮や多くの摂社が境内にはあります。
鴨、「カモ」は「カミ」と同源であり「カモす」という言葉から派生し、「気」が放出している様子を表しているそうです。こちらの神社の神域は鉱脈の上にあることも重なり、多くの「気」が出ているパワースポットとしても有名です。

御所市高天の高天彦神社です。参道はかなり急な山道です。。。↓

↑ 高天彦神社拝殿です。金剛山の麓に建つ神社であり、5世紀ごろに栄えた葛城氏の祖神「高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)」を祀っています。御神体は、背後にそびえる円錐形の白雲峯(694m)です。
そして、この一帯は、古くは日本神話に登場する天孫降臨の「高天原(神々がおわした土地)」といわれています。

↓ 葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)です。全国にある御歳神社・大歳神社の総本社であり、先に訪れた高鴨神社(上鴨社)に対して「中鴨社」と称されています。 
※ 鴨都波神社(下鴨社)もありますが今回はご参拝できていません。また次回是非に!
( 神社ご由緒書きより抜粋 )
「御神名の「トシ」は穀物特に稲、またはその実りを意味する古語で、御歳神は稲の神、五穀豊穣をもたらす神、また、穀物の生長を司る神として古くから崇敬されています。また「トシ」は年に一度の収穫を基準とした時の単位であることから、何か事を始める時にお参りするとよいとされています。
私たちが正月にお祭りし、親しんでいる年神様は、この御歳神、大年神、若年神といわれています。鏡餅は御歳神へのお供え物(依り代)であり、このおさがりのお餅には御歳神の魂がこめられており、これを「おとしだま」と呼んでいたものが今のお年玉の起源であります。。。」
神社名は「みとせじんじゃ」とも呼ばれているそうで、その歴史は古く弥生時代よりの頃より五穀豊穣の神として祭られてきた場所です。
親切な宮司様にご案内いただき、ご神域近くまで入らせていただきました。
いにしえからの空気に満ちたご神域。。。。
宮司様に教えていただき、歩いてきた足元を見ると不思議な植物が! ↓(白い植物)
銀竜草(ギンリョウソウ)というそうです。
ツツジ科ギンリョウソウ属の多年草で、別名がユウレイタケ。。。(-_-;)
森林の林床に生え、花が咲くとき(4月~8月)以外は、その姿は地上では見られないそうです。
いや~、初めて見ましたが、色素がなくて真っ白なんです。
「神さまの使い」かもしれないなー。。。なんて思ってしまいましたです。

手塚漫画と明日香村 謎の石造物2020年05月18日

日本で、いや世界で最も偉大な漫画家であると信じる手塚治虫先生。膨大な作品の中で私が思う代表作は何といっても「火の鳥」です。特に過去と未来を交錯させながら展開する、実質的最終話「太陽篇」が好きです。

過去の部分では、西暦663年、白村江の戦いで倭・百済軍が唐・新羅連合軍に惨敗しするところからお話は始まります。百済王一族の兵士・ハリマは、唐軍に捕らえられ、生きながらに顔の皮をはがれ、狼の皮を被せられてしまいます。狼の顔を持ったハリマは、不思議な老婆に助けられ、老婆、そして瀕死のところを助けた大将軍、阿倍比羅夫と共に倭国へやってきます。物語の舞台は当然、飛鳥の都になります。

日本古来の産土神(漫画では狗族という狐っぽい一族)と仏教の四天王が、実際に戦ったり、当時の仏教が日本に浸透し、天智天やら大海人皇子も登場して、仏教が災いになるだの、いや仏教に帰依するだのといった混乱が描かれています。



↓ 斑鳩、法隆寺の火災事件も描かれています。


手塚漫画は他の作品もすべて傑作ぞろいですが、「三つ目が通る」でも飛鳥を舞台にしたお話があります。飛鳥には誰が、何のために作ったのかよくわからん~??石造物が約20体ほどあるそうです。
その中の酒船石 ↓を扱っています。このお話は多分、松本清張さんのミステリー小説「火の道」にヒントを得ています。そうですねー。私も数ある石造物のうち、これが一番ミステリーを感じて好きです。


酒船石の場所は 亀形石造物 小判形石造物と祭祀場 ↓の横を少し登っていく丘陵の上、竹林の中ですが、発掘調査でこの丘陵は自然のままではなく、版築と砂岩の切石で改造した人工的な丘陵ということがわかっています。

他の石造物もミステリアスで、「誰が、何のために?」と想像力を働かしながら見て回るのは楽しいです。


飛鳥資料館に展示されている石人像  ↑

岩に座った男性に女性が後ろから手をそえているのでしょうか。男性の足元から口まで内部に細い管が通り、途中で女性の口にも分岐しているのだそうで、噴水施設であったと推測されています。

ブラタモリでなんか実験やってましたね。。石人像の風貌から男女のモデルをペルシャ・インドに求める説もあります。うーむ、この時代に遠路はるばる。。。聖徳太子ペルシャ人説、ゾロアスター教説なんかも興味あります('ω') 


猿石 ↑ は4体が吉備姫王墓内にあります。
実に奇妙な人面石像で、猿ではなく渡来人を象ったものといわれています。
4体の像にはその外見から「女」・「山王権現」・「僧(法師)」・「男」とそれぞれに愛称がつけられてます。
高取城への登山道の途中にも猿石と呼ばれる石像が1体だけ置かれている(もとは同じ場所にあったものを移した?)そうなのですが、そこはまだ行ったことがございません。

鬼の雪隠 ↑ 鬼の俎ってのもすぐ横にあります。でかいです!多分、古墳用の石なのでしょうが。。。
他にも亀石・二面石(橘寺境内)・益田岩船などなど。。。どれもステキです💛

前に推古天皇の宮や陵墓について書きましたが、一代おいて即位した女性天皇、皇極天皇、重祚(一度退位して復活~)した斉明天皇は土木工事を多く実施。これらの石造物は、ほとんどが彼女に関係するといわれています。その中で酒船石遺跡が石造物の謎をとく、もっとも重要な遺構なのではないでしょうか。。。

ちなみにこの飛鳥時代、「日本国創成のとき―飛鳥を翔(かけ)た女性たち―」というテーマで日本遺産に登録されています。
「女性が国づくりの原動力
日本で初めての女帝であった推古天皇は、巫女(シャーマン)的要素を備えつつも、仏教の興隆に力を注いだ。従来どおり神々が宿る自然を厚く敬いながらも、新しい仏教を取り込み、いわば神仏が調和した国づくりをはじめた。そして、東アジア世界と正面から向き合った女性でもある。このような女性の力は、次の女帝・皇極(斉明)天皇にも受け継がれている。(後略)」(日本遺産ポータルサイトから引用)