蓮の花 Lotus Blossom2020年08月10日

盛夏、そしてお盆ですね。うちは毎年お寺様の来られるのが早くて、昨日お墓に行って、本日の朝にはもうお寺様がいらっしゃってのお勤めが終わりました。
今年は新型コロナの影響で、お寺様も僧侶の各家庭への盆参りを止めるところやら、様々な対応があるようです。。。

この盛夏の季節、お寺(あるいは仏教)と一番似合うお花、それはなんといっても蓮の花でしょう。
奈良県で蓮の有名なお寺におじゃまして参りました。仏教では、蓮の花の特性から清らかな花として古来より大切に育てられています。蓮は土ではなく泥から芽を出し美しい花を咲かせます。その姿は混沌とした俗世の苦しみの中から現れ、人々を救うみ仏の姿になぞらえられています。仏様の台座に蓮が用いられていることからも、仏教では蓮が大切にされてきたことがわかります。蓮の花言葉は「清らかな心」です。
蓮の花は午前中に花をひらき、午後には花をとじてしまいますので拝観されるなら午前中がよいでしょう。

奈良県五條市の生蓮寺です。高野山真言宗の寺院で古くから安産、雨乞い、晴れ乞い祈祷の請願所でした。嵯峨天皇の皇后懐妊苦悩の時、地蔵菩薩に祈願をこめ、皇子安産報謝のためにその地蔵をこの寺に安置したのがはじまりだそうです。
私が訪問したのは7月ですが梅雨の長雨が続いていまして、ご覧のテルテル坊主です(^^)/

弘法大師空海が高野山に行く道すがら立ち寄ったことから「寄足山(よらせざん)」と呼ばれる生蓮寺は、お寺の名前にちなんで、いろいろな種類の蓮を育て、いまでは120品種300鉢になるそうです。

現在の本尊地蔵菩薩坐像は像高328センチで、永禄13年(1570年)の銘があります。
(堂内撮影ご許可いただきました。)
生蓮寺 蓮の襖絵です。↓

奈良県奈良市の喜光寺です。↓ 聖武天皇がご本尊をおまいりされたところ、ご本尊から不思議な光が放たれ、聖武天皇は大いに喜ばれ、「歓喜の光の寺である」として「喜光寺」の名を賜ったと伝わります。和歌山市在住の友人が蓮の花が見たいとのことで、それならばと2010年に訪問して以来久しぶりに訪問させていただきました。
お寺の歴史は古く奈良時代までさかのぼります。現在では高架道路のすぐ横という立地ではありますが、かつては大阪と奈良をつなぐ旧奈良街道の北に位置し、交通の要衝として多くの人びとが往来する場所でした。
この地域、古くから菅原の里とよばれ、和歌にもよまれた景勝地であり、『万葉集』にも「大き海の みなそこ深く 思いつつ 裳ひきならし 菅原の里」(石川女郎)と詠まれ、「菅原や伏見の里」は枕詞にもなっています。
また奈良時代の高僧、行基菩薩が養老5年(721)に創建。東大寺大仏建立のための布教活動の拠点とした寺であり、行基菩薩はこのお寺で入滅されましので、行基菩薩入寂の寺として2014年平成26年)には行基堂を建立されました。 ↓

本堂は、東大寺造営の際の大仏殿の雛型として建てられたとの伝承から「試みの大仏殿」と呼ばれています。

2010年(平成22年に初めて訪問した時、ちょうど南大門を復興されたばかりでした。
あれからもう10年ぶりなんですね・・・・実は前回は7月に訪問して、その時の方が蓮はきれいでした。このブログの写真は今年のと前回のと混ぜてアップしています。
でも写真も、思い出も色あせることはございません・・・


現在のご本尊は阿弥陀如来、脇侍は勢至菩薩坐像、観世音菩薩坐像です。
(堂内撮影ご許可いただきました)

弁天池には睡蓮も咲いています。↓

境内には室町後期から江戸末期にかけて約150体の石の仏様もおわします。
その中の一体、「春日地蔵」です。↓
錫杖を逆手に持って肩にかけ、横を向いておられるお姿です。春日大社の第三殿、天児屋根命(あめのこやねのみこと)が、本地仏の地蔵菩薩の姿で春日山から雲にのり、地獄に人びとを救いにむかわれる姿だそうですが、お顔がなかなかしゅっとしておられる(^^)/

今は、自宅でこの文章書きながら、Jazz聴いてます(^^♪
曲はもちろん「Lotus Blossom」🎵 ええ、あるんですよ。蓮の花が~
演奏はKenny Dorham Quartet、アルバムは「Quiet Kenny 」で、ジャズを聴き始めたころ購入した1枚です。邦題が「静かなるケニー」とついていて、ジャズってけっこうやかましい音楽だと思っていたのでなんかタイトルに惹かれて買いました。曲はケニー・ドーハムが作曲しています。
ドーハムは蓮だけにハスキーなトーンで印象的なメロディから、トランペットソロを展開します。アルバム全体としても、癒し系の音色で統一されていて心が落ち着きます。
御大、ソニー・ロリンズの「Newk's Time」に収録されている「Asiatic Raes」って曲名違いますがドーハムの「Lotus Blossom」と同じですよね。なんで曲名違うんだろう?「Asiatic Raes」の方は意味がよくわかりません・・・

 ↑ こちらはケニー・バレル1995年録音のギター・トリオ作品。シンプルに美しいメロディーが紡がれていきます。曲は上記のドーハムの曲ではなく、デューク・エリントンの片腕と称されたビリー・ストレイホーンの作品です。ストレイホーン自ら愛奏したそうです。
耽美的な美しさに満ちていて、こちらの方が東洋的な蓮の花に相応しい曲と演奏かも・・・

夏の花 「ひまわり」2020年08月03日

5月に書いたブログで、元薬師寺跡のホテイアオイを夏には見学に行きたいと書いたのですが、橿原市のホームページによりますと、新型コロナウイルスの影響により今年は植付け中止だそうです。そうなんだ。。。残念です💧
でも多年生植物のように植えっぱなしというわけではなく、毎年ボランティアの方々が植え付け作業を行われていたんですものね。
真夏に咲く花は春と比べて限られています。夏に元気をもらえる植物の代表といえばやはり「ひまわり」でしょうか。
以前、旅行代理店で勤務している頃、和歌山市発のバスツアーで兵庫県の佐用町南光ひまわり畑に行くツアーを企画したことあります(^^)/
花見のバスツアーの定番と言えば何といっても桜ですが、桜は開花時期を予想して出発日設定するのがなかなか難しいです。(近年よく開花時期ずれる・・・)
佐用町南光ひまわり畑では夏の間、楽しめるように時期をずらして開花するよう植え付けを設定して下さっていてツアー出発日を決めるのが楽でした(^^♪

今年は、自宅から車で30分ほどで行ける和泉リサイクル環境公園にひまわり見学に行ってまいりました。

ここは産業廃棄物の最終処分場でした。埋立が全て終了してその跡地を、「自然あふれる、憩いの空間」として「処分場跡地のリサイクル」という形で再生した場所です。四季折々のお花が楽しめる公園です。で、入場無料!
  ↓ 園内マップ 木陰の休憩スペースにベンチもある

ひまわり畑、他に私の家の近くですと大阪府堺市の「ハーベストの丘 ひまわり畑」なんかもいいのですが、入園料が大人1,000円(-“-)

ひまわりはキク科の一年草の植物で、漢字で「向日葵」。花は黄色で、種は食用となります。ニチリンソウ(日輪草)、ヒグルマ(日車)、ヒマワリソウ(日回り草)といういい方もありますが、とにかく夏に太陽の方を向いてという漢字が好きですね。英語ではサンフラワー(Sunflower)、フランス語ではソレイユ(Soleil)、やっぱり太陽ですね~

で、ひまわり畑ってけっこう映画のシーンで使われています。何といっても一番有名なのはイタリア映画ですが、映画タイトルはそのもズバリ、「ひまわり」 ↓
ヴィットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニの競演、ヘンリー・マンシーニの甘く切ないテーマ曲が有名な、戦争で引き裂かれた悲しい愛の物語。1970年の洋画興行ランキング5位を記録。今年、公開から50年の時を経てHDレストア版として復活だそうです。映画のシーン、広大なひまわり畑はウクライナの首都キエフから南へ500キロほど行ったへルソン州で撮影されています。
知らなかったのですが、ひまわりの種子生産量はウクライナ が世界一で、二位がロシア (ヒマワリはロシアの国花)だそうです。 なんかイメージ違う。。。

日本映画では何故か?クライマックスシーン、主人公が亡くなるシーンがひまわり畑ってのが多いですね~!

「星守る犬」 監督:瀧本智行
原作は村上たかしさんの漫画、村上さんの漫画はなんせ、ナンセンスギャグ漫画「ナマケモノが見てた」の印象が強く、ストーリー漫画と言われても・・・と思いつつ、よく練られたストーリーに感動しました。犬がカワイイ💛
  ↑ 死体が発見されるところからお話は始まるのですが・・・
映画の方はちょっと微妙かも。ひまわり畑のロケ地は北海道の名寄市日進地区の道立公園「サンピラーパーク」です。
 ↑ 主演は西田敏行さん 終の場所となるはひまわり畑

「瞬間少女」 監督:清水健斗
命の期限が迫った少女たちが入院している病院を抜け出して、やりたいことや、やり残したことを叶えていくというストーリーで、やっぱり最後にひまわり畑。ひまわり畑のロケ地は群馬県の「大岩フラワーガーデン」です。

今年は、全国各地のひまわり園も、「密」になるという理由で閉園のところもあるかもしれません。また、とにかく暑いです!熱中症にも気を付けて!ですね~💦

新・隠れ里紀行 明日香村尾曽2020年07月31日

相変わらず、新型コロナウイルスが猛威を振るう中、政府の「GoToトラベルキャンペーン」や各自治体独自の観光業者救済キャンペーンが実施中です。その是非に関しても様々な方々が、様々な意見を述べられておられますが、実際、観光事業者が壊滅的危機なのは悲しいことです。
日常の足となる交通機関はともかく、バスでも観光バス(事業者)、旅行会社、ランドオペレーター、添乗員、ガイド、観光地の宿泊事業者、お土産物屋さんなどなど。。。つまりは非日常(観光のための旅行)を対象にビジネスを営まれている事業者が特にキツイということですね。
私、以前専門学校で旅行ビジネスの授業をして、学生たちに「観光産業は平和産業、戦争にでもならない限り大丈夫。平和主義国家日本は大丈夫」などとお気楽なことを言っていたのですが、この時代にまさか「疫病」でアウトになるとは想像していませんでした。。。いつかワクチンが開発されて、治療法が確立するまでは当分、生活様式と旅行自体の変革を受け入れなければならないのでしょう。
そんな中、私の旅のスタイルです。① 個人旅行(主に自分だけ・・) ② 移動手段は歩き、原付バイクまたは自家用車利用(つまり近場ですね) ③ 行先はあまり知られていない場所が多い・・・と申しますか行きたい場所がそんな所が多いだけ ④ 平日に日帰りで行く
特にポイントは③でして、例えば日本遺産に登録された、役行者ゆかりの二十八宿など、経塚は大抵険しい山の中であり、これまでに山中で蛇とは何回か遭遇しましたが、人と出会ったこと皆無です~💦
今回のブログの写真も、人が全く写っていない😅

今回は、飛鳥の「隠れ里」行ってきました。この「隠れ里」といういい方ですがそれだけで、もう誰も居ない感、満載でしょ(^_-)-☆
以前、車で何回か前を通過して気にはなっていました。この看板 ↓
明日香村から、談山神社方向に抜ける155号線です。
看板に大和の「隠れ寺」とあるではりませんか!いや、まて〰️「隠れ○○」ってこの先○㎞とかアピールするものなのか?
地域は尾曽(おおそ)です。この橋を渡るとその集落なのでしょう。とりあえずお寺を目指します。
 途中にある表示です。↑道はかなり狭いですがまあこれぐらいなら普通車、何とか通れます。
到着しました!金かめ乗合交通の停留所がありますがこちらは、タクシー車両(ジャンボタクシー)を利用して、事前に予約をされた方々の自宅近く(最寄りの循環バス停留所及び各大字の集会所等)まで迎えに行き、指定の目的地(役場や健康福祉センター、医療機関等)まで運行する「予約制の乗合タクシー」システムです。赤かめバスは周遊型。お寺の奥に駐車場があるとわからずこの付近に車を停車して歩きました。
 ↑ 真言宗豊山派のお寺です。
 ↑ (写真上)山門、入るとすぐ左に地域の集会場の建物も。
(写真中)本堂と弘法大師像 仏像毘沙門天は秘仏で年1回、4月10日公開だそうですが、秘仏ならば、入り口看板に「毘沙門さんで知られる・・・」とのアピールはいかがなものかと('ω')だって、拝観を楽しみにやって来て、がっかりするではありませんか。
(写真下)鐘楼・・・突いてみたい!(^^)! きっと山中にいい響きが・・・
 ↑ 境内には樽を利用したお堂がいくつも。このようなスタイルのお堂は初見です!なかなかアートです。
 ↑ 明日香は水の都とも呼ばれます。。だからでしょうか?鯉のようなお魚に乗られた魚濫観音様も。
 ↑ そして気づかなかった駐車場のさらに奥には四国霊場のお砂踏み道場があります。
これが新しい造作とは思いますが、四国をかたどって、大変丁寧に作られており、感動です。
そしてここからの明日香村の眺めが素晴らしいです。
 ↑ 今回はこれ以上進みませんでしたが、さらに古道が続いているようです。
 ↑ 集落からの遠望です。明日香村、橿原、畝傍山、二上山。素晴らしい!
 ↑ お寺はかなり真言宗、空海様への師事が感じられますが、この石碑によれば、古代明日香村での政争でなくなった豪族への鎮魂を祈念しておられるようでございます。

明日香村、日本の原風景が残る地域。今回さらにその奥の山上の集落を訪問したわけですが、突然ですが、ここで「隠れ里」って何なのか定義しておきたいと思います(-"-)
Wikipediaによりますと「隠れ里(かくれざと)とは日本の民話、伝説にみられる一種の仙郷で、山奥や洞窟を抜けた先などにあると考えられた。「隠れ世」などの呼称もある」だそうです。
私的には ① 山奥や渓谷がいいですね。(海辺で隠れるのはなかなか難しいかも) ② 集落の人口は少なめ(数十戸まで)老人多めというか現実的にそれしかない ③ 住民はインターネットどころかテレビも微妙(いやそれはないか) ④ 住民の生業は農業又は林業、ハンター、但し都会から隠居してきて、芸術活動またはおしゃれな飲食店経営などはオーケー😁 ⑤ 集落の存在をアピールしない・・ってそれでは飲食店経営が難しいかも ⑥ 平家やその他戦で敗れた人の落ち武者伝説があればとても良い(^^)/
そんな感じで勝手な定義をしてみました~。

明日香村は自宅からそんなに遠くないこともあって、よく訪れています。今でこそ日本の原風景が残る村ではありますが、かつての我が国の首都!万葉集の地でもあり遺跡や古墳もいっぱいです。今回、尾曽を訪問したついでに稲渕地区、飛鳥川にひっそりと残る飛び石に立ち寄ってきました。かつて万葉集に詠まれた飛び石です。懐かしい・・・!
 ↓ 15号線側から降ります。反対側からですと車の駐車スペースに困ります💦
 「飛鳥川 明日も渡らむ石橋の 遠き心は想ほえむかも」
(明日も私はこの石橋を渡り、あなたのもとへ向かうでしょう。その想いはこの石橋のように離れずあなたの心の傍にあるのです)
く~っ たまらん💓
 ↑ このところの雨でけっこう増水してまして、濡れてしまいましたが(^^♪

キトラ古墳壁画公開と国営飛鳥歴史公園キトラ地区に行ってきました2020年07月30日

奈良県明日香村の高松塚古墳(特別史跡、7世紀末~8世紀初め)の極彩色壁画(国宝)の修理が完了したそうです。国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開(第30回)に、申し込んだのですが抽選外れました(-“-)

「飛鳥美人」(西壁女子群像)などで知られる壁画は1972年に発見されて、「戦後最大の考古学的発見」と話題になりました。私、「飛鳥美人」を図案化した切手なんかも持ってます(^^)/

この壁画のカビなどによる劣化は2004年に判明。壁画の描かれた石室ごと解体して古墳の外に取り出し、2007年から約13年間に及ぶ修理を続けるという異例の展開をたどりました。

実は2010年(第6回)と2011年(第7回)の文化庁主催による公開に行ったことがあります。

まず当局(文化庁)の方から、いかに保存が困難であり、大切であるかというようなレクチャーを受け、(いや・・・その前の発掘管理がまずかったんでしょ~が!作業員が不注意から壁画を傷つけたことも隠してたでしょ・・1300年間、状態を保たれていたのに、国が管理し始めてから30年余で傷つけてしまったやんかーと皆、心の中で思っている。。)その後、実物を見せていただいたのですが、カビによる破損のすさまじさ~!正直これは酷いと思ったのが印象に残っています。どれだけ修復できたのか見たかったのですが。。。


高松塚から10年後、同じ明日香村で発見されたキトラ古墳壁画公開(第16回)の抽選は当たりましたので行ってきました。こちらの壁画修理は平成28年に完了しています。ともに飛鳥時代の壁画であり、古からの中国大陸や朝鮮半島との交流を今に伝える遺産です。

 ↓ パンフレット

キトラ古墳では高松塚での反省を踏まえ、壁画を石室からはぎとって保存処理。

4年ぐらい前には古墳そばにキトラ古墳壁画体験館四神の館という管理施設ができて、周辺も整備されています。 ↓ なかなかいい感じ

 ↓ コロナ対策を施しつつ開催されてます(~8月16日まで)

抽選は終わってますが、当日、飛び込みで行ける可能性あります。

 ↑ 地下の常設展ではキトラ古墳についての展示やシアターがあります。

高松塚古墳が飛鳥美人で有名ならば、キトラ古墳は精緻な天文図が凄いのでは?!

公開は1階の作業室・展示室となりますが、間隔をあけながら入室します。(1回につき10名ぐらいかな)

で、展示はどうなんだ?見えるのか?と聞かれますと、、、なかなかに微妙でございます。。。💦

 ↑ 今回の目玉はこの朱雀、パンフレットのコピーですがまあこんな感じでで見えますよ(^^)/

 ↓ ちょっと目視が厳しいのがこちら(左)青龍は口から赤い舌が見えるのが限界

 (右)十二支の寅 ・・・ こんなには見えません! 赤い襟のV字型が見える程度です。

他に出土した金具や棺材、装飾品と思われる琥珀玉やガラス玉など展示があります。

壁画は国宝、出土品は重要文化財の指定を受けています。


↓ 歩いてすぐ。キトラ古墳も整備されていて美しい。

7世紀末~8世紀初め頃に造られたと推測されていますが、この頃の古墳は終末期古墳と呼ばれ、古墳時代前期の巨大な前方後円墳から円墳や方墳へと形が変わり、古墳そのものも小さくなる時代です。

さらに少し歩いて、史跡檜隈寺跡地にも行ってきました。第15代応神天皇の時代に渡来した、いわゆる渡来人、阿智使主の居住地跡で、東漢氏の氏寺とされるお寺でしたが、跡地には於美阿志神社が建っています。

檜隈寺は発掘調査によって、金堂・講堂とその基壇・塔・門・回廊・仏堂などが検出されています。伽藍配置は塔の北に講堂があり、南に金堂を置くという独特な配置で、瓦積基壇という工法は、朝鮮半島の寺院で多く用いられているそうです。大量の瓦が出土して、講堂の規模は飛鳥寺や法隆寺西院の講堂に匹敵すると言われています。渡来人大活躍!キトラ古墳や高松塚古墳の壁画絵師、築造にかかわった人物も渡来人なのでしょう。

キトラ古墳が誰の古墳か?というのは不明です。天武天皇の皇子である高市皇子、古墳周辺一帯が「阿部山」という地名であることから右大臣の阿部御主人などの人物説が有力ですが、あるいは被葬者も渡来人のかなり偉い人なのではないかと・・・・

 ↓ 境内には平安時代の十三重(上部欠損あり)があります。

昔、奈良まほろばソムリエ検定のフィールドワークで、この辺り歩いたこと覚えています(^^♪ あの日も暑かった。

その頃はまだ、飛鳥歴史公園、整備されていなかったのですが、ずいぶん変わりました。


以前行った、高松塚古墳壁画修理作業室の公開の際、同行者に買ってもらったマウスパットがマイ宝物となりました。 ↓ これは玄武 もうひとつ朱雀も持っています(^^♪

次回、高松塚古墳壁画修理作業室の公開、また抽選応募するつもりです!

新・隠れ里紀行 かつらぎ町大字東谷「堀越観音」2020年07月23日

白洲正子さんの名著「かくれ里」、そのコンテンツの一つに「滝の畑」があります。白洲さんが高名な考古学者、末永雅雄先生の自宅、大阪狭山市を訪ねます。その時、末永先生から狭山から南に入った山奥に、北条氏直が隠れ住んだ村があり、本当の「かくれ里」だから行ってごらんと勧められます。それが「滝の畑」(河内長野市滝畑)で白洲さんはまず、河内長野の天野山金剛寺に行き「日月山水図屏風」を見てから、滝の畑の集落へと向かいます。そこから見た風景があの「日月山水図屏風」にそっくりでここから描いたものであろうと書かれています。

 ↑ 「日月山水図屏風」 作者不明 (上:右隻・下:左隻)

室町時代紙本著色六曲一双147.0×313.5cm, 重要文化財天野山金剛寺蔵


白洲さんはとにかくこの絵がお好きで、お帰りに再び天野山金剛寺に立ち寄ったとのこと。お好きな理由として、「日月を配したのは、礼拝するための宗教画であったことを示しているが、その原型は山越しの弥陀とか、聖衆来迎の図に求められるであろう。現実に仏を描くことをさけ、日月山水で暗示するにとどめたのは、一つの発展であるとともに、自然崇拝の昔の姿に還ったといえるかも知れない。。。」(かくれ里から抜粋) 

 

そんなかくれ里「滝畑」から、私はさらに車を走らせます。白洲さんも訪れた「光滝寺」も過ぎて「光滝キャンプ場」、たいていの観光客はこのキャンプ場が目的です。が、さらに道は続くのでございます。。。

「光滝寺」のあたりからもし対向車が来たらいったいどーしよう💦な道なのですが、今回1台もすれ違うことなく、昼なお鬱蒼とした道を和歌山県に向かって走ります。

 

そして到着した集落が東谷。


「堀越観音」は正式名称「堀越癪観音」。お寺は、向井家が先祖代々祀っている世襲寺で、境内には、樹齢200年以上と推定される和歌山県指定の天然記念物のさざんかがあります。


癪」(しゃく)ですが、時代劇テレビ番組など見ていると、劇中突然、女性が脇腹をおさえつつ「持病の癪が、、あああ・・・」 とか言いつつ痛みをこらえる場面がよく出てきます。 この「癪」とは、胸や腹のあたりに起こる、激痛の総称で胃痛、生理痛、胆石症、盲腸などから来る腹痛すべてが「癪」と呼ばれるそうです。きっと昔は(いや今も)「陀羅尼助」なんかで治すのでしょう(^^)/

お寺の本尊は修験道の開祖・役行者が、母の癪を治そうと心込めて彫った十一面観音像(秘仏)。


 ↑ 本堂の上には観音堂があり、役小角の像を祀っています。

 ↓ どう見ても弘法大師空海様にしか見えないのですが、役行者だそう。。。う~む。


参道や境内、公園などで植えられているキリシマツツジは約50年前、向井住職と奥様が植栽されたそうです。 ↓ 今は紫陽花も美しい。 


堀越観音のお隣です。こんなところにぽつんと一軒家レストラン!「鳥唄山馨」(トリウタイヤマカオル)は2018630日にオープンだそうで、160年の古民家を改装したという店内は非常に雰囲気があります。

メニューはカレー。私はアイスコーヒーだけいただきました。 

 ↓ 和歌山のタウン情報紙、Lism に紹介されていました。


近くの展望台から… 晴れた日には、眼下に絶景が広がります。と、かつらぎ町の観光案内に書いてあったので、このレストランの横道から、約1㎞とあり、登ってみました。
が、これは失敗でした。ようやくたどり着いた展望台、この季節、雑木が生い茂り全く展望がございませんでした。。。

さらに和歌山側に車を走らせます。この東谷に、平、滝、広口の四つの村を総称して四郷(しごう)といいますが、400年の昔から串柿(お正月飾り)の特産地として、現在に引き継がれています。
JA紀北かわかみによるとこの4地区で、約6万本の串柿を出荷しているそうです。
10月になって秋が深まり、串柿作りが始まると農家の軒先や周囲の柿場(干場)に柿の玉のれんが一斉に吊るされ山里は柿一色に染まります。この風景を写真愛好家が撮影に訪れますが、私も~  (昨年11月撮影です) ↓ 季節外れですみません
串柿は1本の竹串に10個の柿が刺され、2個、6個、2個の順に分かれ、「いつもニコニコ(2個2個)仲むつまじく(中六つ)共に白髪の生えるまで」という願いが掛けられていというのは知りませんでした。最近では、小さい鏡餅を置く家庭に、5個の串柿も生産しているそうです。

のどかな山里からは紀の川の清流を眼下に国道24号沿いの町並みを見渡して、はるか雨引山、龍門山、高野山、大峰山を遠望できます。

烏帽子形城と河内長野のキリシタン遺跡2020年07月20日

NHK大河ドラマ「麒麟が来る」をずっと見ていたのですが、コロナの影響で現在放映中止、「麒麟が来るまでお待ちください」と言われても・・・(‘ω’)
で、NHK大河ドラマの再放送が「太平記」でございます。かなり昔の作品ですね。
吉岡英治原作、主人公は足利尊氏。尊氏の盟友でもあり、宿敵となる楠木正成。少し前の回で千早赤坂の戦いやってましたね。
今、私の住んでいる河内長野市ではゆかりの深い楠木正成を大河ドラマにキャンペーン実施中~!
楠木七城(くすのきしちじょう)は後醍醐天皇の呼び掛けに応じた、楠木正成が鎌倉幕府への抵抗の拠点とするために築城した城砦群で、現在の大阪府南河内郡千早赤阪村・富田林市・河内長野市にかけて城跡が残っています。
千早城・下赤坂城・小根田城(上赤坂城の一部)・桐山城(上赤坂城の一部)・烏帽子形城・龍泉寺城(嶽山城)・金胎寺城の七城で、烏帽子形城が河内長野市には残っており、国指定史跡です。

  ↑ 山上の曲輪と呼ばれる平坦部分の遺構です
 ↑ 遺構としては横堀、土塁、土橋などが発掘調査されています
 ↑ 国指定史跡になってから説明板を各所に整備したのだと思いますが、なかなか詳しい。

烏帽子形城はその後、城主として甲斐荘正治の時に、息子の正房をキリシタン大名の池田丹後守教正の娘と結婚させて、自身も洗礼を受けたそうです。又、同じく城主となった伊地智文大夫は、クリスチャンネームをパウロと言い、妻はキリシタン大名の高山右近の妻と姉妹で、三人の息子をキリスト教の学校で学ばせています。戦国時代の河内長野はこの様にキリシタンがあふれる状況(200~300人ぐらいの信者がいたそう)と、宣教師フロイスの「日本史」の中で書かれているそうです。

天正9年、宣教師ヴァリニャーニ巡察師が、アフリカ人を連れて、安土城で織田信長に謁見しています。信長は、黒人の彼に「弥助」と言う名前を与えて従者としました。
信長は安土城に向かう途中で「烏帽子形」を見たいと、河内長野にも立寄ったそうです(^^)/
本能寺の変で、弥助は信長の危機の際、勇猛果敢に戦い、最後は光秀に捕まりましたが、日本人じゃないから~との事で許されます。その後の行方は不明との事なのですが、このあたり山田芳裕の漫画「へうげもの」にも描かれていました。(謎多い本能寺の変、弥助は真犯人を目撃する!)

そしてなんとハリウッドが映画化したらしいではありませんか!いつ公開されるんだろう?
主演はマーベル・コミックの「ブラック・パンサー」の実写版で大人気を博したチャドウィック・ボーズマン。

外国人侍といえば、トム・クルーズと渡辺謙の「ラスト・サムライ」がありましたが、時代は幕末。
こちらは戦国時代。「ファースト・サムライ」ですねー!
「麒麟が来る」には登場するんだろーか?気になる(^^)/

やがて時代は変わり、秀吉によるバテレン追放令からキリシタン迫害に。
河内長野のキリシタンたちも隠れキリシタンとなり教えを守っていくことに。

烏帽子形城の北端の字端山の一角には、小字で「ヤソブ」と言う地名が残されているそうですが、この石像は烏帽子形城の北西に位置します大日寺の境内西側に残されています。
お地蔵さまのようですが、形はよく見られる舟形ではなく上部に丸みを帯びており、尊像もお顔が中央にあり、全体的に下に偏った感じがあります。また、錫杖は持っておられず、袈裟の形もあいまいな感じではっきりとはせず、手は胸で合掌されているのでは?という珍しい石仏です。昔は、この石仏を「ヤソ地蔵」と呼んだと言われています。

河内長野駅の東側には、石川が流れていて、対岸に十数年前まで新地と呼ばれた飲食店街がありました。現在は住宅地に姿を変えましたが、その北の外れ、諸越橋近くに河合寺川から石川に流れ込む鳴滝という小さな滝があります。今は、誰も気に留めない小さな滝ですが、古くから知られた滝だそうです。「成滝牛神の森 長野村鎮守」と記す文書があり、田植えの終わった後、お神酒を供えて祀ったと言う伝説も残されているそうです。
 ↑ すぐ側の住宅の横道を入り、山側斜面に見つけたお地蔵様。この先にマリア像を見つけたのですが、このお地蔵様もキリシタン遺跡なのでしょうか?お顔が微笑んでいるのが印象的です。
一石五輪塔の隣、裾に大きな花柄のレリーフ、花柄の上から手首にかけてロザリオが見える首の欠落した像が祀られています。(マリア像と思われます)
 ↑ なかなか衝撃的かと!
合掌の先も砕かれています。右手と手首が壊されていますが、キリシタンが迫害から逃れる為、そして信仰の本体を護る為に、わざと尊像を砕いたのではないかと考えられます。この像では指先は、祈りの組み手です。腹部の八弁の花は、アネモネと思われるそうです。
仏様の袈裟ですと波型なのでしょうが、こちらは衣の線が直線的です。これは、神父のガウンを見習ったものと考えられるそうです。
観光的な整備などは全くされておらず、山側斜面の藪の中で静かに佇んでおられます。そして隠れキリシタンの皆さんは新・隠れ里紀行 天見~流谷でご紹介した「流谷」にも移り住み、ひたすらに信仰を守られたのでしょう。。

新・隠れ里紀行 天見~流谷2020年07月17日

白洲正子さんの名著「かくれ里」のパクリです。

私の住んでいる河内長野市はなかなか緑も多く、文化財も多く残っていていい所です。

今回は、河内長野市南部に位置します「天見」(南海高野線天見駅があります)方面行ってきました。和歌山県(橋本市)との境界に位置します。

山深い森の中であるにもかかわらず「天が見える」ところから「天見」という地名になったという説があります。 ↓ 隠れ里にふさわしい風景です(^^)/


国道371号線を河内長野から南下、「出合ノ辻」といういかにも曰くありげな交差点がありますが、そこは南北朝時代の古戦場で、1333(正慶2)の正月に、楠木正成が率いた南朝軍と北朝軍(紀州の御家人)とが、この辻で出くわして「安満見合戦」と呼ばれる壮絶な合戦が行われた場所なのだそうです。

河内長野方面からですとここを右折しますと、「流谷」という集落方向に向かいます。

左折しますと南海天見駅方向です。

流谷「ながれだに」・・これはなかなかに渋い名前ですよね~。くーったまらん!

 

 ↓ 八幡神社、通称「流谷八幡神社」(ながれたにはちまんじんじゃ)

この地にはかつて甲斐荘という京都の石清水八幡宮の荘園があったそうです。それで1039年(長暦3年)16日に石清水八幡宮より八幡神を勧請し、社殿を造営したことが神社創建の起源とされています。

境内にあるイチョウは樹齢400年とされ、大阪府から天然記念物に指定されています。秋にも来てみたいものです。

 ↓ 大イチョウ 今は紫陽花もきれいでした。

 ↑ 縄掛神事も行われています。1039年(長暦3年)石清水八幡宮より勧請された際の御柱渡御古例祭で長さ60mの注連縄を作り、勧請杉と柿の古木との間に掛けます。流谷と天見を分ける結界の意味があり疫病や忌穢れがお互い入り込まないようにします。また注連縄が長く保てば保つほど豊作になると伝わり、注連縄から12本(閏年は13本)の榊束を垂らします。毎年16日または前後の休日に執り行われています。


拝殿内に鉄製湯釜が展示されていました。毎年7月に行われる探湯祭の際に行われる湯立て神事にて利用されていたそうで、湯釜の銘文によると賢覚という僧侶が住民に寄付を募り、流谷八幡宮のため作られたことが記されていて、1340年(延元5年)作とされている製作時期が記された湯釜の中では、全国的にも特に古い年代のものだそうです。

 

今回、一番の目的は日本遺産に登録された「「葛城修験」~里人(さとびと)とともに守り伝える修験道はじまりの地~」における経塚の訪問です。葛城二十八宿は、役小角が法華経八巻二十八品を埋納したとされる経塚です。流谷には第16番経塚があります。

 ↑ え、こっちですか? みたいな所を歩きます。

 ↑ え、ここも登るんですか? みたいな所も登ります。さすが役行者さま。。。

 ↑ 【第十六番経塚】流谷の里 妙法蓮華経 如来寿量品でございます。

お近くにはもう一ヵ所、【第十七番経塚】天見不動 妙法蓮華経 分別功徳品もあるのですが、さらに登山が必要で今回はパスします💦


天見の歴史として、もう一つ興味深いのが隠れキリシタンに関することです。

河内長野は戦国時代、烏帽子形城城主の甲斐庄正治(かいしょうまさはる)がキリスト教の信者で、烏帽子形山の付近には300名ものキリシタン領民が住んでいたというキリシタンの町だったことがあります。1582年にイエズス会の宣教師がローマへ送った報告書に記されているそうです。その後、豊臣秀吉によるバテレン追放令により、キリシタン達は天見の山里に隠れ住んだそうです。当時、そこでも200名ほどの隠れキリシタンがいたそうで、天見の里は隠れキリシタンの里でした。


 ↓ この細い道を上に上がると薬師堂跡が。

流谷奥の薬師堂跡に破壊された十三仏碑があり、この石碑には「1653年(承応二年)十月十五日」の銘と共に「十三体の仏像」が浮彫にされています。さらに20名の信者名が彫られていますが、その中に「テウロ」や「シタニ」、「道金(ヨハキン)禅門」などキリシタンの洗礼名のような片仮名の名が見られるそうです。(残念ながら私には判別できませんでした)

 ↓ この石碑は隠れキリシタンのものではないかと推察されています。

この流谷エリア、飛鳥時代から続日本紀などに伝説的に語られる役行者の経塚と、戦国時代の隠れキリシタンの石碑が共存して残る、まさに長い歴史の中での隠れ里と言えるのではないでしょうか。

流谷から戻りまして「出合ノ辻」を反対方向に行きますと南海天見駅(無人)、ここで行き止まりと見えますが、実は道を下ると温泉旅館「南天苑」に続きます。

「南天苑」は明治・大正を代表する建築家・辰野金吾(代表作は東京駅)が手がけた建物です。

数寄屋造りの本館建物と、四季ごとに装いを変える日本庭園が素晴らしいです。
女将の山崎さんがインスタグラムで、その様子をこまめに発信していて素敵です♪

 ↓ 以前に訪問した時はなかったのですが、専用露天ぶろ付きの別館もオープンされていました。

客室も素敵です。

こちらの旅館も私にとって、大切な思い出のある場所の一つでございます。

映画で旅する世界遺産 第5回 沖縄「勝連城」2020年06月30日

15世紀半ばから約450年間、沖縄には首里城を中心とした王国がありました。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、2000年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。

構成資産は沖縄県に点在する次の9資産です。

今帰仁城跡(なきじんじょうあと)

座喜味城跡(ざきみじょうあと)

勝連城跡(かつれんじょうあと) ← 映画ではこちらが舞台です

中城城跡(なかぐすくじょうあと)

首里城跡(しゅりじょうあと)

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

玉陵(たまうどぅん)

識名園(しきなえん)

斎場御嶽(せいふぁうたき)


映画のタイトルは「私はヒーローそれともヴィラン?よみがえれ勝連城」というなんかややこしいタイトルです。(2017年度 監督:杉山嘉一 主演:福田沙紀)
※ ヴィラン (Villain)は、英語における「悪党」や「悪者」を指す言葉。また「悪役」の事も意味します。女性形はヴィラネス。主人公が女性ですので「私はヒロイン、それともヴィラネス?」の方がいいような気も・・・?
(ストーリー紹介 すみませんネタバレになりますが)
 ↑ ある日、東京から沖縄出身の主人公、華那が帰ってきて親友美鈴にサプライズ再会します。華那は東京で小さな会社の社長でしたが、従業員ともめて故郷にやってきたのです。
 ↑ 美鈴と遊ぼうよと誘うのですが、美鈴はボランティアをしていて一人バカンス・・・つまらない
 ↑ 再度、美鈴を訪ねると、子供たちがボランティアに参加しています。その中で、一人みんなとなじめない子が居るのがほっとけなくなりますが、それがきっかけにもなって、お金にならないことはやりたくないと言ってたのですが・・・自分もボランティアに参加することに。
そのボランティアプロジェクトは、城跡にかつての勝連城を復元させようというものでした。プロジェクトが進行する中で、活動を通して参加した登場人物が抱えた問題や関係性を乗り越えるというわりとありがちな展開ですけど、それはそれで、なかなかいいのではないかと。劇中では実際のプロジェクトで撮影された映像なども使われておりますので、その点ドキュメンタリーのように楽しめる作品でもあります。

私、以前は洋画ばかりだったのですが最近、邦画よく見ます。特にいわゆる「地方創生もの」として作成された作品はその地元の風景・景観その美しさにちょっとした旅行気分を味わうことができます。そしてその場所に行ってみたいという気分にもなります。(それが映画の狙いの一つでもあるんでしょうが・・(^^)/)

世界遺産登録の目的は保護と保全ですので、なかなか映画のロケ地で使用というのも難しいとは思うのです。特に日本では・・・でもこの「勝連城跡」は屋外の遺構でロケ地としていいですね。

阿麻和利が居城した城と伝えられる勝連城跡は、沖縄の城の中で最も古く、築城は12世紀頃から始まっていたと伝えられています。現在の規模になったのは14世紀ごろのようで、阿麻和利は護佐丸を滅ぼし、さらに琉球統一をめざし国王の居城である首里城を攻めましたが、1458年に大敗して滅びたそうです。

 ↑ 負けず嫌いの華那は資材運びや、のぼり旗の制作も頑張ります。

 ↑ 作業後の飲み会で、この勝連城跡からなんと古代ローマの貨幣出土したと聞かされます。


沖縄県のうるま市教育委員会は、世界遺産「勝連城跡」の2013年度の遺構調査で、ローマ帝国のコイン4枚が出土したと発表しました。X線による画像確認などを行った結果、銅貨4枚が34世紀のローマ帝国のコインと判明。皇帝らしき人物の肖像や複数のアルファベットが確認されたということです。ローマ帝国のコインが出土するのは、国内で初めてだそう!勝連城跡にかかわる人物が、例えば南アジア島嶼地域や、西洋世界との接点を持つどこかで入手したと考えられています。

これは何と~!埼玉県秩父市や奈良県などで日本の古代通貨、富本銭や和同開珎などが発掘されたのとはまた違う歴史の面白さがありますね~(^^)/

 ↑ う~ん! 美しい空と海。プロジェクトも完了が近づきます。

しかし、ちょっとした行き違いから美鈴と華那は感情がもつれてしまい、華那は急遽、東京に帰ることに。


 ↑ 心配した仲間たちが二人のために特別なライトアップを用意します。

お互いに心情を吐露して・・・よかった。よかった。

 ↑ ボランティアプロジェクトも大成功。


私、沖縄を初めて訪問したのは40年ぐらい前になります。その時訪問したグスクは中城城跡(なかぐすくじょうあと)で、まだ世界遺産ではありませんでしたが、とても記憶に残っています。

 ↓ こちらは登録資産の今帰仁城跡(なきじんじょうあと)三山時代の北の覇者、北山王の居城です。私が訪問したのは2月ですが、咲いているのは桜です(^^)/

今帰仁城跡からは、琉球王朝発祥の地と言われる、伊是名島と伊平屋島の島影が正面に見え、晴れた日には与論島を見ることもできるそうです。起伏にそってゆるやかな曲線を描く城壁は、1500mの長さ。優美な姿で、ちょっと中国の万里の長城を思わせます。


実は他の城(グスク)もそうなのですが、基本的には遺構です。首里城も跡(すなわち遺構)が世界遺産です。

2019年に、世界遺産が2か所、火災にあう事件がありました。この沖縄の首里城とフランスはパリのノートルダム大聖堂です。首里城は正殿が跡形もなく焼け落ちました。

ートルダム大聖堂の方は屋根の尖塔が崩落しました。世界遺産の建造物が崩れ落ちる映像に、衝撃を受けました。

しかしながら首里城は石造りの基礎部分や柱穴、溝など地下の遺構部分が「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」の一つとして世界遺産に登録されており、1992年以降に復元された建物は、世界遺産の構成資産ではありません。

世界遺産に対する被害は文化庁によりますと、全焼した正殿の地下の遺構表面に2カ所の損傷を確認したが、面積は全体の0.05%とわずかなため「世界遺産の価値に与える影響は軽微」としています。

 ↑ これが世界遺産の遺構だ!

焼失した正殿や北殿などの復元建物については、再建時の資料が残っているため「復旧可能」とユネスコには報告。世界遺産の価値を分かりやすく伝える施設としてまた再建するそうです。

 ↑ 復元建造物とはいえ、見事な建物でした。。。またの再建を!


2000円札の絵柄にもなっている守礼門(懐かしい・・沖縄では今でも流通しているのだろうか?)「琉球は礼節を重んずる国」という意味だそう。中国王朝に向けてのメッセージだったとされています。火災の影響はなかったそうですがこちらも世界遺産ではありません。

 ↓ こちらは世界遺産登録資産 園比屋武御嶽石門


守礼門と歓会門の間にある石でできた門です。軒があり、まるで木造建造物に見えますが、近づいてみれば琉球石灰岩で作られていることに気づきます。国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所で、形は門になっていますが。。。人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」!


新型コロナウイルスの影響もありました。。首里城ホームページによりますと、6月12日から正殿遺構等も公開されるそうです!


頑張れ世界遺産!

大神神社(夏越しの祓)~山の辺の道~狭井神社2020年06月28日

奈良県桜井市に鎮座されます古社、大神神社に参拝、茅の輪くぐりを行ってまいりました。
疫病(新型コロナウイルス)退散祈願ですね。
以前のブログ「宝来山神社 茅の輪くぐりの季節に思う」にも書きましたが、6月末の「夏越の祓え」の行事として行なわれます。御利益は、無病息災、子孫繁栄です。
 ↑ 大神神社の茅の輪は、他の神社では見られないデザインです!(^^)!

 ↑ ご祭神 大物主は蛇のお姿を持ちます


茅の輪くぐりの起源は古く奈良時代より前にさかのぼり、蘇民将来と素戔嗚尊の伝承です。

(旅の途中に宿を求めた、素戔嗚尊を蘇民将来(そみんしょうらい)が貧しいにも関わらず、もてなしたことで「疫病を逃れるために、茅の輪を腰につけなさい」と教えられ、その通りにするとそれ以来、無病息災で過ごすことができました。ちなみに蘇民将来には巨旦将来 (こたんしょうらい)というリッチな弟がいますが、ケチな彼は宿泊依頼を断っています。もちらん弟君には悲惨な結果が・・・)


でもなんで、腰に身に着けるお守りの大きさが、潜れるぐらいにでかくなったんだろー?


大神神社の拝殿奥は禁足地です。普段は神職ですら入れない神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居と瑞垣が設けられています。三ツ鳥居の起源は不詳ですが、本殿にかわるものとして神聖視されてきました。大神神社の茅の輪のデザインも変わっていますが、神社のホームページによりますと、その三ツ鳥居のデザインに併せたとありますが。。。

素戔嗚尊の有名な伝説の一つに「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」退治がありますよね。

この茅の輪がヤマタノオロチのデザインではないかと。つまり大蛇です。そして茅の輪のくぐり方は、八岐大蛇と闘っている素戔嗚尊の動きなのではないかと~(^^)/

 

でも大神神社、630日に行われる「夏越の大祓 みわの茅の輪神事」では普通?タイプの茅の輪で行われている様子・・・


山の辺の道を少しだけ歩いて狭井神社へ向かいます。

狭井神社は、病気平癒の神様です。


 ↓ 霊水がいただけるのですが、以前と違って使い捨て紙コップになってました。
 ↓ そしてご神体三輪山への入山口があります。(現在、入山は午前中の出発のみ)

うむ、いつかは登拝せねばなるまい・・・ 今は暑すぎますです( ;∀;)

 ↓ 蒸し暑い一日!奈良はかき氷が有名。検索してみると、この辺りではこちらがヒット!
山の辺の道、狭井神社から少し歩きます。
 ↓ 宇治金時 自分でシロップをかける(^^)/ 濃くてなかなかおいしい。
以前、明日香村で食べたかき氷もおいしかったな~ また行きたい。
 ↓ さらに少し先には、蓮の花が咲く池なども。
さらに先、檜原神社、いや石上神宮まで歩いて・・・
と思ったのですが、あまりの暑さに今回はこの辺りで引き返させていただきました~(^^)/

日本遺産 「女人高野」 天野山金剛寺2020年06月25日

文化庁より日本遺産の新規登録発表がありました。

文化庁によりますと、213日を「日本遺産の日」(語呂合わせか・・・)として令和2年までに100件程度認定し、それをもって当面の募集終了とするとのことでしたので、今回が最後の認定となりました。

結果につきましては文化庁ホームページ 令和2年度「日本遺産(Japan Heritage)」の認定結果の発表について(619日)に掲載されています。 

文化庁ホームページ

それによれば、69件の申請に対して21件の登録結果となっています。


その中で、「女性とともに今に息づく女人高野~時を超え、時に合わせて見守り続ける癒しの聖地~」いわゆるシリアル型で、大阪府(◎河内長野市)、奈良県(宇陀市)、和歌山県(九度山町・高野町 ◎は申請代表者)が登録されています。

 

日本遺産の登録にあたっては、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定するもので、ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことで、地域の活性化を図ることを目的としています。

今回の「女人高野」の登録では、文化庁は「ジェンダーに関わる日本遺産として重要」と評価したそうです。

このストーリー(物語)を重視している点が特徴で、この制度、私的になかなかエエなあと思っているのでございます。でもこう言っては何ですが、「世界遺産」に比べてあまり騒がれないというか、何それ~?みたいな認知度なのではないでしょうか。。。

 

「女人高野」ストーリーの概要はこんな感じでした。

「高野山は、近代まで「女人結界」が定められ、境内での女性たちの参拝は叶わなかった。そんな時代にあっても女性たちの、身内の冥福を祈る声、明日の安らぎを願う声を聴いていた、「女人高野」と呼ばれるお寺があった。

優美な曲線を描くお堂の屋根、静かに願いを聴いている柔和なお顔の仏像、四季の移ろいを映す周囲の樹々、これらが調和した空間を『名所図会(めいしょずえ)』は見事に実写し、表現した。そこに描かれた「女人高野」は時を超え、時に合わせて女性とともに今に息づき、訪れる女性たちを癒し続けている。」

いかかですか?ちょっとストーリーに沿って旅してみたくないですか?


「女人高野」を構成するのは、河内長野市の金剛寺、奈良県宇陀市の室生寺、和歌山県九度山町の慈尊院、同県高野町の不動坂口女人堂を中心に、関連した彫刻や街道など計25件の文化財です。

 ↓ で、こちらが私の地元、河内長野市の天野山金剛寺です。境内を流れるのは天野川

奈良時代の天平年間に聖武天皇の勅願によって行基が開いたとされる古刹です。弘法大師(空海)もこちらで修行をされたと伝わります。 鎌倉時代末期には100近い塔頭があったそうですが、その後400年のあいだに荒廃してしまいます。しかし、平安時代の終わりに高野山より阿観上人が、この地に住まわれ、後白河上皇とその妹の八条女院の篤い帰依と庇護を受けました。そして阿観上人は、高野山より真如親王筆の弘法大師像を拝受し御影堂を建立し、弘法大師御影供の法要を始められると共に、金堂、多宝塔、楼門、食堂などの伽藍を再興していきます。

そのご縁をもって、金剛寺は、八条女院の祈願所となりました。

再興当時から弘法大師様をお祀りしてさらに女性が弘法大師様にお参りができたこと(当寺は女人禁制のお寺が多かった)、また、八条女院の侍女が阿観上人の弟子となり、二代続けて院主(いんじゅ=住職)となったことから、「女人高野」と呼ばれるようになりました。

現在は、明治時代の廃仏毀釈のためもあり減少して摩尼院、観蔵院、吉祥院を残すのみとなりましたが、それでも、主要伽藍などが戦火に掛からなかったので、貴重な文化財が数多く残されています。(5件の国宝と29件の重要文化財)

 ↑ 楼門と増長天、持国天の二天王立像。(重要文化財)

寺院の門に二天王立像を置く例は、記録では奈良時代以来多く知られますが、その現存例はあまりなく、この二天王立像は門を守護するために造られた二天王立像としては唯一の確証のある例だそうです。おお~、そうなんだ!寺門に置かれる一番多いのは、何といっても上半身裸形で、筋骨隆々の仁王(金剛力士)様ですものね。


天野山金剛寺は実は昨年、「中世に出逢えるまち河内長野」としても日本遺産に登録済みではあります。

南朝・北朝の両行在所があったことでも有名です。

 ↑ 宮内庁管理、北朝の光厳天皇の墓所(分骨所)も境内にあります。


金堂の堂内には中央に本尊の金剛界大日如来坐像、向かって右に不動明王坐像、左に降三世明王坐像を安置されてまして(いずれも2017年度に国宝に指定)。これは密教の曼荼羅の一つである尊勝曼荼羅を立体的に現したものだそうで、この金剛寺にしか存在しない見事なものです。 ↓ 金堂

 ↓ 金堂から楼門方向 境内


 ↑ 観月亭 (御影堂付属) ここからお月見🌝してみたい。


↑ 多宝塔は、 平安時代末の建立で多宝塔としては日本最古!ではありますが、慶長11年(1606年)から12年(1607年)にかけて大改修。さらに平成平成21年より平成30年まで9年間に及ぶ平成の大修理が行われています。

 ↑ 2013年の秋に修理作業現場に入れていただきました。その時の様子です。

間近で見る上重、四手先組物の複雑さに驚嘆致します!


修理の期間、金堂のご仏像も京都国立博物館や、奈良国立博物館に仮住まいされて、そちらにも拝観に行きました。というか知らずに京都国立博物館に行って、最初は気づきませんでした。同行した私の尊敬するソウルメイトが、あのお方(金剛界大日如来坐像)はもしや!?と指摘されてから、近寄って確認させていただいた次第です~💦

ああ、あの頃も懐かしい。。。戻られた今はちょっと秘仏扱いで、普段は格子越しにしか拝観できません。。


お庭は美しい苔に覆われた枯山水庭園ですが、「草行山水自然形の庭園」(う~む、よくわからん)で室町時代に作庭され、その後桃山時代に阿波国徳島藩主・蜂須賀家政が改修、そして江戸時代に雪舟流の家元・谷千柳が現在の姿に改修したとの説明書きがありました。


 ↑ 白洲正子さんの随筆「かくれ里」の表紙にもなっている、日月山水屏風(こちらは2018年に国宝指定)も天野山金剛寺所蔵ですが、こちらも常時公開はされていません。

昔5月5日に訪問した折、たまたま公開日でラッキーだった思い出があります(^^♪