映画で旅する世界遺産 第5回 沖縄「勝連城」2020年06月30日

15世紀半ばから約450年間、沖縄には首里城を中心とした王国がありました。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、2000年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。

構成資産は沖縄県に点在する次の9資産です。

今帰仁城跡(なきじんじょうあと)

座喜味城跡(ざきみじょうあと)

勝連城跡(かつれんじょうあと) ← 映画ではこちらが舞台です

中城城跡(なかぐすくじょうあと)

首里城跡(しゅりじょうあと)

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

玉陵(たまうどぅん)

識名園(しきなえん)

斎場御嶽(せいふぁうたき)


映画のタイトルは「私はヒーローそれともヴィラン?よみがえれ勝連城」というなんかややこしいタイトルです。(2017年度 監督:杉山嘉一 主演:福田沙紀)
※ ヴィラン (Villain)は、英語における「悪党」や「悪者」を指す言葉。また「悪役」の事も意味します。女性形はヴィラネス。主人公が女性ですので「私はヒロイン、それともヴィラネス?」の方がいいような気も・・・?
(ストーリー紹介 すみませんネタバレになりますが)
 ↑ ある日、東京から沖縄出身の主人公、華那が帰ってきて親友美鈴にサプライズ再会します。華那は東京で小さな会社の社長でしたが、従業員ともめて故郷にやってきたのです。
 ↑ 美鈴と遊ぼうよと誘うのですが、美鈴はボランティアをしていて一人バカンス・・・つまらない
 ↑ 再度、美鈴を訪ねると、子供たちがボランティアに参加しています。その中で、一人みんなとなじめない子が居るのがほっとけなくなりますが、それがきっかけにもなって、お金にならないことはやりたくないと言ってたのですが・・・自分もボランティアに参加することに。
そのボランティアプロジェクトは、城跡にかつての勝連城を復元させようというものでした。プロジェクトが進行する中で、活動を通して参加した登場人物が抱えた問題や関係性を乗り越えるというわりとありがちな展開ですけど、それはそれで、なかなかいいのではないかと。劇中では実際のプロジェクトで撮影された映像なども使われておりますので、その点ドキュメンタリーのように楽しめる作品でもあります。

私、以前は洋画ばかりだったのですが最近、邦画よく見ます。特にいわゆる「地方創生もの」として作成された作品はその地元の風景・景観その美しさにちょっとした旅行気分を味わうことができます。そしてその場所に行ってみたいという気分にもなります。(それが映画の狙いの一つでもあるんでしょうが・・(^^)/)

世界遺産登録の目的は保護と保全ですので、なかなか映画のロケ地で使用というのも難しいとは思うのです。特に日本では・・・でもこの「勝連城跡」は屋外の遺構でロケ地としていいですね。

阿麻和利が居城した城と伝えられる勝連城跡は、沖縄の城の中で最も古く、築城は12世紀頃から始まっていたと伝えられています。現在の規模になったのは14世紀ごろのようで、阿麻和利は護佐丸を滅ぼし、さらに琉球統一をめざし国王の居城である首里城を攻めましたが、1458年に大敗して滅びたそうです。

 ↑ 負けず嫌いの華那は資材運びや、のぼり旗の制作も頑張ります。

 ↑ 作業後の飲み会で、この勝連城跡からなんと古代ローマの貨幣出土したと聞かされます。


沖縄県のうるま市教育委員会は、世界遺産「勝連城跡」の2013年度の遺構調査で、ローマ帝国のコイン4枚が出土したと発表しました。X線による画像確認などを行った結果、銅貨4枚が34世紀のローマ帝国のコインと判明。皇帝らしき人物の肖像や複数のアルファベットが確認されたということです。ローマ帝国のコインが出土するのは、国内で初めてだそう!勝連城跡にかかわる人物が、例えば南アジア島嶼地域や、西洋世界との接点を持つどこかで入手したと考えられています。

これは何と~!埼玉県秩父市や奈良県などで日本の古代通貨、富本銭や和同開珎などが発掘されたのとはまた違う歴史の面白さがありますね~(^^)/

 ↑ う~ん! 美しい空と海。プロジェクトも完了が近づきます。

しかし、ちょっとした行き違いから美鈴と華那は感情がもつれてしまい、華那は急遽、東京に帰ることに。


 ↑ 心配した仲間たちが二人のために特別なライトアップを用意します。

お互いに心情を吐露して・・・よかった。よかった。

 ↑ ボランティアプロジェクトも大成功。


私、沖縄を初めて訪問したのは40年ぐらい前になります。その時訪問したグスクは中城城跡(なかぐすくじょうあと)で、まだ世界遺産ではありませんでしたが、とても記憶に残っています。

 ↓ こちらは登録資産の今帰仁城跡(なきじんじょうあと)三山時代の北の覇者、北山王の居城です。私が訪問したのは2月ですが、咲いているのは桜です(^^)/

今帰仁城跡からは、琉球王朝発祥の地と言われる、伊是名島と伊平屋島の島影が正面に見え、晴れた日には与論島を見ることもできるそうです。起伏にそってゆるやかな曲線を描く城壁は、1500mの長さ。優美な姿で、ちょっと中国の万里の長城を思わせます。


実は他の城(グスク)もそうなのですが、基本的には遺構です。首里城も跡(すなわち遺構)が世界遺産です。

2019年に、世界遺産が2か所、火災にあう事件がありました。この沖縄の首里城とフランスはパリのノートルダム大聖堂です。首里城は正殿が跡形もなく焼け落ちました。

ートルダム大聖堂の方は屋根の尖塔が崩落しました。世界遺産の建造物が崩れ落ちる映像に、衝撃を受けました。

しかしながら首里城は石造りの基礎部分や柱穴、溝など地下の遺構部分が「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」の一つとして世界遺産に登録されており、1992年以降に復元された建物は、世界遺産の構成資産ではありません。

世界遺産に対する被害は文化庁によりますと、全焼した正殿の地下の遺構表面に2カ所の損傷を確認したが、面積は全体の0.05%とわずかなため「世界遺産の価値に与える影響は軽微」としています。

 ↑ これが世界遺産の遺構だ!

焼失した正殿や北殿などの復元建物については、再建時の資料が残っているため「復旧可能」とユネスコには報告。世界遺産の価値を分かりやすく伝える施設としてまた再建するそうです。

 ↑ 復元建造物とはいえ、見事な建物でした。。。またの再建を!


2000円札の絵柄にもなっている守礼門(懐かしい・・沖縄では今でも流通しているのだろうか?)「琉球は礼節を重んずる国」という意味だそう。中国王朝に向けてのメッセージだったとされています。火災の影響はなかったそうですがこちらも世界遺産ではありません。

 ↓ こちらは世界遺産登録資産 園比屋武御嶽石門


守礼門と歓会門の間にある石でできた門です。軒があり、まるで木造建造物に見えますが、近づいてみれば琉球石灰岩で作られていることに気づきます。国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所で、形は門になっていますが。。。人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」!


新型コロナウイルスの影響もありました。。首里城ホームページによりますと、6月12日から正殿遺構等も公開されるそうです!


頑張れ世界遺産!

大神神社(夏越しの祓)~山の辺の道~狭井神社2020年06月28日

奈良県桜井市に鎮座されます古社、大神神社に参拝、茅の輪くぐりを行ってまいりました。
疫病(新型コロナウイルス)退散祈願ですね。
以前のブログ「宝来山神社 茅の輪くぐりの季節に思う」にも書きましたが、6月末の「夏越の祓え」の行事として行なわれます。御利益は、無病息災、子孫繁栄です。
 ↑ 大神神社の茅の輪は、他の神社では見られないデザインです!(^^)!

 ↑ ご祭神 大物主は蛇のお姿を持ちます


茅の輪くぐりの起源は古く奈良時代より前にさかのぼり、蘇民将来と素戔嗚尊の伝承です。

(旅の途中に宿を求めた、素戔嗚尊を蘇民将来(そみんしょうらい)が貧しいにも関わらず、もてなしたことで「疫病を逃れるために、茅の輪を腰につけなさい」と教えられ、その通りにするとそれ以来、無病息災で過ごすことができました。ちなみに蘇民将来には巨旦将来 (こたんしょうらい)というリッチな弟がいますが、ケチな彼は宿泊依頼を断っています。もちらん弟君には悲惨な結果が・・・)


でもなんで、腰に身に着けるお守りの大きさが、潜れるぐらいにでかくなったんだろー?


大神神社の拝殿奥は禁足地です。普段は神職ですら入れない神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居と瑞垣が設けられています。三ツ鳥居の起源は不詳ですが、本殿にかわるものとして神聖視されてきました。大神神社の茅の輪のデザインも変わっていますが、神社のホームページによりますと、その三ツ鳥居のデザインに併せたとありますが。。。

素戔嗚尊の有名な伝説の一つに「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」退治がありますよね。

この茅の輪がヤマタノオロチのデザインではないかと。つまり大蛇です。そして茅の輪のくぐり方は、八岐大蛇と闘っている素戔嗚尊の動きなのではないかと~(^^)/

 

でも大神神社、630日に行われる「夏越の大祓 みわの茅の輪神事」では普通?タイプの茅の輪で行われている様子・・・


山の辺の道を少しだけ歩いて狭井神社へ向かいます。

狭井神社は、病気平癒の神様です。


 ↓ 霊水がいただけるのですが、以前と違って使い捨て紙コップになってました。
 ↓ そしてご神体三輪山への入山口があります。(現在、入山は午前中の出発のみ)

うむ、いつかは登拝せねばなるまい・・・ 今は暑すぎますです( ;∀;)

 ↓ 蒸し暑い一日!奈良はかき氷が有名。検索してみると、この辺りではこちらがヒット!
山の辺の道、狭井神社から少し歩きます。
 ↓ 宇治金時 自分でシロップをかける(^^)/ 濃くてなかなかおいしい。
以前、明日香村で食べたかき氷もおいしかったな~ また行きたい。
 ↓ さらに少し先には、蓮の花が咲く池なども。
さらに先、檜原神社、いや石上神宮まで歩いて・・・
と思ったのですが、あまりの暑さに今回はこの辺りで引き返させていただきました~(^^)/

日本遺産 「女人高野」 天野山金剛寺2020年06月25日

文化庁より日本遺産の新規登録発表がありました。

文化庁によりますと、213日を「日本遺産の日」(語呂合わせか・・・)として令和2年までに100件程度認定し、それをもって当面の募集終了とするとのことでしたので、今回が最後の認定となりました。

結果につきましては文化庁ホームページ 令和2年度「日本遺産(Japan Heritage)」の認定結果の発表について(619日)に掲載されています。 

文化庁ホームページ

それによれば、69件の申請に対して21件の登録結果となっています。


その中で、「女性とともに今に息づく女人高野~時を超え、時に合わせて見守り続ける癒しの聖地~」いわゆるシリアル型で、大阪府(◎河内長野市)、奈良県(宇陀市)、和歌山県(九度山町・高野町 ◎は申請代表者)が登録されています。

 

日本遺産の登録にあたっては、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定するもので、ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことで、地域の活性化を図ることを目的としています。

今回の「女人高野」の登録では、文化庁は「ジェンダーに関わる日本遺産として重要」と評価したそうです。

このストーリー(物語)を重視している点が特徴で、この制度、私的になかなかエエなあと思っているのでございます。でもこう言っては何ですが、「世界遺産」に比べてあまり騒がれないというか、何それ~?みたいな認知度なのではないでしょうか。。。

 

「女人高野」ストーリーの概要はこんな感じでした。

「高野山は、近代まで「女人結界」が定められ、境内での女性たちの参拝は叶わなかった。そんな時代にあっても女性たちの、身内の冥福を祈る声、明日の安らぎを願う声を聴いていた、「女人高野」と呼ばれるお寺があった。

優美な曲線を描くお堂の屋根、静かに願いを聴いている柔和なお顔の仏像、四季の移ろいを映す周囲の樹々、これらが調和した空間を『名所図会(めいしょずえ)』は見事に実写し、表現した。そこに描かれた「女人高野」は時を超え、時に合わせて女性とともに今に息づき、訪れる女性たちを癒し続けている。」

いかかですか?ちょっとストーリーに沿って旅してみたくないですか?


「女人高野」を構成するのは、河内長野市の金剛寺、奈良県宇陀市の室生寺、和歌山県九度山町の慈尊院、同県高野町の不動坂口女人堂を中心に、関連した彫刻や街道など計25件の文化財です。

 ↓ で、こちらが私の地元、河内長野市の天野山金剛寺です。境内を流れるのは天野川

奈良時代の天平年間に聖武天皇の勅願によって行基が開いたとされる古刹です。弘法大師(空海)もこちらで修行をされたと伝わります。 鎌倉時代末期には100近い塔頭があったそうですが、その後400年のあいだに荒廃してしまいます。しかし、平安時代の終わりに高野山より阿観上人が、この地に住まわれ、後白河上皇とその妹の八条女院の篤い帰依と庇護を受けました。そして阿観上人は、高野山より真如親王筆の弘法大師像を拝受し御影堂を建立し、弘法大師御影供の法要を始められると共に、金堂、多宝塔、楼門、食堂などの伽藍を再興していきます。

そのご縁をもって、金剛寺は、八条女院の祈願所となりました。

再興当時から弘法大師様をお祀りしてさらに女性が弘法大師様にお参りができたこと(当寺は女人禁制のお寺が多かった)、また、八条女院の侍女が阿観上人の弟子となり、二代続けて院主(いんじゅ=住職)となったことから、「女人高野」と呼ばれるようになりました。

現在は、明治時代の廃仏毀釈のためもあり減少して摩尼院、観蔵院、吉祥院を残すのみとなりましたが、それでも、主要伽藍などが戦火に掛からなかったので、貴重な文化財が数多く残されています。(5件の国宝と29件の重要文化財)

 ↑ 楼門と増長天、持国天の二天王立像。(重要文化財)

寺院の門に二天王立像を置く例は、記録では奈良時代以来多く知られますが、その現存例はあまりなく、この二天王立像は門を守護するために造られた二天王立像としては唯一の確証のある例だそうです。おお~、そうなんだ!寺門に置かれる一番多いのは、何といっても上半身裸形で、筋骨隆々の仁王(金剛力士)様ですものね。


天野山金剛寺は実は昨年、「中世に出逢えるまち河内長野」としても日本遺産に登録済みではあります。

南朝・北朝の両行在所があったことでも有名です。

 ↑ 宮内庁管理、北朝の光厳天皇の墓所(分骨所)も境内にあります。


金堂の堂内には中央に本尊の金剛界大日如来坐像、向かって右に不動明王坐像、左に降三世明王坐像を安置されてまして(いずれも2017年度に国宝に指定)。これは密教の曼荼羅の一つである尊勝曼荼羅を立体的に現したものだそうで、この金剛寺にしか存在しない見事なものです。 ↓ 金堂

 ↓ 金堂から楼門方向 境内


 ↑ 観月亭 (御影堂付属) ここからお月見🌝してみたい。


↑ 多宝塔は、 平安時代末の建立で多宝塔としては日本最古!ではありますが、慶長11年(1606年)から12年(1607年)にかけて大改修。さらに平成平成21年より平成30年まで9年間に及ぶ平成の大修理が行われています。

 ↑ 2013年の秋に修理作業現場に入れていただきました。その時の様子です。

間近で見る上重、四手先組物の複雑さに驚嘆致します!


修理の期間、金堂のご仏像も京都国立博物館や、奈良国立博物館に仮住まいされて、そちらにも拝観に行きました。というか知らずに京都国立博物館に行って、最初は気づきませんでした。同行した私の尊敬するソウルメイトが、あのお方(金剛界大日如来坐像)はもしや!?と指摘されてから、近寄って確認させていただいた次第です~💦

ああ、あの頃も懐かしい。。。戻られた今はちょっと秘仏扱いで、普段は格子越しにしか拝観できません。。


お庭は美しい苔に覆われた枯山水庭園ですが、「草行山水自然形の庭園」(う~む、よくわからん)で室町時代に作庭され、その後桃山時代に阿波国徳島藩主・蜂須賀家政が改修、そして江戸時代に雪舟流の家元・谷千柳が現在の姿に改修したとの説明書きがありました。


 ↑ 白洲正子さんの随筆「かくれ里」の表紙にもなっている、日月山水屏風(こちらは2018年に国宝指定)も天野山金剛寺所蔵ですが、こちらも常時公開はされていません。

昔5月5日に訪問した折、たまたま公開日でラッキーだった思い出があります(^^♪

仲哀天皇 真の陵墓はどこにある!?2020年06月23日

新型コロナウイルスが猛威を振るい、他府県への移動自粛が続くある日の昼下がり、出かけられないならお家でビデオでも鑑賞すべく、近所のレンタルビデオ店に出かけた私は、お店の前を通る国道170号線道路(通称:外環)の向かいに古い石碑を発見致しました。以前のブログに書きましたように私、古そうな石碑とか見ると思わず近づいてしまいまして・・・そして石碑の刻まれた文字を見て驚愕したのでのであります。刻まれている文字は「仲哀天皇御陵」! 


なんですと!?仲哀天皇陵は、藤井寺市の岡ミサンザイ古墳に比定されいるではないか!

早速自宅に帰って、ネットで「仲哀天皇陵 河内長野」で検索しますと。。。記事が出てまいりました。

どうやら、一時期この地が仲哀天皇陵として比定され、御陵があり、それを祀る神社も存在していたらしいのです。

 ↑ 『河内鑑名所記』延宝7年(1679)とその説明です

上原仲哀天皇御廟 

社、拝殿、石段、石の鳥居有り、社僧有り、観音堂は普門寺と号す、正観音御長三尺運慶の作

と記し、絵図には、左上に「御廟のはか山」、下に鳥居と「八まん宮」、その右に「本社」、「はいてん」のほか、階段と階下の大鳥居、参拝者、下方には「うへばら村」の絵。


 ↑ 『西国三十三所名所図会』嘉永6年(1853)全体絵図とその説明です。

上原八幡宮は、上原村の西の丘山にある。街道の西に見える神社。上原村・宗作村・野村の3ケ村の産土神。仲哀天皇宮は、八幡宮の左後ろ上方にあって、石階の下に拝殿がある。


仲哀天皇はあの日本武尊(ヤマトタケル)の御子息であり、あの神功皇后の夫であり、あの応神天皇のパパであるという家系で英雄、ヒーロー、ヒロインにつながります、「古事記」「日本書紀」に記される第14代天皇でございます。ご本人はと言いますと、奥様、ご子息の有名さに比較してやや残念な実績で、九州熊襲討伐のため皇后とともに筑紫に赴いたおり、神懸りした皇后から「熊襲の痩せた国を攻めても意味はない、神に田と船を捧げて海を渡れば金銀財宝のある新羅を戦わずして得るだろう」という託宣を受けたのですが、その託宣を無視して、構わず熊襲を攻め続けます。結果空しく敗れ去り、翌年2月に急死したため、神の怒りに触れたんだーと見なさる始末。その後、神功皇后は三韓征伐という偉業をなすわ、お子(応神天皇)を出産されるわと大活躍されております。

そんな仲哀天皇ではありますが、いったいその御陵はどこにあるのか?

 

「日本書紀」によると、「神功皇后摂政二年冬11月、天皇を河内国長野陵に葬った」とあり、現在ではその比定地は藤井寺市岡の前方後円墳とされていますが、江戸時代の歴史学者、松下見林はその著書「前王廟陵記」で仲哀陵の所在地を河内長野上原村と比定します!徳川綱吉の時代に、歴代天皇陵墓探索があり、幕府がここを仲哀天皇陵として認定します。それ以降竹垣が巡らされて、隣に西山神社が出来ます。

しかしながら「古事記」には「御陵は河内の恵賀の長江にあり」とあるので、大阪府藤井寺市藤井寺4丁目にある現在の岡ミサンザイ古墳(前方後円墳、全長242m)が仲哀天皇陵となりました。

 ↑ 宮内庁管理「仲哀天皇陵」岡ミサンザイ古墳


河内長野上原村の方は1735年刊行の「河内誌」によれば、用明天皇の孫である高向王の墓としています。幕末に行われた「文久の修陵」でも、江戸幕府が岡ミサンザイ古墳を仲哀天皇陵と修陵します。河内長野の方は古墳の形が前方後円墳でないということや、周壕がないなどの理由で否定されたそうです。。。

しかーし現在、岡ミサンザイ古墳は子供の応神天皇陵より新しい古墳と推定されています。これは明らかにおかしいではありませんか!すなわち岡ミサンザイ古墳は仲哀天皇陵とは限りません。というか違うでしょうが~!

 

これは比定のやり直しが必要であろう。そう考えた私はさっそく、河内長野市上原地区発掘大調査団を結成すべく、考古学有志の友人に声をかけたのですが、「コロナが収まってきて、スーパーの仕事が忙しい」とか「最近体調がすぐれず、あいにくその日も腹痛になるであろうことが予想されるので」とか「お前の家の近所に天皇陵?わはは~」など、それぞれの理由により、今回は大調査団の結成は見送られまして、団長=団員(私のこと)1名で上原地区のかつての比定地に調査に向かいました😁

 ↑ 人家の横から、背後の大変狭い山道を登っていきます。黒・白の猫😾ににらまれました。神々の遣いかも知れません。。

土器や埴輪など遺物が露出していないか、注意して歩きますが、発見できたのは近年のものと思われる・・・ビール缶、ペットボトル等でした('ω')

多分、この上が赤峰市民スポーツ広場になっており、そのあたりから風に吹かれて飛んできたりするのかもしれません。。

 ↑ 竹藪が繁っていて平地はあまりない。 古代の池と思われる池も発見!

残念ながら、絵図に描かれている仲哀天応を御祭神とした神社の痕跡すら残っておりません。

資料文献によれば、当時の古墳の扱いはかなり乱暴で、古墳であるかそうでないかということではなく、重要なのは陵墓、つまり皇族の葬地であるかどうかが全てで、陵墓に比定されなければ、その伝承もろとも消え去ってしまう場合が多いのです。土地は民間に売却され、神社の建物は全て処分され、墳丘は畑となり、送電鉄塔が建てられていました。 

 ↑ この辺りが怪しい。発掘調査を行いたかったが、民間所有地につき調査員は、遠望するにとどめたのでございます('ω')


そこには天皇陵の比定と同時に多くの神社について、明治の宗教政策がもたらした喪失と断絶の歴史があったことを知ることもできました。

(このあたりまた別のブログとしていつか書きたいです)

参考文献

秋里籬嶋『河内名所図会』 柳原書店 1975

暁鐘成『西国三十三所名所図会』 臨川書店 1991

尾谷雅比古『近代古墳保存行政の研究』 思文閣出版 2014年 ← こちらは素晴らしい書籍ですが定価7,200円と手が出ません。河内長野市立図書館にて借りました。

山田五平『神功皇后伝説と大阪・奥河内の物語』 一粒書房 2015

外地昇『検証 天皇陵』 山川出版社2016

 

こちらは私の家のご近所に鎮座されます「住吉神社」です。

小さな神社ですがご由緒を読みますと

「当神社は小山田の東南尾上山の丘陵に鎮座し神功皇后三韓征伐の時深く三神に祈願ありて凱旋の後天下を巡行せられし時 和泉の国逆瀬川の上に騰跎船と云う処に御着き遊ばされそれより河内の国に行幸せられし時弓を射てこの矢の落ちたる処を着御の地と御定めになりその時その国境いに名主與三五郎と云う者御迎へに出で御先導申し上げ当神社の南方高天原に御着き遊ばされ給へり

それより攝政五十二年此の地に斎宮を建立せられ給う 三月壬朔皇后吉日を選びて斎宮に入り自ら神主となりて御祭祀され給う最も多くの歴史をもつ尊い宮なり・・・・(以下略)」とあり神功皇后とのゆかりが書かれているではありませんか。

随分な古社ということになります。

 ↑ 参道の途中にある高天原神社 由緒書きにある

騰跎船と云う処に御着き遊ばされそれより河内の国に行幸せられし時弓を射てこの矢の落ちたる処」がココ。 騰跎船という場所がどこなのか、何と読むのかも分からない。。。


なんか空海が密教法具の三鈷杵を、「密教を広めるのにふさわしい地に導きますように」との願いを込めて力一杯投げたら、三鈷杵は流星のごとく飛んで行って、高野山「三鈷の松」にかかっているのを発見しましたってお話と似ている気が。。。。(^^)/


 ↓ 位置関係です。

すぐ近くに夫である仲哀天応陵があるとしたら、全ては繋がるのではないでしょうか?


宝来山神社 茅の輪くぐりの季節に思う2020年06月20日

朝の神社は実に清々しく、気持ちの良い空間と時間を提供して下さり大好きですね。

和歌山県伊都郡かつらぎ町に鎮座されます、宝来山神社に参拝して参りました。



神社の南側に紀の川の清流が流れ、西側は万葉集に15首も詠まれている妹山、背山を望む風光明媚な高台にあります。



創建は宝亀4年(773年)和気清麻呂が八幡宮を勧請し、八幡山と呼ばれたのが始まりとされています。本殿四社は一間社春日造で重要文化財に指定されているほか、中世に神社が鎮座する紀伊国桛田荘(かせだのしょう)は平安時代の末期頃までは京都の蓮華王院(三十三間堂)の管轄地でした。しかし寿永2年(1183)に後白河法皇が神護寺(京都)へ寄進。それ以来、京都神護寺の荘園領地となり、その頃の景観を描いたとされる二枚の絵図(宝来山神社蔵と京都の神護寺蔵)も重要文化財で、中学、高校の教科書に取り上げられています。(絵図は和歌山県立博物館に寄託、拝殿にレプリカを掲げています。)荘園の範囲は紀ノ川と穴伏川に挟まれた一帯です。

 ↑ これが荘園絵だ! あなたもきっと日本史の教科書で見ているはず

 

神社に隣接して、神宮寺である神願寺があります。鎌倉時代には荒廃したのですが、そこに神護寺の復興に尽力した文覚上人が、熊野からの帰りにこの地を訪れ、再興したそうです。

 ↑ 真言宗 弘法大師様の像も建てられています

 

神社の御祭神は、八幡大神・菅原大神・大山祗大神・猿田彦大神の四柱に素盞鳴大神・大国主大神・蛭子大神・少彦名大神・ 稲荷大神・市杵島姫大神を祀ります。

 ↑ 本殿 奥宮へ向かう参道からの撮影
 ↑ 奥宮
素戔嗚尊を祀る神社では必ず実施される行事が、夏越の祓。(6月30日に行う神社がほとんど)

1231日の年越の祓と対になる神事です。この2つの神事をあわせて「大祓(おおはらえ)」と呼ぶそうで、大祓の初見は、『古事記』仲哀天皇の段にあります。どちらも災厄を祓い清める儀式です。 

 ↑ 宝来山神社も6月30日に行われます。今年はとにかくコロナウイルス退散です!

古来日本では、夏を迎えるこの時期、疫病が流行ることが多かったため、厄払いと無病息災のため、茅の輪くぐりが執り行われるようになったと考えられています。

茅の輪くぐりのくぐり方は、神拝詞(となえことば)を唱えながら、8の字に3度くぐり抜けるのが一般的です。

神拝詞は声に出さずに唱えますが、代表的なものは以下のようなものです。(地域や各神社で異なる)

 「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ」

(はらへたまへ きよめたまへ まもりたまへ さきはえたまへ)

茅の輪の茅を引き抜いてはいけないという作法があります。

昔は、この茅を持ち帰ることがお守りになるという迷信がありましたが、現在では茅の輪の茅はたくさんの人の厄を持っているもので、それを持って帰ることは災厄を持って帰ることと考えられています。

宝来山神社では茅の輪の準備はまだでしたが ↑ こちらは丹生都比売神社の様子です

 

民間信仰・神話では、茅の輪は素戔嗚尊(または牛頭天王)から授かった小さなお守りでした。

牛頭天王は京都・八坂神社の祭神であり、祇園祭の行われる7月には「蘇民将来子孫也」と記した「厄除粽(ちまき)」が、夏越祭では小さな茅の輪のお守り「茅之輪守」が授与されます。

八坂神社でも630日に境内に大茅の輪が設置されます。

京都祇園祭は869年、疫病流行を受けた御霊会を起源に始まりましたが、今年は山鉾巡行を取りやめる決定がすでになされています。取りやめは、阪急電鉄の地下工事により中止された1962年以来58年ぶり。感染症との関わりについては、コレラが流行した明治時代に秋に延期したり、5月に実施したりしたこともあったそうですが、本当に残念ではあります。

役行者ゆかりの地が日本遺産に2020年06月19日

もうずいぶん前のことですが、奈良県大峯山の登山口、洞川温泉を旅した時から役行者という人物に興味を持ちまして、最近になってまたゆかりの地など訪ねていました。

本日2020619日付で文化庁から日本遺産の発表があって、その中に和歌山市から奈良県に連なる和泉山脈の『「葛城修験」 里人とともに守り伝える修験道はじまりの地』が含まれていました!おおー!


ストーリーの概要 ↓ (報道発表より)

和歌山~大阪~奈良の境に聳える葛城の峰々。修験道の開祖と言われる役行者がはじめて修行を積んだこの地は、世界遺産の吉野・大峯と並ぶ「修験の二大聖地」と称されています。この地には、役行者が法華経を1品ずつ埋納したという28の経塚があり、今も修験者たちは、その経塚や縁の寺社、滝や巨石を巡ります。そしてその修行にはいつの時代も、この地に暮らす人々との深いつながりがありました。

修験者や地域の人々が大切にしてきた聖地「葛城修験」――修験道の歴史は、ここから始まりました。 


その登録資産となった、和歌山県橋本市の「小峯寺(おみねじ)」に先日行ってきたばかりでした~

(前回ブログ 不動山の巨石 訪問日と同じ日)

 

「寶雲山(ほううんざん)小峯寺」は、延宝6年(1678)に鋳造された梵鐘の銘文に「小峯山は奈良時代、役行者が滞在し、修練したところで、小峯寺はこのときに始まる」、また「山は五色の霧が立ちこめることから、山号を寶雲山、小峯寺の名は修験道の霊場・大和国大峯山に対比していう」という意味の文が記されています。

大峯山に対して小峯。ほ~、ふむふむ。そうだったんだ。

3月の初めには、昔ながらの修験者の儀式が行われていて、大護摩祈祷が山伏とともに営まれ、その護摩を焚いた灰の上を、素足で火渡りも行うそうです。

二實修験道、葛城根本道場としての役目のあるお寺です。これは一度見学せねば!


 ↑小峯寺宝篋印塔(市指定文化財・地上高 180Cm)

南北朝時代後期の天授五年(南朝年号 1379年)の紀年銘を有する貴重な宝篋印塔です。全体的に見てバランスが良く美しいではないですか~。

相輪は下から、やや背の高い伏鉢・単弁請花・九輪・単弁請花・宝珠で完存しています。


紀の川流域では他に、かつらぎ町下天野にある、あの西行法師、妻・娘 宝篋印塔(南北朝時代後期、県指定文化財)がなかなか素晴らしいですね。

 

宝篋印塔墓塔とは、供養塔などに使われる仏塔の一種で、五輪塔とともに、石造の遺品が多いようです。

宝篋とは、宝の箱または宝を入れる籠を意味し、印は、価値の高いことを意味します。

宝篋印陀羅尼を納めた塔を、宝篋印塔と言います。

私、仏像って大好きなのですが、なかなかお写真撮らせていただけませんよね。

その点、屋外・野にある石像・摩崖仏・石仏・狛犬・宝篋印塔・宝塔・多宝塔・五輪塔・石碑などなど石の造作物は、写真撮影できますのでこれまた好きなんですよ~(^^)/


葛城修験「葛城修験二十八宿」は、役行者が法華経八巻二十八品を埋納したとされる経塚です。

経塚の形は、自然石、石祠、五輪塔などまちまちみたいですし、長い歳月の中で不明確になった経塚も多いそうですが。。

高野~熊野~吉野の総本山が連なる山岳宗教の最高峰、紀伊半島中に在る由緒ある修験の道。まだあまり一般に知られてはいないと思いますが、和歌山市の友ヶ島(加太の沖合の島です。近年、天空の城ラピュタのイメージで人気になりました)を一番経塚として出発して、和泉山脈に沿って二十八ヶ所の経塚を全国の修験者の皆様が訪ね巡っています。

「日本遺産登録」、おめでとー!😆⤴️

雨降りだからジャズでも聴こう2020年06月18日

2020618日・・・今日は終日雨でした。

雨の日、基本的に外出しない。気分はどちらかといえば鬱。そんなとこでしょうか。

雨の日、遊びで外出して気分もウキウキだぜーは、まあ普通ないでしょう。。

植草甚一さんの「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」(晶文社)という本があります。

 ↓ 私が持っているのは単行本の方です。

この本のタイトルがおしゃれやなあ。というわけでパクりました。いやすでに多くの方が「雨降りだから~しよう」とパクりまくっている気がします。

 

で、音楽JAZZなど聞いて過ごそーという段取りなのですが。とりあえず何を聴くか?

曲から入ることにしましょう。雨にひっかけて "Here's That Rainy Day" の入っているアルバムでいこう。

楽器はギターが気分かな。ウエス・モンゴメリーにもありますが、ウエスは乾いたイメージにつき、ケニー・バレルで決定~!アルバムは “Soul Call”  "Here's That Rainy Day" は6曲目に入っています。よし!

で、聞きながら読書です。ここで、ハードなジャズファンからは「なんやとお~!流し聞きとは何事ぞ!一音も逃さぬようミュージシャンと対峙するのじゃあ!」とお叱りを受けるところなのですが、まあまあ・・・

ジャズのいいところは楽器だけで演奏されること。(いやジャズボーカルもありますけど、私あまりそっちは好きくないので。だってボーカルつまり歌詞があればそっちに気を取られちゃいますもんね。)

 

"Here's That Rainy Day" もほんとは歌詞つきです(^^♪

作詞/ジョニー・バーク Johnny Burke

作曲/ジミー・ヴァン・ヒューゼン Jimmy Van Heusen

歌詞は ↓ 

Maybe I should have saved those leftover dreams

Funny but here's that rainy day

Here's that rainy day they told me about

And I laughed at the thought That it might turn out this way

 

Where is that worn out wish that I threw aside

After it brought my love so near

Funny how love becomes a cold rainy day

Funny that rainy day is here

 

It's funny how love becomes a cold rainy day

Funny that rainy day is here

 

ケニー・バレルといえば1963年録音、Blue Noteの有名盤 “Midnight Blue” がありますが、

 Soul Call” は1964年録音の Prestige 盤です。録音エンジニアはどちらも Rudy Van Gelder。楽器編成もほぼ同じですが、“Soul Call” はサックスが入っていませんので、よりケニー・バレルのギターサウンドを堪能できます。うん、いいチョイスやな!(^^)!


で、本ですが、何にしようかな。。。

古代史が好きなので、梅原猛さんの著書の中から「神々の流竄」(集英社文庫)でも。梅原さんの著作、文体独特の癖があってなかなか手ごわいのですがまあ面白いです。


84ページに茅の輪行事のお話が書かれています。
そーか、ちょうどその季節だしな~と思いつつ、読み進んでいるうちに。。。つい、うとうと・・・と。気が付いたらケニーバレルさんの演奏など、とっくに終わっているのでございました('ω')
タイトル変更「雨降りだからうたた寝でもしよう」

不動山の巨石2020年06月17日

我が国は憲法で信教の自由を掲げる、素晴らしい国家です。したがって多くの宗教があり、それを信じる人や信じない人、なんでも信じる人、使い分ける人、なんだかよくわかんなーいという人など様々です。
原始的な信仰としてはアニミズムといわれる、自然の中の現象や、山、滝、巨木、巨石などに精霊(あるいは神)が宿る、おわすという考え方。いいと思います。私自身、そういった場所に行ったとき、その考え方、あるいは感じ方、正しいなーって思えることが多々あります。

今回は「不動山の巨石」(和歌山県橋本市)に行ってまいりました。
はい、私けっこう巨石って好きなんですよ(^^)/
山の上です。そんな場所ってたいてい修験道・役行者のゆかりの地、山岳信仰の行場である場合が多いのですが・・・やっぱり今回もそうでした。


西国三十三所のお寺の一つ槇尾山施福寺も山上の寺院で、やはり役行者が、自ら書写した法華経の巻々を葛城山の各所の秘密の場所に埋納し、最後に埋めたのがこの山であったことから巻尾山(槇尾山)の名が付いたとする、地名起源伝承があります。西国巡礼随一の難所と言われており、階段数951段!昔、父親と登ったのを最初にその後、4回ほど参拝いたしました。

そして今回、私の前に立ちはだかる階段は635段!槇尾山施福寺よりは楽さ~♪・・・と思ったのですが、その階段って山上まで、ほぼ真っすぐなんですー!(施福寺の場合は、右に左に斜めに登山していきます)
 ↑ 先が全く見えずに続く・・・
まわり道というのもあり、本来はそちらで登山していたのでしょう。しかし地元村民が、えーい、まだるっこしいわいしょ~。一直線やしてよー。(リアル和歌山弁)と道を通したもの思われます。
ひたすら登ります。途中、ところどころ野草が咲いていて美しい・・・なんて実は、あんまりゆとりないんですが(;^_^A ハアハア・・・
 ↓ 振り返りつつひたすら階段を上ります。
 ↓ 登りきると、山小屋休憩所に区長様からウエルカムメッセージが
 ↓ 休憩所の前の石です。おおっ!楠木正成公もココにいらっしゃったのか!
では、私も同様に腰掛けさせていただきます!(^^)! よっこらしょっと。
 ↓ これが山上の巨石群だ!
環境省選定の「日本の音風景100選」に選ばれております。特に真ん中の大穴に耳を当てて聞くのだそう。
その音が何に聞こえるかは、本人次第だそうですが私の場合は、そうですね・・・ゴーゴーって聞こえてくるそれは何だったのでしょうか?(紀の川の流れの音でしょうか・・・)
和歌山県で「日本の音風景100選」はあと一つ、有名な那智の滝が選定されてるだけなので、なかなか貴重でしょ(^^)/
これが例えば京都などでは、京の竹林(京都市)・るり渓(京都府南丹市)・琴引浜の鳴き砂(京都府京丹後市)というあたりですね。
環境省ホームページ https://www.env.go.jp/air/life/nihon_no_oto/

現在は、永禄年間に信仰を集めたという不動尊が祀られていますが、古代の人々は山腹に突如現れた巨石を、パワースポットとして信仰したのですね。。
これらの巨石は、その昔、役行者に命じられて神である一言主命が、葛城山から金峯山に橋を架けようとしたのですが、人目を避けて昼間しか作業しなかったので、結局石を集めただけに終わって、役行者に怒られた~というとんでもない伝説が残っているあの場所です!
今回は、その伝説を検証するためにやって参りました。伝説にまちがいございません😁
地質学者様によりますと、ここ不動山付近は、地質的には和泉層群で、かつて海底であった時代に堆積した礫岩などが多く見られます。巨石群は、長い時間をかけて表層の土壌が浸食され、礫岩が露わになったもので、この和泉層群は、五條市の大澤寺付近から領家変成岩である花崗岩に変化していくのだそうです。
 ↑ 巨石に我が身を横たえ、空を見上げました。。。。
 風と木々のざわめき、鳥の声、虫の声。。
 ↑ まわり道はこんな感じ。
出発場所には約1時間で戻ってきました。 ハアハアハア。。😅
さあ、巨石マニアの貴方、階段マニアの貴兄、役行者ファンの貴女、「日本の音風景100選」全制覇を企むアナタ(そんな人々いるかって!)も是非チャレンジしてくださいませ! 
ゴゴゴゴゴ・・・(ジョジョの奇妙な冒険風)

ジャズと映画 part3 坂道のアポロン2020年06月16日

映画「坂道のアポロン」を観ました。アニメもありますが実写版です。

2018年公開映画ですので、全然旬な話題ではないのですが。。だって知らなかったんですもの。だってその頃はまだ忙しかったんですもの。。。

原作は小玉ユキさんによる漫画で、「このマンガがすごい! 2009」オンナ編で1位を獲得、第57回小学館漫画賞一般向け部門を受賞というなかなかの作品だったのでございます。 


(以下、どうしても多少ネタバレになります。。。)

青春映画ですね。人間関係は、概ねこんな感じ。

   

 ピアノ        ドラム         ボーカル

西見 薫→  友情  ←川渕 千太郎←  幼馴染💛 迎 律子

        ↓尊敬   💛           ↑親子

桂木 淳一💛友里恵         迎 勉      

トランペット  画学生        ベース

💛関係が典型的でわかりやすくてイイですね~ 薫は律子に💛です


東京のドクター、西見薫はピアノが特技らしく病院で子供に頼まれてちょこっと弾いてみたりしています。彼の机の上には高校時代の写真とロザリオが飾られています。。↓


時代設定とロケ地も最高です!(原作者の出身地)


1966年初夏、男子高校生・西見薫は、横須賀から長崎県の佐世保市にある佐世保東高校に転校、「坂道が忌々しい・・」とつぶやきながら通学している所から物語は始まります。

薫は学校の屋上で誰もが恐れる不良、千太郎と運命的な出会いをします。

薫はクラシックピアノが好きなのでした。↓ 


転校して、クラスメートからは「東京の方から来た、ぼんぼんらしかよー・・・」と陰口をたたかれる中、クラス委員の律子が親切なので、「レコードが買えるところは?」と聞きますと、「うちの家においでよ~」と言われて「それはいくらなんでも早すぎでは~💦」と思いつつ、お家に行きます。するとお家がレコード屋さん!というおちですね。 このレコード屋さんというのがイイですね。

そーそー。この時代、町には本屋さんがあるように、レコード屋さんがあったんですよ。 

↑ 店主(ジャズベースを弾く)の好みでかなりジャズ寄りの品揃えの様子!(^^)!
はい、壁面ディスプレイご覧ください。
マイルス・デイビス  ブラックホーク 
リー・モーガン  ザ・サイドワインダー
ジミー・スミス ザ・サーモン
ジョン・コルトレーン ジャイアント・ステップス などなどが見えるでしょ~(^^)/
く~っ、たまらん!
しかもこの店主、地下室まで作ってスタジオにしてるんです。
律子に誘われて地下室に降りていくと、仙太郎がドラムをたたいています!
東京から学生運動に疲れた大学生純一も、帰ってきて突然ジャムセッションに・・・
薫も参加して、ジャズの集団即興演奏に、ちょっと楽しさを感じていきます
この地下室のレンガ造りの壁、どっかでみたような・・・
薫はお店で、クラシックを買わずに、アートブレイキーのモーニンを買い求めます(^^)/
ええ、あの恐ろしいジャケットの・・・ ↓

数日後、律子に恋心を抱いた薫は頑張って電話で、図書館へ行こうと誘います!
返事はOKだったのですが。。。   ↓ この電話機・・・10円玉・・・くーったまらん!
待ち合わせ場所の教会に行ってみると、何故か仙太郎も一緒で行先は海水浴に・・・
いや~、青春ですね~(^_-)-☆
ロケ地は白浜海水浴場で佐世保で一番大きな海水浴場だそう。水平線まで青く澄んだ海と文字どおり白い砂のビーチ。(和歌山にも同名ビーチありまーす)
↑ 海で偶然出会った年上の友里恵は実は、純一の彼女・・・
そんなこととは知らない仙太郎は、画学生友里恵に絵のモデルなど頼まれて、浮かれています。
これがアポロンだそうで・・・仙太郎はロダンの考える人と区別がつかない様子。
ロケ地は眼鏡岩、平戸藩のお殿様が愛でた「平戸八景」の1つで、高さ10m、横幅20mのびょうぶ状の岩に、巨大な穴が自然にくり抜かれて眼鏡状になった奇岩で、鬼が作ったと言う伝説がありるそうです。

ある日、街のジャズバーで、在日米軍(多分そういう設定)に絡まれます
喧嘩っ早い仙太郎が殴り合いになりそうなところ、暴力では何も解決しないと純一がトランペットの実力を見せつけると
仙太郎のドラム、薫のピアノも加わってスイングします
さらに、純一は達者な英語でジャズボーカルも披露♪ あんたチェット・ベイカーか~
これには米国人達も唖然!拍手喝采 音楽に国境なし(^^)/

薫と仙太郎は、それぞれ家族や出生、さらには失恋で悩んでいて、友情もギクシャクする中、学園祭の季節がやってきて、薫は実行委員をすることに。
仙太郎は、他の生徒達がやるロックバンドに誘われて、そこでドラムを叩くことに。  
↓ なんとなく~な演奏の仙太郎 ファッションが笑える
ところが、ロックバンド演奏中、突然停電になるというハプニング!
メイン楽器のエレキギターが使えません。
実行委員として薫が、停電修理の間を持たせるからと、アコースティックピアノを弾きます。
曲はマイ・フェイバリットシング。これは律子の大好きな曲でした。
「あ、これってサウンドオブミュージックの・・・」と会場が徐々に気づき始めると・・・仙太郎がドラムで参加します!(カッコいいシーンです)
お互いに顔を見合わせ、合図して曲はモーニンに!会場大興奮

仲直りして、やがて季節は冬。教会でのクリスマスコンサートに薫は、律子のボーカルを加えてやろうと提案します。
ところが当日、律子と仙太郎が薫のところへ向かう途中、事故にあってしまいます。

命は助かったものの、責任を感じた仙太郎はいつも肌身離さずつけていたロザリオを外して去っていったのです。

そして10年後、病院で勤務する薫のもとに純一と友里恵がやってきて一枚の写真に偶然、仙太郎が写っていたことを知らせてくれます。それは教会の結婚式の写真で、仙太郎の神父姿でした。薫は佐世保で10年ぶりに律子と再会、律子を誘って二人で仙太郎に会いに向かいます。
島の密度は日本一、常緑広葉樹の森が水面に影を落とし、波静かな浦々の九十九島です!
九十九島の一つ、黒島にある黒島教会です。世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」構成資産の教会堂は、今も祈りの場として使用されています。
江戸時代後期、平戸藩が入植を認めると外海や生月(いきつき)島の潜伏キリシタンが多く移住しました。最初に常駐したマルマン神父が、基礎に特産の黒島御影石を積み、40万個のレンガを使い、1902年に祝別したロマネスク様式の美しく荘厳な教会です。
そーか、仙太郎、こんないいとこで神父見習いをしていたのか~。教会からドラムの音が聞こえるぞーって走り出す二人。
↑ 感動の再開シーンです!
あまり言葉は要らない!すぐに演奏が始まります!マイ・フェイバリットシング。
薫が言います。あの時言えなかった・・・僕の好きなもの「それはこの時間なんだ!」
仙太郎が合図します!あの時できなかった律子のボーカル・・・さあ、今だっカモン
この映画では演奏のシーンで、お互いに顔を見合わせ、目で合図してノッていくシーンがとてもクールなんです。ジャズという音楽の特徴であるコレクティブ・インプロビゼーシヨン(集団即興演奏)が表現されています。
 ↓ エンドロールは・・・
やっぱ、レコードですよね~ いいなあ、懐かしいなあ。。。

アニメも見てみようと思ってます。全12話、各エピソードにジャズの有名曲のタイトルがふられています。。。

#1 モーニン(Moanin'

#2 サマータイム(summertime

#3 いつか王子様が(Someday My Prince Will Come          

#4 バット・ノット・フォー・ミー(But not for me           

#5 バードランドの子守唄(Lullabys of Birdland

#6 ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラブ・イズ(You don't know what love is            

#7 ナウズ・ザ・タイム(Now's the time

#8 ジーズ・フーリッシュ・シングス(These foolish things

#9 ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー(Love me or leave me

#10 イン・ア・センチメンタル・ムード(In A Sentimental Mood   

#11 レフト・アローン(Left Alone

#12 オール・ブルース(All Blues

放映されたのは2012年ごろとかなり以前だったんですね。。。だって知らなかったんですもの~

高野山と犬たちのお話2020年06月06日

私、ラブラドールレトリバーの黒犬を飼っていたことがあります。

名前はジョンと名付けました。

犬の名前としては、最も平凡と思わせて・・・私が好きなジャズプレイヤー John William Coltraneから名付けてます(^^)/ 色も黒ですしね~。

↑ 犬のジョン 在りし日の雄姿  ↑ ジャズプレイヤーのジョン 在りし日の雄姿

ええ、犬・猫は好きですね。猫を飼ったら、マイルスって名前つけるつもりです。(マイケルじゃないですよ。)はい、ジャズトランぺッター Miles Dewey Davis III からパクります。

でもどっちかといえば、私には犬の方がなついてくれる気がします。

 

高野山の麓、九度山町に世界遺産の登録資産にもなっている、古刹「慈尊院」(弥勒菩薩の別名)があります。


こちらのご本尊は弥勒菩薩様ですが、秘仏で何と21年に一度の御開帳です。(21年に一度桧皮屋葺替の際、ご本尊をお移しのために。弘法大師空海の命日が21日ということに因んでとの説もあり)

はい、前回の御開帳の際、拝観させていただきました~!(^^)!

この国宝仏ですが、専門家の眼に初めて触れたのは、昭和35(1960)のことだそうです。国宝に指定されるほどの見事な傑作仏像が、新たに発見されるなどということは、めったにある事ではないと思います。

明治17(1884)、国より調査依頼を受けたアーネスト・フェノロサと岡倉天心が、法隆寺夢殿厨子と救世観音菩薩像の公開を法隆寺に求め、長い交渉の末、公開されたという事件に匹敵するのではないでしょうか。(現在、救世観音菩薩は春・秋年2回御開帳)

昭和に入ってからの発見では、昭和12(1937)の興福寺(旧山田寺)仏頭の東金堂本尊台座下からの発見にも匹敵するかと。(こちらは仏頭のみ。現在は興福寺国宝館にて常時拝観可能です。)

話が仏像にいってしまいましたが、慈尊院は弘仁7(816)、弘法大師が高野山開創の時、高野山参詣の表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置いて、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とされたのが始まりだそうです。また弘法大師の母君 (玉依御前 : たまよりごぜん)が香川県善通寺より、我が子空海の開いている山を一目見たいとの思いから、高齢にも関わらず慈尊院に参られ、ご本尊弥勒菩薩を篤く尊崇せられたそうですが、母君が亡くなられた際に弘法大師は、廟堂の建立と弥勒仏を自作して、母君の霊を安置されたと伝わります。

 

そんな慈尊院に昭和60年代に、紀州犬と柴犬の雑種が住み着きました。慈尊院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、つけられた名前は「ゴン」(^^)/

↑ 【新装版】高野山の案内犬ゴン ハート出版


何とこのゴン、最初の頃は九度山駅と慈尊院の間を参拝者を案内するのですが、そのうちに高野山町石道の約20kmの道のりを朝、慈尊院を発って、夕方に高野山上の大門まで道案内し、(慈尊院からスタートして大門まで8時間ほどかかります!)夜には慈尊院に戻るという毎日を送るようになったのです!

 ↑ 町石道の起点です    右写真は丹生官省符神社から慈尊院方向を撮影
慈尊院から境内を抜けて階段を上がりますと、弘法大師によって創建された丹生官省符神社です。
 

1200年前、弘法大師空海が高野山を開くに際して、狩場明神とおっしゃる神様と出会ったとき、猟師の姿をして2匹の黒犬を連れていたそうな。

 ↓ こんな感じ

ゴンは2002655日は弥勒縁、弘法大師母君命日!)息を引き取りました。

「弘法大師の案内犬の再来・生まれ変わり」「お大師さんの犬」などと参詣者から親しまれ、愛されてきたゴンを惜しみ、慈尊院境内の弘法大師像の横に「高野山案内犬ゴンの碑」が建てられています。

 ↑ なかなかカワイイ


(後日談)2000年6月5日(初代の命日)からゴールデンレトリバーの雑種で2代目ゴンが飼われているそうです。ただ2代目は参拝客をどこにも案内はしないそうでございます(‘ω’)

※ 地元の方からすでに2代目もお亡くなりになったと聞きました。

3代目は今のところ居ないようです。。。

 

高野山中腹の神社、丹生都比売神社にもご神犬「すずひめ号」「大輝号」が居られます。

行事の際にのみご登場とのことで、私はまだお会いできておりません。。。