古代史探訪 推古天皇陵と叡福寺2020年05月14日

※  今(2020年5月)旅行・お出かけ系のブログをアップすると誤解されそうなので。。
訪問時期は以前です。その頃は、忙しくてブログ書いていられませんでした。それが今は。。。そんなわけでございます(;´д`)

王家の谷というエリアがあります。
エジプトのテーベ(現ルクソール)のナイル川、西岸位置する岩山の谷にある岩窟墓群です。
ここに古代エジプトの王族達の墓が集中していることからです。現在、24の王墓を含む64の墓が発見されているそうです。1979年に「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界遺産にも登録されています。

日本ってそういう世界の有名地を「日本の○○」という言い方するのってけっこう好きですよね。私も好きです(^^)/
例えばペルーの世界遺産マチュピチュは、日本のマチュピチュ「竹田城跡」(兵庫県)、イタリアの世界遺産アマルフィは、日本のアマルフィ「和歌浦」(和歌山県)などなど、いっぱいあります。
でも実際に行ってみますと、オイオイ違うぞーって言いたくなるものがほとんどなのですが、そりゃあ当たり前でしょー('ω')

大阪は南河内郡太子町界隈の「近つ飛鳥」エリア(ここには日本最初の官道である竹内街道が通っています。)には、敏達天皇(30代)、用明天皇(31代 聖徳太子の父)、推古天皇(33代)、孝徳天皇(36代)の陵墓や叡福寺の境内には聖徳太子の御廟があります。ほかにも遣隋使小野妹子の墓や多くの古墳があり、このエリアは日本版「王家の谷」と呼ばれています(^^)/

大阪の「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録されて、古墳ファンも増えたとのことですが、普通の観光地とは違って、(宮内庁の治定が正しいかどうかは別としても)お墓であることは間違いありません。尊厳を保つようにしたいものです。まあ、古墳って、現在ではほとんど森としかみえませんから、ポイントはやはり想像力で古代の風景やロマンに想いを馳せることでしょうね~!

私、古代史が大好きで、今回は黒岩重吾さんの小説「紅蓮の女王」を読んで、日本の王家の谷エリアにいってまいりました~

「暗雲はらむ古代日本。大王家をめぐって権謀が渦まくなか、絶世の美貌の身を恋の激情にゆだねる炊屋姫。そして、強敵物部氏を滅亡に追いつめてゆく、冷徹な政治家蘇我馬子。
二人の像を中心に、推古女帝即位にいたる激動の古代を彩る人間ドラマを鮮かに描いた、壮大な歴史小説。」(「BOOK」データベースより)
小説では蘇我馬子のキャラクター描写が秀逸で、是非ドラマ化希望!って古代史のテレビドラマってほとんどないんですよね~
推古天皇(炊屋姫)役は何といっても高島礼子さんかな。でもご年齢がな~。(推古天皇即位前で30歳ぐらい~)、鈴木京香さんもいけそうだが、ご年齢がな~。なんでもこなせる女優、綾瀬はるかさんはどうだ?ちょっと違うか?そうだ。。波留さんでいこう!
彼氏の三輪 逆(みわのさかう)は誰がいいだろー?高橋克典さんあたりか。マッチョな警備担当武士という役柄です。でもまあ男優は誰でもいいやって。。オイオイ(*'ω'*)
権謀術策をめぐらす蘇我馬子は誰にしようかな。ライバル激情的性格の物部守屋は誰がいいだろーて、番組プロデューサーにでもなった妄想です。。


日本初の女性天皇(諸説あり)、お会いしたかったです~。というわけでこちら↑ 陵墓でございます。
磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)大阪府南河内郡太子町大字山田。子の竹田皇子との合葬陵墓。遺跡名称は「山田高塚古墳」。墳または長方墳だそうです。
参道が整備されており、ご参拝しやすいです。

こちらから、畦道を通って二子塚古墳にも歩いて行くことができます。二子塚古墳は墳形が双方形という特異なものです。双方墳という特異な形式は、合葬が一般化する古墳時代終末期の風習を受け、生み出されたと推測されていて被葬者は不明とのことですが、こちらが推古天皇・竹田皇子の真の合葬陵墓とする伝承があるそうなんです!なのでぜひ両方ご参拝くださいませ。

二子塚古墳から推古天皇陵 ↑(二子塚古墳西方約200メートル)

こちらは用明天皇陵墓、↑ 用明天皇は推古天皇の兄、聖徳太子の父。

そして叡福寺。こちらに聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳(磯長墓〈しながのはか〉)があります。(諸説あり)寺伝によれば、聖徳太子は生前、推古天皇28年(620年)にこの地を墓所と定めたというでございます。

境内は静謐な空間が広がります。

聖徳太子御廟です。
ちなみに2021年は聖徳太子が薨去(こうきょ)されてから1400年を迎える節目の年となっています。
聖徳太子ゆかりのお寺巡りなどもしてみたいなーと思いつつ。。。合掌

二上山に登る2020年05月10日

二上山、いつかは登らねばなるまい。。。と勝手に思っていました(^^)/

自宅(大阪府河内長野市)から奈良方面に車で向かうとき、いつも国道165号線(並行して竹内街道)を使っていました。二上山の南麓を通過します。
二上山は、奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山で、北方の雄岳(517m)と南方の雌岳(474m)の2つの山頂があるいわゆる双耳峰です。石器に使われた讃岐岩(サヌカイト)の産地で、旧石器時代からの遺物が出土しています。また、太子町側は、「近つ飛鳥」(河内飛鳥)と呼ばれて、陵墓・古墳など、遺構が多く残っています。古代史ファンにはたまらないエリアですね。
今回は太子町側から雌岳を目指し、次回奈良側から雄岳を目指すことにしました。
(ちなみに初心者登山に向くと紹介されており、充分一日あれば雌岳、雄岳両峰回れます。)

二上山山麓公園、「万葉の森」駐車場に車をパーキングしてウオーキングスタート。


道はすぐに二股に分かれます。左が国史跡跡鹿谷寺(ろくたんじ)方向で、以前から行きたくてしょうがない場所でしたので、まずそちら方向へ。こちらはすぐに急斜面になりますが、なんとか登り切りました。


鹿谷寺は日本に現存する唯一の本格的な石窟寺院跡といわれ、奈良時代に作られたそうです。
現在は、十三重の多宝塔、岩窟に彫られた如来三尊坐像の線刻などしか残っていませんが、この十三重の石塔のレプリカが「近つ飛鳥博物館」にありまして、それを見て是非実物を見たいと思っておりました。石窟寺院といえば中国の敦煌にあります世界遺産「莫高窟」が有名ですが、日本にもここに存在していたんだなあと感激です。この周辺から日本最古の貨幣といわれる、「和同開珎」も出土したそうです。この山中に古代の貨幣が埋まっていたなんて!



鹿谷寺跡からけっこう尾根道を歩きます。途中にも展望台があり、景色を楽しむことができます。
そして30分ほどで、ついに雌岳山頂に到着!



山頂からの展望を楽しみつつ、ゆっくり休憩をとります。
(雄岳の方は、今回は行きませんがそちらからよりも展望が開けているらしいです)
大阪方面は大阪市内の高層ビル群や、遠く明石海峡大橋まで。
奈良方面は大和三山をはじめとする奈良盆地を見渡すことができます(^^)/

帰りは別ルート(周遊するよな感じになります)で、途中のポイントはまず、「石切り場跡」。ここで切り出した石が高松塚古墳の石棺などに使用されたそうで、それで、案内板が高松塚なんですね!
石は凝灰岩で、色が白っぽいことから二上山白石(しろいし)と呼ばれているそうです。



「石切り場跡」からしばらく下りますと、中将姫が當痲曼陀羅をここで織ったと云われている「岩屋」があります。こちらも古代の寺跡で、石窟になっていますが中を覗きますと、石塔が見えます。奈良時代の築造とのこと。
石窟の内部中央には3層の多層塔や石塔台座下部に涌水を溜める小さな坑、壁面には三尊立像の浮き彫りも見えますが、さすがにこれは剥落が著しく、光背部分の識別が辛うじて確認出来る程度です。
石窟上部の壁面には、何か所か円形の水平坑が穿たれているため、木造の覆屋構造があった可能性があると説明されています。



すぐ近くには樹齢約千年、高さ28m、根周り5.8mの「岩屋杉」が今は静かに横たわっています。



この辺りからの帰り道はおおむねなだらかです。
10時頃に登山開始したのですが、午前中には戻ってこられました。
二上山、単なる山歩きではなく、古代史の遺跡が随所にあって、いわば古代史ロマンの旅、楽しめました~。

古代遺跡としては雄岳山頂付近に「大津皇子」の墓と宮内庁により比定されている古墳※もあり、これはまた雄岳を目指して行かねば~!
※二上山山麓の鳥谷口古墳(奈良県葛城市染野)を真墓とする説が有力です。

大伯皇女が、藤原京から弟の大津皇子が眠る二上山を眺めて詠んだ歌
「うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)とわが見む」
これは泣かせてくれますね~(;_;)