二上山に登る2020年05月10日

二上山、いつかは登らねばなるまい。。。と勝手に思っていました(^^)/

自宅(大阪府河内長野市)から奈良方面に車で向かうとき、いつも国道165号線(並行して竹内街道)を使っていました。二上山の南麓を通過します。
二上山は、奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山で、北方の雄岳(517m)と南方の雌岳(474m)の2つの山頂があるいわゆる双耳峰です。石器に使われた讃岐岩(サヌカイト)の産地で、旧石器時代からの遺物が出土しています。また、太子町側は、「近つ飛鳥」(河内飛鳥)と呼ばれて、陵墓・古墳など、遺構が多く残っています。古代史ファンにはたまらないエリアですね。
今回は太子町側から雌岳を目指し、次回奈良側から雄岳を目指すことにしました。
(ちなみに初心者登山に向くと紹介されており、充分一日あれば雌岳、雄岳両峰回れます。)

二上山山麓公園、「万葉の森」駐車場に車をパーキングしてウオーキングスタート。


道はすぐに二股に分かれます。左が国史跡跡鹿谷寺(ろくたんじ)方向で、以前から行きたくてしょうがない場所でしたので、まずそちら方向へ。こちらはすぐに急斜面になりますが、なんとか登り切りました。


鹿谷寺は日本に現存する唯一の本格的な石窟寺院跡といわれ、奈良時代に作られたそうです。
現在は、十三重の多宝塔、岩窟に彫られた如来三尊坐像の線刻などしか残っていませんが、この十三重の石塔のレプリカが「近つ飛鳥博物館」にありまして、それを見て是非実物を見たいと思っておりました。石窟寺院といえば中国の敦煌にあります世界遺産「莫高窟」が有名ですが、日本にもここに存在していたんだなあと感激です。この周辺から日本最古の貨幣といわれる、「和同開珎」も出土したそうです。この山中に古代の貨幣が埋まっていたなんて!



鹿谷寺跡からけっこう尾根道を歩きます。途中にも展望台があり、景色を楽しむことができます。
そして30分ほどで、ついに雌岳山頂に到着!



山頂からの展望を楽しみつつ、ゆっくり休憩をとります。
(雄岳の方は、今回は行きませんがそちらからよりも展望が開けているらしいです)
大阪方面は大阪市内の高層ビル群や、遠く明石海峡大橋まで。
奈良方面は大和三山をはじめとする奈良盆地を見渡すことができます(^^)/

帰りは別ルート(周遊するよな感じになります)で、途中のポイントはまず、「石切り場跡」。ここで切り出した石が高松塚古墳の石棺などに使用されたそうで、それで、案内板が高松塚なんですね!
石は凝灰岩で、色が白っぽいことから二上山白石(しろいし)と呼ばれているそうです。



「石切り場跡」からしばらく下りますと、中将姫が當痲曼陀羅をここで織ったと云われている「岩屋」があります。こちらも古代の寺跡で、石窟になっていますが中を覗きますと、石塔が見えます。奈良時代の築造とのこと。
石窟の内部中央には3層の多層塔や石塔台座下部に涌水を溜める小さな坑、壁面には三尊立像の浮き彫りも見えますが、さすがにこれは剥落が著しく、光背部分の識別が辛うじて確認出来る程度です。
石窟上部の壁面には、何か所か円形の水平坑が穿たれているため、木造の覆屋構造があった可能性があると説明されています。



すぐ近くには樹齢約千年、高さ28m、根周り5.8mの「岩屋杉」が今は静かに横たわっています。



この辺りからの帰り道はおおむねなだらかです。
10時頃に登山開始したのですが、午前中には戻ってこられました。
二上山、単なる山歩きではなく、古代史の遺跡が随所にあって、いわば古代史ロマンの旅、楽しめました~。

古代遺跡としては雄岳山頂付近に「大津皇子」の墓と宮内庁により比定されている古墳※もあり、これはまた雄岳を目指して行かねば~!
※二上山山麓の鳥谷口古墳(奈良県葛城市染野)を真墓とする説が有力です。

大伯皇女が、藤原京から弟の大津皇子が眠る二上山を眺めて詠んだ歌
「うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)とわが見む」
これは泣かせてくれますね~(;_;)

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