葛城古道を歩く 高鴨神社~高天彦神社~葛木御歳神社2020年05月20日

奈良盆地の東に連なる美しい青垣の山裾を縫うように、三輪山の麓から石上布留を通り、奈良へと通じる道。「日本書紀」にもその名が残り、日本最古の道ともいわれる「山の辺の道」が好きで何度か歩きに行きました。個人的に行ったり、お客さんを連れてのガイドや添乗でも行きました。

もう一ヵ所好きな古道に、西の葛城連山の麓を走る「葛城古道」があります。
こちらは個人的に歩いただけで、お客さんをお連れしたことはないです。
でも、専門学校の教員時代、学生たちを案内して、観光に関する論文を執筆してもらいました。
一般財団法人日本ホテルセンター様の「学生観光論文コンテスト」に応募したもらうためです。2015年のことでした。論文タイトルは、資産価値の認識を目的とした観光コースの作成など~語学・観光系専門学校との実務レベルでの「産学連携」の提案~】
結果、最優秀賞は逃したのですが、優秀賞(公益財団法人日本ナショナルトラスト 会長賞)を受賞いたしました~!ああ~懐かしいなあ。。。
このコンテストも2019年度で終してしてるようですが、19回の歴史で、受賞は大学生ばかり。専門学校生が受賞したのはほとんどないと思います。
いい内容ですよ。 是非読んであげてください! こちらからアクセスできます。

葛城古道の道沿いには、古代豪族の 葛城(かつらぎ)氏とか鴨(かも)氏ゆかりの古社が点在しており、神さびた雰囲気が漂っています。。。

こちらは、高鴨神社です。↓
全国の鴨(加茂) 社の総社です。京都にある世界遺産の下鴨(しもがも)・上賀茂(かみがも)両社も、源流はこの神社にあります。
また、4月中旬から5月初旬にかけて500種2,200鉢以上の日本サクラソウが咲くことでも有名です。
ご神木と本殿へ上る階段、鳥居の向こうに拝殿が見えます。↑ 本殿はその奥で天文12年(西暦1543年 室町時代)再建、三間社流造の建造物で国の重要文化財に指定されています。(撮影禁止)

高鴨神社境内の宮池には浮舞台があり、5月に行われる「献花祭」で奉納される雅楽と舞は、「奈良県景観資産」に登録されています。↓
こちらは、摂社東宮で、県指定重要文化財に指定されていますす。 ↑ 
さらに摂社西宮や多くの摂社が境内にはあります。
鴨、「カモ」は「カミ」と同源であり「カモす」という言葉から派生し、「気」が放出している様子を表しているそうです。こちらの神社の神域は鉱脈の上にあることも重なり、多くの「気」が出ているパワースポットとしても有名です。

御所市高天の高天彦神社です。参道はかなり急な山道です。。。↓

↑ 高天彦神社拝殿です。金剛山の麓に建つ神社であり、5世紀ごろに栄えた葛城氏の祖神「高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)」を祀っています。御神体は、背後にそびえる円錐形の白雲峯(694m)です。
そして、この一帯は、古くは日本神話に登場する天孫降臨の「高天原(神々がおわした土地)」といわれています。

↓ 葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)です。全国にある御歳神社・大歳神社の総本社であり、先に訪れた高鴨神社(上鴨社)に対して「中鴨社」と称されています。 
※ 鴨都波神社(下鴨社)もありますが今回はご参拝できていません。また次回是非に!
( 神社ご由緒書きより抜粋 )
「御神名の「トシ」は穀物特に稲、またはその実りを意味する古語で、御歳神は稲の神、五穀豊穣をもたらす神、また、穀物の生長を司る神として古くから崇敬されています。また「トシ」は年に一度の収穫を基準とした時の単位であることから、何か事を始める時にお参りするとよいとされています。
私たちが正月にお祭りし、親しんでいる年神様は、この御歳神、大年神、若年神といわれています。鏡餅は御歳神へのお供え物(依り代)であり、このおさがりのお餅には御歳神の魂がこめられており、これを「おとしだま」と呼んでいたものが今のお年玉の起源であります。。。」
神社名は「みとせじんじゃ」とも呼ばれているそうで、その歴史は古く弥生時代よりの頃より五穀豊穣の神として祭られてきた場所です。
親切な宮司様にご案内いただき、ご神域近くまで入らせていただきました。
いにしえからの空気に満ちたご神域。。。。
宮司様に教えていただき、歩いてきた足元を見ると不思議な植物が! ↓(白い植物)
銀竜草(ギンリョウソウ)というそうです。
ツツジ科ギンリョウソウ属の多年草で、別名がユウレイタケ。。。(-_-;)
森林の林床に生え、花が咲くとき(4月~8月)以外は、その姿は地上では見られないそうです。
いや~、初めて見ましたが、色素がなくて真っ白なんです。
「神さまの使い」かもしれないなー。。。なんて思ってしまいましたです。