あなたの知らない 高野山へ2020年05月18日

失礼なタイトル。。知っていたらごめんなさい。

和歌山県にある、「高野山」は「紀伊山地の霊場とその参詣道」として世界遺産に登録されています。多くの人は南海電鉄高野線で極楽橋へ。そこからケーブルカーで山上の宗教都市を目指します。そしてそこで弘法大師空海が開いた多くの伽藍・建造物を見て感動するはずです。

随筆家白洲正子さんの著書「かくれ里」には、高野山の中腹、神々住まう高天原に例えた天野の地に鎮座する丹生都比売神社と周辺天野の里の紹介が書かれています。こちらへは車で行くことになりますが、世界遺産になってからは、訪問者も増えているようです。


↑ 丹生都比売神社

丹生神社は白洲さんによれば、全国に138か所あるそうで、その半分以上が和歌山県に集中していると書かれています。(和歌山神社庁のホームページから「丹生」で検索しますと32社がヒット致しました。いずれにしてもかなりの数です。
「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味しており、『魏志倭人伝』にも既に古代邪馬台国の時代に丹の山があったことが記載されているそうで、、その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があるといわれています。

伝説によれば、丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた猟師に化身して現れ(狩場明神)、高野山へと導きました。弘法大師は、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。

高野山は神仏習合の場でもあるといえます。
高野山内には、丹生都比売大神と高野御子大神(狩場明神)を祭る神社が点在して、小さな集落で守り伝えられ続けています。
通常のルートでは行かない、行けない、そんな神社に足を運んでみました。

↑ 伊都郡かつらぎ町大字宮本1番地に鎮座する丹生神社
ご祭神 丹生都比売神 高野御子神

由緒(和歌山県神社庁HPより)
勧請年月日は不詳なれども明治維新に至るまで高野山地頭の信仰篤く、年々祭祀料、米10石を寄進せられ其の他臨時の営繕には、特に米幣を寄せられる例多し、神功皇后、三韓征伐の時、特に祈願あり神賽として和泉の国、葛城の他を神地として寄せ給ふと言い伝えられている。
毎年6月8日神楽を奏し、神湯を献じ葛城、高野先遠等来拝して崇厳を極めたと言われる、境内社として、高野神社、厳島神社、百合野神社、狩場大明神がある。
三野国牟毛津の未裔蔵吉人を丹生都比売神社に勤仕していたが、その子孫がこの地に住み狩猟を事としていた。
弘法大師が高野に登る際白黒2犬を率いて先導した、功績で里人等同人を神として祀り狩場明神と名づけたと伝えられている。

天野が白洲さんのおっしゃる「かくれ里」だとしますと、ここは「奥かくれ里」といえるかも知れません。。。(集落人口総数: 38 人 世帯総数: 16 世帯)

↑ 狛犬のデザインがオオカミっぽいのですが、これは弘法大師と出会ったときに、狩場明神が連れていた2匹の犬の姿ではないでしょうか?



神々の気配が感じられます。。。


本薬師寺跡 ホテイアオイ2020年05月18日

少し前からインスタ映えがするーということで、茨城県「国営ひたち海浜公園」のネモフィラが大人気でした。和名は瑠璃唐草。見頃は4月後半からゴールデンウィークにかけてのひと月ぐらいです。

関西も、大阪でそれにあやかるべくオープンさせたのが「大阪まいしまシーサイドパーク」のネモフィラ祭りです!もともとこの場所は「ゆり園」があったのですが、台風の影響でアウトに。その後に始めたものです。2019年に行って来ました。よかったです。



私、花が絨毯のように群生している所、大好きなんです。花の色は青が好きなので、このネモフィラいいなーと思ってました。
 それが、今年は新型コロナウイルスの影響で中止。。。残念でした(;_;)

そんな方きっと大勢いらっしゃると思います!


そこで、今年久しぶりに行って見ようかなと思っていますのが、奈良橿原市にある本薬師寺跡のホテイアオイです!

新型コロナウイルス、まだまだ油断できませんが、花の開花は8月の後半~9月。

その時の状況次第ですが。。。



本薬師寺は、現在奈良市の西の京にある薬師寺の前身にあたる寺です。

平城遷都に伴って寺は伽藍ともども西の京へ移築されたと言われていましたが、別々に造られたという説が有力です!なのでこのお寺は本薬師寺(もとやくしじ)と呼ばれるようになったそうです。

現在はは小さな堂が建っているのみですが、当時は、金堂や東西に二つの塔があったそうです。

背景には畝傍山や遠方には二上山も望めます。

新型コロナが完全に終息していることを祈りつつ。。。

手塚漫画と明日香村 謎の石造物2020年05月18日

日本で、いや世界で最も偉大な漫画家であると信じる手塚治虫先生。膨大な作品の中で私が思う代表作は何といっても「火の鳥」です。特に過去と未来を交錯させながら展開する、実質的最終話「太陽篇」が好きです。

過去の部分では、西暦663年、白村江の戦いで倭・百済軍が唐・新羅連合軍に惨敗しするところからお話は始まります。百済王一族の兵士・ハリマは、唐軍に捕らえられ、生きながらに顔の皮をはがれ、狼の皮を被せられてしまいます。狼の顔を持ったハリマは、不思議な老婆に助けられ、老婆、そして瀕死のところを助けた大将軍、阿倍比羅夫と共に倭国へやってきます。物語の舞台は当然、飛鳥の都になります。

日本古来の産土神(漫画では狗族という狐っぽい一族)と仏教の四天王が、実際に戦ったり、当時の仏教が日本に浸透し、天智天やら大海人皇子も登場して、仏教が災いになるだの、いや仏教に帰依するだのといった混乱が描かれています。



↓ 斑鳩、法隆寺の火災事件も描かれています。


手塚漫画は他の作品もすべて傑作ぞろいですが、「三つ目が通る」でも飛鳥を舞台にしたお話があります。飛鳥には誰が、何のために作ったのかよくわからん~??石造物が約20体ほどあるそうです。
その中の酒船石 ↓を扱っています。このお話は多分、松本清張さんのミステリー小説「火の道」にヒントを得ています。そうですねー。私も数ある石造物のうち、これが一番ミステリーを感じて好きです。


酒船石の場所は 亀形石造物 小判形石造物と祭祀場 ↓の横を少し登っていく丘陵の上、竹林の中ですが、発掘調査でこの丘陵は自然のままではなく、版築と砂岩の切石で改造した人工的な丘陵ということがわかっています。

他の石造物もミステリアスで、「誰が、何のために?」と想像力を働かしながら見て回るのは楽しいです。


飛鳥資料館に展示されている石人像  ↑

岩に座った男性に女性が後ろから手をそえているのでしょうか。男性の足元から口まで内部に細い管が通り、途中で女性の口にも分岐しているのだそうで、噴水施設であったと推測されています。

ブラタモリでなんか実験やってましたね。。石人像の風貌から男女のモデルをペルシャ・インドに求める説もあります。うーむ、この時代に遠路はるばる。。。聖徳太子ペルシャ人説、ゾロアスター教説なんかも興味あります('ω') 


猿石 ↑ は4体が吉備姫王墓内にあります。
実に奇妙な人面石像で、猿ではなく渡来人を象ったものといわれています。
4体の像にはその外見から「女」・「山王権現」・「僧(法師)」・「男」とそれぞれに愛称がつけられてます。
高取城への登山道の途中にも猿石と呼ばれる石像が1体だけ置かれている(もとは同じ場所にあったものを移した?)そうなのですが、そこはまだ行ったことがございません。

鬼の雪隠 ↑ 鬼の俎ってのもすぐ横にあります。でかいです!多分、古墳用の石なのでしょうが。。。
他にも亀石・二面石(橘寺境内)・益田岩船などなど。。。どれもステキです💛

前に推古天皇の宮や陵墓について書きましたが、一代おいて即位した女性天皇、皇極天皇、重祚(一度退位して復活~)した斉明天皇は土木工事を多く実施。これらの石造物は、ほとんどが彼女に関係するといわれています。その中で酒船石遺跡が石造物の謎をとく、もっとも重要な遺構なのではないでしょうか。。。

ちなみにこの飛鳥時代、「日本国創成のとき―飛鳥を翔(かけ)た女性たち―」というテーマで日本遺産に登録されています。
「女性が国づくりの原動力
日本で初めての女帝であった推古天皇は、巫女(シャーマン)的要素を備えつつも、仏教の興隆に力を注いだ。従来どおり神々が宿る自然を厚く敬いながらも、新しい仏教を取り込み、いわば神仏が調和した国づくりをはじめた。そして、東アジア世界と正面から向き合った女性でもある。このような女性の力は、次の女帝・皇極(斉明)天皇にも受け継がれている。(後略)」(日本遺産ポータルサイトから引用)