映画で旅する世界遺産 第6回 イタリア トスカーナ地方 ― 2020年07月12日
私、ヨーロッパのお国の中ではスペインとイタリアが好きなんです。世界遺産の国別登録件数も1位がイタリアで55件(同じく中国が55件)3位がスペインで48件とトップクラスの両国です。特にイタリアは初めて行ったのが40年ほど昔、その旅行中にパスポートを盗難に遭うという悲劇(いや喜劇か)的事件がありまして、再発行されるまで長期滞在を余儀なくされました。それでイタリア各地をぶらぶら。。。(^^)/
(ほんとは日本領事館のあるミラノに滞在してなさい!と警察で言われたんですけどね。。。)それ以来、大好きなお国となりました。(いやほんとですよ~)
首都、ローマやヴェネチアも良いですが、トスカーナ地方(フィレンツェやピサもこの地域)がいいですね。映画の舞台はこのトスカーナ地方の世界遺産ヴェローナとシエナです。
映画のタイトルは「ジュリエットからの手紙」です。 (はい、例によってネタバレとなります)
ヴェローナには、英国の作家シェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」の舞台となったジュリエットの家があります。日本では「ロミオとジュリエット」として知られていますが、ジュリエット(Juliet)は英語で、イタリアではジュリエッタ(Giulietta)です。
イタリア語アルファベットにはJ他5文字がないそうで、このあたり荒木飛呂彦先生の「ジョジョの奇妙な冒険」でイタリアを舞台とした第5部では「ジョジョ」「JOJO」が「GIOGIO」と表記されていました。。
この部分、映画の作り話でなく本当なんです。いや驚きました~
対応言語はイタリア語に限らず、英語やドイツ語、そして日本語もOKだということで、世界各国から寄せられる恋の悩みに対応しています。
恋に悩んでいる方は、ジュリエットの秘書に相談してみてはいかがでしょうか?
そして何と現地まで行かなくても、ホームページでもしくは郵送で受け付けています~(^^)/
宛先:
Club di Giulietta
via Galileo Galilei, 3 – 37133 Verona,
Italy
お大師さまは今なお、高野山 奥之院で祈りをささげられています。
お大師さまは、あなたの胸のうちをお聞きくださいます。
お大師さまに あなたの悩み、苦しみ、楽しいこと、うれしいことをそっと聞いていただきましょう。
きっとお導きくださいます。
映画で旅する世界遺産 第7回 中国 麗江古城 ― 2020年07月14日
題名は『三国志演義』の関羽が一時仕えていた曹操のもとを出奔して旧主劉備にもとへ帰った故事小説『千里走単騎』からだそうで、映画では中国最古の仮面劇と言われている「儺戯(ノウシイ)」で演じられています。
高倉健主演の「君よ憤怒の河を渡れ」は中国で累計8億人の観客を動員して空前の大ヒットとなったと聞いたことがあります。亡くなった時も中国側からの追悼が凄かったですよね。
↓ 北国で漁師をしている高田(高倉健)には、東京で民俗学を研究している息子・健一(中井貴一)が居ます。しかし、長年の確執があり疎遠になっていました。健一の妻・理恵(寺島しのぶ)から健一が病で倒れたと聞き、見舞いに行きます。
仏教や道教の仏像もあり、少数民族によって書かれた麗江壁画が残っていますが、この麗江の最大の特徴は、8世紀、現在の青海省付近から南下してきたと言われている少数民族ナシ族の「トンパ文字」かと思います。映画では残念ながら紹介されませんでした。。。
トンパ文字は現在、世界で唯一の「生きた象形文字」とされ2003年、ユネスコの世界記録遺産に登録されました。
ネット上で日本語 → トンパ文字変換サイトがありまして(^^♪
自分の名前を変換した結果がコレ ↓ いかがですか?カワイイでしょ
↓ 通訳ガイドを雇います。そりゃ~そうでしょうね。
Jazz この1枚・この1曲 Because Of You (Jos Van Beest) ― 2020年07月16日
(Words by Alan & Marilyn Bergman / Music by Michel Legrand)
演奏はピアノトリオで、美しい旋律がそれはもうロマンティックに。。。
この名曲は多くのジャズマンにも取り上げられて演奏も多数ありますが、これが一番のお気に入りでございます。
歌詞もありまして次の通りです ↓
What are you doing the rest of your life?
North and south and east and west of your
life?
I have only one request of your life
That you spend it all with me. ← く~っ たまらん!
All the seasons and the times of your days.
All the nickels and the dimes of your days.
Let the reasons and the rhymes of your
days.
All begin and end with me.
I want to see your face,
In every kind of light,
In fields of gold and
Forests of the night;
And when you stand before
The candles on a cake.Oh let me be the one to hear
The silent wish you make.
Those tomorrows waiting deep in your eyes
In the world of love you keep in your eyes,
Ill awaken what's asleep in your eyes,
It may take a kiss or two..
Through all of my life..
Summer, winter, spring and fall of my life,
All I ever will recall of my life
Is all of my life with you.
で、このピアニストを発掘して日本に紹介、CDを発売されておられますのが大阪の澤野商会さんです。
初めて店舗をお訪ねしたときは、(噂には聞いていましたが・・・)衝撃でした!
何しろ本業は履物屋(下駄屋)さんなのです。。。 ↓
↑ ご本も出しておられます
新・隠れ里紀行 天見~流谷 ― 2020年07月17日
白洲正子さんの名著「かくれ里」のパクリです。
私の住んでいる河内長野市はなかなか緑も多く、文化財も多く残っていていい所です。
今回は、河内長野市南部に位置します「天見」(南海高野線天見駅があります)方面行ってきました。和歌山県(橋本市)との境界に位置します。
山深い森の中であるにもかかわらず「天が見える」ところから「天見」という地名になったという説があります。 ↓ 隠れ里にふさわしい風景です(^^)/
国道371号線を河内長野から南下、「出合ノ辻」といういかにも曰くありげな交差点がありますが、そこは南北朝時代の古戦場で、1333年(正慶2年)の正月に、楠木正成が率いた南朝軍と北朝軍(紀州の御家人)とが、この辻で出くわして「安満見合戦」と呼ばれる壮絶な合戦が行われた場所なのだそうです。
河内長野方面からですとここを右折しますと、「流谷」という集落方向に向かいます。
左折しますと南海天見駅方向です。
流谷「ながれだに」・・これはなかなかに渋い名前ですよね~。くーったまらん!
↓ 八幡神社、通称「流谷八幡神社」(ながれたにはちまんじんじゃ)
この地にはかつて甲斐荘という京都の石清水八幡宮の荘園があったそうです。それで1039年(長暦3年)1月6日に石清水八幡宮より八幡神を勧請し、社殿を造営したことが神社創建の起源とされています。
境内にあるイチョウは樹齢400年とされ、大阪府から天然記念物に指定されています。秋にも来てみたいものです。
↓ 大イチョウ 今は紫陽花もきれいでした。
↑ 縄掛神事も行われています。1039年(長暦3年)石清水八幡宮より勧請された際の御柱渡御古例祭で長さ60mの注連縄を作り、勧請杉と柿の古木との間に掛けます。流谷と天見を分ける結界の意味があり疫病や忌穢れがお互い入り込まないようにします。また注連縄が長く保てば保つほど豊作になると伝わり、注連縄から12本(閏年は13本)の榊束を垂らします。毎年1月6日または前後の休日に執り行われています。
拝殿内に鉄製湯釜が展示されていました。毎年7月に行われる探湯祭の際に行われる湯立て神事にて利用されていたそうで、湯釜の銘文によると賢覚という僧侶が住民に寄付を募り、流谷八幡宮のため作られたことが記されていて、1340年(延元5年)作とされている製作時期が記された湯釜の中では、全国的にも特に古い年代のものだそうです。
今回、一番の目的は日本遺産に登録された「「葛城修験」~里人(さとびと)とともに守り伝える修験道はじまりの地~」における経塚の訪問です。葛城二十八宿は、役小角が法華経八巻二十八品を埋納したとされる経塚です。流谷には第16番経塚があります。
↑ え、こっちですか? みたいな所を歩きます。
↑ え、ここも登るんですか? みたいな所も登ります。さすが役行者さま。。。
↑ 【第十六番経塚】流谷の里 妙法蓮華経 如来寿量品でございます。
お近くにはもう一ヵ所、【第十七番経塚】天見不動 妙法蓮華経 分別功徳品もあるのですが、さらに登山が必要で今回はパスします💦
天見の歴史として、もう一つ興味深いのが隠れキリシタンに関することです。
河内長野は戦国時代、烏帽子形城城主の甲斐庄正治(かいしょうまさはる)がキリスト教の信者で、烏帽子形山の付近には300名ものキリシタン領民が住んでいたというキリシタンの町だったことがあります。1582年にイエズス会の宣教師がローマへ送った報告書に記されているそうです。その後、豊臣秀吉によるバテレン追放令により、キリシタン達は天見の山里に隠れ住んだそうです。当時、そこでも200名ほどの隠れキリシタンがいたそうで、天見の里は隠れキリシタンの里でした。
↓ この細い道を上に上がると薬師堂跡が。
流谷奥の薬師堂跡に破壊された十三仏碑があり、この石碑には「1653年(承応二年)十月十五日」の銘と共に「十三体の仏像」が浮彫にされています。さらに20名の信者名が彫られていますが、その中に「テウロ」や「シタニ」、「道金(ヨハキン)禅門」などキリシタンの洗礼名のような片仮名の名が見られるそうです。(残念ながら私には判別できませんでした)
↓ この石碑は隠れキリシタンのものではないかと推察されています。
この流谷エリア、飛鳥時代から続日本紀などに伝説的に語られる役行者の経塚と、戦国時代の隠れキリシタンの石碑が共存して残る、まさに長い歴史の中での隠れ里と言えるのではないでしょうか。
流谷から戻りまして「出合ノ辻」を反対方向に行きますと南海天見駅(無人)、ここで行き止まりと見えますが、実は道を下ると温泉旅館「南天苑」に続きます。
「南天苑」は明治・大正を代表する建築家・辰野金吾(代表作は東京駅)が手がけた建物です。
↓ 以前に訪問した時はなかったのですが、専用露天ぶろ付きの別館もオープンされていました。
客室も素敵です。
こちらの旅館も私にとって、大切な思い出のある場所の一つでございます。
Jazz この1曲・この2枚 My Back Pages ― 2020年07月19日
ジャズの曲って基本的に何でもありです。ジャズ・ミュージシャンが作曲した有名曲も、もちろんいっぱいありますが、ほかのジャンルから持ってきたものもいっぱいあります。ミュージカルだの、クラシックだの、ポピュラーだの。
日本人ジャズ・ミュージシャンに至っては、日本の民謡まで取り込んだりしてます(‘ω’)
今回のアルバムは、キースジャレットの「Somewhere Before」、曲は「My Back Pages」です。
アルバム・タイトルは「昔・・どこかで」みたいな感じでしょうか。で、「My Back Pages」はボブ・ディランの曲です。
チャーリー・ヘイデンの重~い、重いベース・ソロから始まり、ピアノとドラムが加わっていくこのイントロが、く~、たまらん!そのピアノの旋律で、切ない青春の思い出が蘇ります。
最後に、拍手が聞こえてきますが、それでこの演奏がライブだということもわかります。
通常ライブならライブと、どこかにクレジットされているのですが、ジャケットには、いつどこそこでのライブとか全く記載はございませんし、ライナーノートには解説の最後に、初のライブアルバムとだけ記載がありました。
↓ アルバム・ジャケットもセピア色でノスタルジックで素敵です。
1. My Back Pages
2. Pretty Ballad
3. Moving Soon
4. Somewhere Before
5. New Rag
6. A Moment For Tears
7. Pouts' Over (And The Day's Not Through)
8. Dedicated To You
9. Old Rag
全9曲のうち7曲がジャレットのオリジナルで、オリジナルでないのが、この「My Back Pages」と「Dedicated to You」の2曲です。
で、元のボブ・ディランバージョンは「Another Side Of Bob Dylan」(1964年)というアルバムに収録されていまして、聴いてみたのですが、そっちの感想はというと、「う~む・・・・」でございます。
ボブ・ディランはご存じのように、2016年歌手として初めてノーベル文学賞を受賞しています!
これはなかなかスゴイことだと思っています。
ノーベル文学賞ですよ!つまり歌詞が優れていると!
ボブ・ディランは「風に吹かれて」「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「見張塔からずっと」「天国への扉」などなど多数の楽曲により、1962年のレコードデビュー以来、半世紀以上にわたり多大な影響をミュージシャンにも、リスナーにも与えてまいりました。
ガロなるグループの『学生街の喫茶店』のフレーズ「学生でにぎやかなこの店のかたすみで聴いていたボブ・ディラン♪」というのがありましたが、あの頃(1960~70年代)の若者文化において、ボブ・ディランというアーティストの影響力はかなりあったと思います。
しかし、さすがノーベル文学賞、歌詞が・・・詩が難解です。。。(‘ω’)私には。。
My Back Pagesの歌詞です↓
Crimson flames tied through my ears
Rollin' high and mighty traps
Pounced with fire on flaming roads
Using ideas as my maps
"We'll meet on edges, soon," said
I
Proud 'neath heated brow.
Ah, but I was so much older then, ← ああ、けれど当時の私は老いぼれだった
I'm younger than that now. 今の方がずっと若い (この繰り返し部分以外よくわからん)
Half-wracked prejudice leaped forth
"Rip down all hate," I screamed
Lies that life is black and white
Spoke from my skull. I dreamed
Romantic facts of musketeers
Foundationed deep, somehow.
Ah, but I was so much older then,
I'm younger than that now.
Girls' faces formed the forward path
From phony jealousy
To memorizing politics
Of ancient history
Flung down by corpse evangelists
Unthought of, though, somehow.
Ah, but I was so much older then,
I'm younger than that now.
A self-ordained professor's tongue
Too serious to fool
Spouted out that liberty
Is just equality in school
"Equality," I spoke the word
As if a wedding vow.
Ah, but I was so much older then,
I'm younger than that now.
In a soldier's stance, I aimed my hand
At the mongrel dogs who teach
Fearing not that I'd become my enemy
In the instant that I preach
My existence led by confusion boats
Mutiny from stern to bow.
Ah, but I was so much older then,
I'm younger than that now.
Yes, my God stood hard when abstract
threats
Too noble to neglect
Deceived me into thinking
I had something to protect
Good and bad, I defined these terms
Quite clear, no doubt, somehow.
Ah, but I was so much older then,
I'm younger than that now.
あの頃自分はあんなことをした、あんなことを言ったり、考えたりしていた。あんな奴らもいたかな...と昔を振り返っていますが、リフレイン部分が「あの頃は俺も若造だったぜ」という言い方ではなくて、「あの頃よりも今の方がずっと若いぜ」となっていて、若いくせに成熟した考え方をしたり、行動していたかつての自分に対する反省?そして年寄り臭い分別めいた生き方は止めるぞ~、という意味なのか。う~む。。。
まあ、キース・ジャレットの方は歌詞などございませんので、美しいメロディを楽しむだけなのですが。
この曲はジャズ・ミュージシャンが取り上げて、ヴォーカルなしで演奏して、美しくなるような気が・・ディランさん、歌詞を無視してゴメンなさい!
なのでもう一枚、この曲「My Back Pages」が入っていて好きなLPレコードを。
太田邦夫クインテット「俺たちの青春」・・・なんという恥ずかしいタイトルでしょうか。
でも、これは「My Back Pages」の訳文みたいです。(昔、そんなテレビドラマもありました・・)
こちらでは、テナーサックスでメロディを歌い上げいて、ちょっと涙ぐみます。。。
烏帽子形城と河内長野のキリシタン遺跡 ― 2020年07月20日
新・隠れ里紀行 かつらぎ町大字東谷「堀越観音」 ― 2020年07月23日
白洲正子さんの名著「かくれ里」、そのコンテンツの一つに「滝の畑」があります。白洲さんが高名な考古学者、末永雅雄先生の自宅、大阪狭山市を訪ねます。その時、末永先生から狭山から南に入った山奥に、北条氏直が隠れ住んだ村があり、本当の「かくれ里」だから行ってごらんと勧められます。それが「滝の畑」(河内長野市滝畑)で白洲さんはまず、河内長野の天野山金剛寺に行き「日月山水図屏風」を見てから、滝の畑の集落へと向かいます。そこから見た風景があの「日月山水図屏風」にそっくりでここから描いたものであろうと書かれています。
↑ 「日月山水図屏風」 作者不明 (上:右隻・下:左隻)
室町時代, 紙本著色, 六曲一双, 各147.0×313.5cm, 重要文化財, 天野山金剛寺蔵
白洲さんはとにかくこの絵がお好きで、お帰りに再び天野山金剛寺に立ち寄ったとのこと。お好きな理由として、「日月を配したのは、礼拝するための宗教画であったことを示しているが、その原型は山越しの弥陀とか、聖衆来迎の図に求められるであろう。現実に仏を描くことをさけ、日月山水で暗示するにとどめたのは、一つの発展であるとともに、自然崇拝の昔の姿に還ったといえるかも知れない。。。」(かくれ里から抜粋)
そんなかくれ里「滝畑」から、私はさらに車を走らせます。白洲さんも訪れた「光滝寺」も過ぎて「光滝キャンプ場」、たいていの観光客はこのキャンプ場が目的です。が、さらに道は続くのでございます。。。
「光滝寺」のあたりからもし対向車が来たらいったいどーしよう💦な道なのですが、今回1台もすれ違うことなく、昼なお鬱蒼とした道を和歌山県に向かって走ります。
そして到着した集落が東谷。
「堀越観音」は正式名称「堀越癪観音」。お寺は、向井家が先祖代々祀っている世襲寺で、境内には、樹齢200年以上と推定される和歌山県指定の天然記念物のさざんかがあります。
「癪」(しゃく)ですが、時代劇テレビ番組など見ていると、劇中突然、女性が脇腹をおさえつつ「持病の癪が、、あああ・・・」 とか言いつつ痛みをこらえる場面がよく出てきます。 この「癪」とは、胸や腹のあたりに起こる、激痛の総称で胃痛、生理痛、胆石症、盲腸などから来る腹痛すべてが「癪」と呼ばれるそうです。きっと昔は(いや今も)「陀羅尼助」なんかで治すのでしょう(^^)/
お寺の本尊は修験道の開祖・役行者が、母の癪を治そうと心込めて彫った十一面観音像(秘仏)。
↓ どう見ても弘法大師空海様にしか見えないのですが、役行者だそう。。。う~む。
参道や境内、公園などで植えられているキリシマツツジは約50年前、向井住職と奥様が植栽されたそうです。 ↓ 今は紫陽花も美しい。
堀越観音のお隣です。こんなところにぽつんと一軒家レストラン!「鳥唄山馨」(トリウタイヤマカオル)は2018年6月30日にオープンだそうで、築160年の古民家を改装したという店内は非常に雰囲気があります。
メニューはカレー。私はアイスコーヒーだけいただきました。
↓ 和歌山のタウン情報紙、Lism に紹介されていました。
のどかな山里からは紀の川の清流を眼下に国道24号沿いの町並みを見渡して、はるか雨引山、龍門山、高野山、大峰山を遠望できます。
キトラ古墳壁画公開と国営飛鳥歴史公園キトラ地区に行ってきました ― 2020年07月30日
奈良県明日香村の高松塚古墳(特別史跡、7世紀末~8世紀初め)の極彩色壁画(国宝)の修理が完了したそうです。国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開(第30回)に、申し込んだのですが抽選外れました(-“-)
この壁画のカビなどによる劣化は2004年に判明。壁画の描かれた石室ごと解体して古墳の外に取り出し、2007年から約13年間に及ぶ修理を続けるという異例の展開をたどりました。
実は2010年(第6回)と2011年(第7回)の文化庁主催による公開に行ったことがあります。
まず当局(文化庁)の方から、いかに保存が困難であり、大切であるかというようなレクチャーを受け、(いや・・・その前の発掘管理がまずかったんでしょ~が!作業員が不注意から壁画を傷つけたことも隠してたでしょ・・1300年間、状態を保たれていたのに、国が管理し始めてから30年余で傷つけてしまったやんかーと皆、心の中で思っている。。)その後、実物を見せていただいたのですが、カビによる破損のすさまじさ~!正直これは酷いと思ったのが印象に残っています。どれだけ修復できたのか見たかったのですが。。。
高松塚から10年後、同じ明日香村で発見されたキトラ古墳壁画公開(第16回)の抽選は当たりましたので行ってきました。こちらの壁画修理は平成28年に完了しています。ともに飛鳥時代の壁画であり、古からの中国大陸や朝鮮半島との交流を今に伝える遺産です。
↓ パンフレット
キトラ古墳では高松塚での反省を踏まえ、壁画を石室からはぎとって保存処理。
4年ぐらい前には古墳そばにキトラ古墳壁画体験館四神の館という管理施設ができて、周辺も整備されています。 ↓ なかなかいい感じ
↓ コロナ対策を施しつつ開催されてます(~8月16日まで)
抽選は終わってますが、当日、飛び込みで行ける可能性あります。
↑ 地下の常設展ではキトラ古墳についての展示やシアターがあります。
高松塚古墳が飛鳥美人で有名ならば、キトラ古墳は精緻な天文図が凄いのでは?!
公開は1階の作業室・展示室となりますが、間隔をあけながら入室します。(1回につき10名ぐらいかな)
で、展示はどうなんだ?見えるのか?と聞かれますと、、、なかなかに微妙でございます。。。💦
↑ 今回の目玉はこの朱雀、パンフレットのコピーですがまあこんな感じでで見えますよ(^^)/
↓ ちょっと目視が厳しいのがこちら(左)青龍は口から赤い舌が見えるのが限界
(右)十二支の寅 ・・・ こんなには見えません! 赤い襟のV字型が見える程度です。
他に出土した金具や棺材、装飾品と思われる琥珀玉やガラス玉など展示があります。
壁画は国宝、出土品は重要文化財の指定を受けています。
↓ 歩いてすぐ。キトラ古墳も整備されていて美しい。
7世紀末~8世紀初め頃に造られたと推測されていますが、この頃の古墳は終末期古墳と呼ばれ、古墳時代前期の巨大な前方後円墳から円墳や方墳へと形が変わり、古墳そのものも小さくなる時代です。
さらに少し歩いて、史跡檜隈寺跡地にも行ってきました。第15代応神天皇の時代に渡来した、いわゆる渡来人、阿智使主の居住地跡で、東漢氏の氏寺とされるお寺でしたが、跡地には於美阿志神社が建っています。
檜隈寺は発掘調査によって、金堂・講堂とその基壇・塔・門・回廊・仏堂などが検出されています。伽藍配置は塔の北に講堂があり、南に金堂を置くという独特な配置で、瓦積基壇という工法は、朝鮮半島の寺院で多く用いられているそうです。大量の瓦が出土して、講堂の規模は飛鳥寺や法隆寺西院の講堂に匹敵すると言われています。渡来人大活躍!キトラ古墳や高松塚古墳の壁画絵師、築造にかかわった人物も渡来人なのでしょう。
キトラ古墳が誰の古墳か?というのは不明です。天武天皇の皇子である高市皇子、古墳周辺一帯が「阿部山」という地名であることから右大臣の阿部御主人などの人物説が有力ですが、あるいは被葬者も渡来人のかなり偉い人なのではないかと・・・・
↓ 境内には平安時代の十三重石塔(上部欠損あり)があります。
昔、奈良まほろばソムリエ検定のフィールドワークで、この辺り歩いたこと覚えています(^^♪ あの日も暑かった。
その頃はまだ、飛鳥歴史公園、整備されていなかったのですが、ずいぶん変わりました。
以前行った、高松塚古墳壁画修理作業室の公開の際、同行者に買ってもらったマウスパットがマイ宝物となりました。 ↓ これは玄武 もうひとつ朱雀も持っています(^^♪
次回、高松塚古墳壁画修理作業室の公開、また抽選応募するつもりです!
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