映画で旅する世界遺産 第6回 イタリア トスカーナ地方2020年07月12日

私、ヨーロッパのお国の中ではスペインとイタリアが好きなんです。世界遺産の国別登録件数も1位がイタリアで55件(同じく中国が55件)3位がスペインで48件とトップクラスの両国です。特にイタリアは初めて行ったのが40年ほど昔、その旅行中にパスポートを盗難に遭うという悲劇(いや喜劇か)的事件がありまして、再発行されるまで長期滞在を余儀なくされました。それでイタリア各地をぶらぶら。。。(^^)/

(ほんとは日本領事館のあるミラノに滞在してなさい!と警察で言われたんですけどね。。。)それ以来、大好きなお国となりました。(いやほんとですよ~)

首都、ローマやヴェネチアも良いですが、トスカーナ地方(フィレンツェやピサもこの地域)がいいですね。映画の舞台はこのトスカーナ地方の世界遺産ヴェローナとシエナです。

映画のタイトルは「ジュリエットからの手紙」です。 (はい、例によってネタバレとなります)

ヴェローナには、英国の作家シェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」の舞台となったジュリエットの家があります。日本では「ロミオとジュリエット」として知られていますが、ジュリエット(Juliet)は英語で、イタリアではジュリエッタ(Giulietta)です。

イタリア語アルファベットにはJ5文字がないそうで、このあたり荒木飛呂彦先生の「ジョジョの奇妙な冒険」でイタリアを舞台とした第5部では「ジョジョ」「JOJO」が「GIOGIO」と表記されていました。。


 ↓ ヒロイン、ソフィはニューヨークの雑誌記者、今一ついい記事が書けないわーと悩んでいます。
 ↑ 編集長の評価も思わしくありません。。。

 ↑ 彼氏は気鋭のイタリアンシェフ、仕事熱心で新作パスタの研究に余念がありません。
二人で、本場イタリアのヴェローナに仕事を兼ねて旅行することに。

 ↑ ヴェローナの街中にはシンボルとなっている円形闘技場の他、多くの歴史的建造物があり、中世の街並みが残っていて、町全体が世界遺産として登録されています。アディジェ川沿いにあり、町並みと水の流れが調和した美しい場所です。
 ↑ 彼氏がホテルの窓からソフィアに「ロミオとジュリエット」の名場面をおどけて見せます。
・・・どうしてって言われても・・・それは親が名付けたからなんだよ~💦 

 ↑ヴェローナ市街地の中心部に位置する円形闘技場「アレーナ・ディ・ヴェローナ(Arena di verona)」、このアリーナは有名なローマのコロッセオと違って当時の姿がほぼ完全な形で残されていることから、歴史的価値が高いです。
街を散歩するソフィの前に観光スポット、ジュリエットの家が。ジュリエットの家の前庭にあるジュリエットの銅像こそ「恋のパワースポット」。恋の願いを叶える方法はちょっと恥ずかしいのですが、ジュリエットの胸に触るというもの💛
バルコニーは観光客のリクエストにより後付けだとか・・・。ロミオの家というのもあるそうですが。そっちはあまり人気がない。。

 ↓ ジュリエットの家の壁に世界中から恋の悩みを抱えた女性が、その悩みを書いた手紙を壁に貼り付けていくのです。
 ↑ それを片っ端から外していく女性が・・・
 ↓ 気になってその女性の後をつけるソフィ
 ↑ 理由を聞くと何とその人たちはボランティアでジュリエットの秘書だと!
そして悩める女性たち全員にお返事を書くのだと! その為の担当も決まっているのだと!

この部分、映画の作り話でなく本当なんです。いや驚きました~

対応言語はイタリア語に限らず、英語やドイツ語、そして日本語もOKだということで、世界各国から寄せられる恋の悩みに対応しています。

恋に悩んでいる方は、ジュリエットの秘書に相談してみてはいかがでしょうか?

そして何と現地まで行かなくても、ホームページでもしくは郵送で受け付けています~(^^)/

宛先:

Club di Giulietta

via Galileo Galilei, 3 – 37133 Verona, Italy

http://www.julietclub.com/en/contact-us.html


 ↑ ボランティアに興味を持ったソフィは、壁の奥から50年前の古い恋の相談レターを見つけます。そして差出人の英国人クレア・スミスに返事を書くことになったのです!

 ↓ すると英国からクレア・スミス本人が、お孫さんとやってきたではありませんか!
 当時、絵の勉強のためシエナにいて恋をした昔の恋人に会うために・・・
 これは記事になる感動のストーリーだとソフィはクレアの昔の恋人探しに協力を申し出ます。
 そして3人でかつての恋人ロレンツォを探す旅に出るのです。
(ソフィの彼氏はビジネスで忙しく別行動となりました・・・)
 ↑ こんな風景をドライブ ええなあ~
 ↓ でもなかなか見つかりません。同姓同名のロレンツォが次々出てくるのですが、そのキャラクターが皆、なかなかに笑えます('ω')
  ↑ 
世界遺産 シエナ歴史地区は、13世紀、トスカーナ地方の覇権を手中に収め、隣国のフィレンツェを凌ぐほど繁栄を極めた都市国家となりました。世界一美しいといわれるカンポ広場を中心に広がる町並みは、なだらかな緑の丘陵に調和して、時間がまるで静止したかのようです。
旅する中でソフィとクレアの孫息子チャーリーとの関係にも変化が💛

↓ 広場でジェラートなど食べながら、ふざけるシーンはあの名作「ローマの休日」に見られる恋人モードの定番シーンか!

 ↓ そしてあきらめかけた時、ついにその人は現れます!
しかし、馬に乗っての登場って・・・どうよ('ω')

 ↑ 二人は当時のことを思い出し・・・その後、何とめでたく結婚することに💛
 ↓ 彼氏とニューヨークに戻ったソフィの記事を読んだ編集長はこの恋物語を大絶賛!
 多くの女性がヴェローナに殺到するであろうから、アリタリア航空の株を買っておけ(^^)/

 ↓ ニューヨークにいるソフィにも結婚式の招待状が届いて、彼氏と別れたソフィはイタリアでの結婚式に一人出席することに。そしてチャーリーと再会します。
 
 ↓ 披露宴で初めてソフィが書いた、ジュリエットの秘書としての手紙の内容がクレアから披露されます。「その時、踏み切れなくてあきらめても、かつての真実は、今も真実。」・・・・ 

 ↓ さて、クレアはチャーリーにも彼女がいるとがっかりしていたのですが、それは彼のいとこで誤解でした。クライマックスはまたもやあのシーンで・・・

笑える!(^^)! 勇気づけられる、いい映画だと思います。ただ残念なことにこの映画のゲイリー・ウィニック監督は、この映画の撮影後に49歳の若さで亡くなってしまったそうなんです。他の作品も見たかったです。

(恋の)パワースポット 悩める女性 手紙 返事 ・・・ この辺りがキーワードなのですが、手紙の返事を書くのが、ボランティアという仕組みが・・・素晴らしい・・・と申しますか・・・ニセモノと申しますか・・ボランティアの皆さんゴメンナサイ🙇
なんやと~、ニセモノ呼ばわりするとは許せん!ならば本物とやらを見せてみんかい!とお怒りの皆様へ
 ↓ はい、見つけました!わが日本国で!世界遺産 高野山で

弘法大師 空海様が貴方様のお手紙を読んでくださいます。ゴゴゴゴゴ・・・(ジョジョの奇妙な冒険風)
ジュリエットはシェイクスピアによる物語での架空の人物です。
ご存じかと思いますが。弘法大師様は高野山奥の院でご存命でおられます。
どーです?これが本物と言わずして何が本物なのでございましょうか。
奥の院は撮影禁止の聖地ですので、ここでお見せできませんが、ちゃんと専用ポストもあるのです。(高野山で投函の場合)

お大師さまは今なお、高野山 奥之院で祈りをささげられています。

お大師さまは、あなたの胸のうちをお聞きくださいます。

お大師さまに あなたの悩み、苦しみ、楽しいこと、うれしいことをそっと聞いていただきましょう。

きっとお導きくださいます。


え?  返事はどーなる? いつ来る? ちゃんと弘法大師様のあの直筆なんだろーな!? えーおい、どーなんだ!・・・・えーとですね。。そこなんでございますが💦お手紙はお大師様にお読みいただくのですが・・・お返事はですね・・・・💦💦

届いた手紙は、特定僧侶が開封し、お大師さまにお届けします。
その後、手紙を読んで頂いたお大師さまに対して、感謝のお経をささげます。
また、あなたの願いが込められたお手紙は、お加持をさせて頂きます。
手紙は最終的にお焚き上げします。

以上で充分ではございませんか。お大師様のお力を得て自ら解決なさってくださいませ(^_-)-☆

無理やりオチを高野山までもっていきましたが、映画はイタリアのヴェローナの街角や、シエナを含むトスカーナ地方の風景が美しく描かれていておススメでございます。

映画で旅する世界遺産 第7回 中国 麗江古城2020年07月14日

映画のタイトルは「単騎、千里を走る」     (ネタバレです)

題名は『三国志演義』の関羽が一時仕えていた曹操のもとを出奔して旧主劉備にもとへ帰った故事小説『千里走単騎』からだそうで、映画では中国最古の仮面劇と言われている「儺戯(ノウシイ)」で演じられています。

監督は中国映画の巨匠、北京オリンピック開幕式の総指揮である張芸謀(チャン・イーモウ)日本部分の監督を降旗康男、そして主演が・・・はい、高倉健さんです(^^)/
高倉健は、映画のタイトルの如く、単身撮影に参加。約2ヶ月間に渡る撮影をこなしたそうですが、お相手となる中国人キャストは、張芸謀監督独特のキャスティング(ほぼ全てのキャストは地元の人々から選ばれた“素人”)によって決まっています。でもいわれなけらばわからない・・・

高倉健主演の「君よ憤怒の河を渡れ」は中国で累計8億人の観客を動員して空前の大ヒットとなったと聞いたことがあります。亡くなった時も中国側からの追悼が凄かったですよね。

 ↓ 北国で漁師をしている高田(高倉健)には、東京で民俗学を研究している息子・健一(中井貴一)が居ます。しかし、長年の確執があり疎遠になっていました。健一の妻・理恵(寺島しのぶ)から健一が病で倒れたと聞き、見舞いに行きます。

 ↑ しかし、見舞った高田に対して健一は会おうとしませんでした。
息子の命がもう長くないことを知り、やり切れぬ想いを抱く高田に理恵は、高田の心情を汲み、研究家としての健一の仕事ぶりを紹介したテレビ番組のビデオテープを渡します。 

 ↑ ビデオには、健一が中国の奥地・李村の民俗舞踊を紹介する様子が映し出されていました。そして健一が舞踊家・李加民(リー・ジャーミン)に語りかけるシーンが目が留まります。「来年、李さんの"千里走単騎"を撮りに来ます。」・・・
病の身となっては、果たされぬ約束です。高田は、いま自分に出来ること、それは、息子健一の約束を自分が代わりに果たすことだと考えます.。高田は、理恵にも内緒で独り、中国に行くことを決意します。
 ↓ 数日後、高田は単身、昆明空港から、ミャンマーの国境近くの中国・麗江市にやってきます。高田の手がかりは、李村に住む李加民という名前のみ。

 ↑ 屋根瓦が美しい そして背後の玉龍雪山は山国家重点風景名勝区。
ロープウェイやリフト、野外劇場なども整備されています。氷河公園までのロープウェイは、下部駅の標高3356mから氷河公園駅の標高 4,506mまで、標高差 1,150m、全長 2,968mのロープウェイが通じていて、ロープウェイで到達できる標高としては、ベネズエラに位置するメリダ山脈のロープウェイの 4,765mに次いで、世界2番目の高標高地点だそうです。おお~!
ミャンマーとの国境にあたる、中国雲南省・麗江は、古くから雲南とチベットを結ぶ交易路の拠点として栄え、旧市街地は“麗江古城”とも呼ばれ、芸術的な素朴さに満ち溢れた町並みは、世界文化遺産に登録されています。旧市街の建築物はほとんどは1~3階建ての木造瓦葺きであり、4000戸ほどの住居が密集しています。 

仏教や道教の仏像もあり、少数民族によって書かれた麗江壁画が残っていますが、この麗江の最大の特徴は、8世紀、現在の青海省付近から南下してきたと言われている少数民族ナシ族の「トンパ文字」かと思います。映画では残念ながら紹介されませんでした。。。

トンパ文字は現在、世界で唯一の「生きた象形文字」とされ2003年、ユネスコの世界記録遺産に登録されました。

ネット上で日本語 → トンパ文字変換サイトがありまして(^^♪

 自分の名前を変換した結果がコレ ↓ いかがですか?カワイイでしょ

 

 ↓ 通訳ガイドを雇います。そりゃ~そうでしょうね。

 ↓ ようやく村での撮影にこぎつけたのですが、李加民がいません!
 彼は事件を起こして刑務所に服役中だったのです。
 ↓ しかし高田は諦めません!中国の刑務所に面会と撮影許可を求めます。
 ↑ なかなか難しい!当たり前か・・・  ↓ それでも諦めません・・・
 ガイドの通訳能力が低いので、自らビデオに収まり、必死に訴えるのです!
 ↓ ついに責任者の心を動かします!
 ↑ これが中国の刑務所だ~!やってきました。
 ↓ ところが、李加民は泣き崩れてどうしても演技ができない・・・理由は残してきた子供に会いたいって・・・・ヲイヲイ。
 ↓ 諦めない親父 高田は今度は李加民の子供を連れにさらに奥地へと車を走らせます!
まるで、日光のいろは坂ではありませんか~!(^^)!
 ↑ やってきたのは「石鼓鎮」。
 ↓ 村では長老達が会議をします。そして加民の子供、楊楊(ヤンヤン)を連れ出していいよと許可をもらえるのです。
 ↓ そして日本からの客人に村人総出のこの歓待ぶり!いいシーンです。
 ↓ 子供と一緒に村を出発します。ここは「元謀土林」まるで、アメリカの世界遺産グランドキャニオンのよう。
こんなところで車のエンジントラブルが。そして事件は起こります。ヤンヤンが居なくなったのです。村からは捜索隊が。高田は残って捜索。ようやくヤンヤンを見つけました。 
 ↑ また立ち去ろうとするヤンヤン、慌てて追いかけると・・・実は💩でした・・・
 ↓ この映画で一番好きなシーンかも。。😁
多分、高田はヤンヤンと自分の息子、健一の幼い頃とを重ねています。。。
 ↑ 居なくなった理由。逃げ出した理由は、ヤンヤンにはまだ父親と会う心の準備ができていないのでした。そのことを知った高田は連れていくことを諦めます。
ヤンヤンと別れて去っていくシーンです。。。ありがちな映像ですが涙なしには見られません。
 ↓ 戻りの道中、理恵から健一が亡くなったことを知らされます。
そして健一は理恵から、父親が自分のために、自分の代わりに中国に行っていることを知らされて、死ぬ間際に手紙を書いていました。理恵はその内容を電話で伝えます。。。
背中で男の悲哀を表現できる役者・・・高倉健さん
 ↓ 再び刑務所に戻った高田は、撮影はもう結構です。その代わりに加民の子供の写真を見せたいと申し出ます。
 ↓ 💩 してるシーンも見せます・・・('ω')
感動した加民は、撮影を固辞する高田にそれでも、お礼にそして健一さんのためにも演武を見ていってほしいと言って踊るのでした。


私、専門学校の教員時代、「世界遺産」の授業でたまにこういった映画を学生たちに見せました。
一番人気が前回の「ジュリエットからの手紙」で、この「単騎、千里を走る」はあまり人気なかったんです~。まあ学生は20代の女性がほとんどで主演、高倉健とかいわれてもっ・・・てところはあるかもですが。
この映画、高倉健の晩年の作品として、そして中国の奥地の少数民族の美しい村と風景が個人的には大好きな作品ではあります。

麗江古城は世界遺産登録されてから観光客が激増、かなり様変わりしているといううわさも・・・

Jazz この1枚・この1曲 Because Of You (Jos Van Beest)2020年07月16日

今、音楽を聴くスタイルはネットワークオーディオで、Spotify が中心なのですが、LPレコードや、CDのアルバム単位で自分にとって思い出深いもの、好きなものをピックアップしておこうと思いまして。。。
 ↓ Because Of You (Jos Van Beest) です。
演奏メンバー:
Jos van Beest (piano), Evert J.Woud (bass), Rolf Breemer (drums)

曲目:
1. What Are You Doing The Rest Of Your Life
2. There's No Greater Love
3. The Shadow Of Your Smile
4. Because Of You
5. The Days Of Wine And Roses
6. Yours In My Heart Alone
7. In A Sentimental Mood
8. Blue Bossa In De Amsterdamse Grachten
9. Once I Loved
10. Michelle With Wave
11. Blues For Monty 
 
で、この1曲は What Are You Doing The Rest Of Your Life? です!

(Words by Alan & Marilyn Bergman / Music by Michel Legrand)

演奏はピアノトリオで、美しい旋律がそれはもうロマンティックに。。。

この名曲は多くのジャズマンにも取り上げられて演奏も多数ありますが、これが一番のお気に入りでございます。


歌詞もありまして次の通りです ↓


What are you doing the rest of your life?

North and south and east and west of your life?

I have only one request of your life
That you spend it all with me. 
  ←  く~っ たまらん!

All the seasons and the times of your days.

All the nickels and the dimes of your days.

Let the reasons and the rhymes of your days.

All begin and end with me.

I want to see your face,

In every kind of light,

In fields of gold and

Forests of the night;

And when you stand before

The candles on a cake.
Oh let me be the one to hear 

The silent wish you make.     ←  く~っ たまらん!

Those tomorrows waiting deep in your eyes

In the world of love you keep in your eyes,

Ill awaken what's asleep in your eyes,

It may take a kiss or two..

Through all of my life..

Summer, winter, spring and fall of my life,

All I ever will recall of my life
Is all of my life with you.    
 ←  く~っ たまらん!


で、このピアニストを発掘して日本に紹介、CDを発売されておられますのが大阪の澤野商会さんです。

初めて店舗をお訪ねしたときは、(噂には聞いていましたが・・・)衝撃でした!

何しろ本業は履物屋(下駄屋)さんなのです。。。 ↓

 ↑ ご本も出しておられます

まず、この下駄屋さんのレトロ感に感動します!CDは店内にちゃんと並べられていますので心配いりません。ご主人(澤野氏)にお勧めとか会話も交わしましたが、とても温厚な紳士かと。

ダウンロードして音楽聞くのが主流ではありますが。。。またいつか通天閣、新世界。澤野商会にCD購入行きますよ~(^^♪
このCDは、私にとって大切な方からいただいた、その時の思い出が詰まった特別な1枚でございます。

新・隠れ里紀行 天見~流谷2020年07月17日

白洲正子さんの名著「かくれ里」のパクリです。

私の住んでいる河内長野市はなかなか緑も多く、文化財も多く残っていていい所です。

今回は、河内長野市南部に位置します「天見」(南海高野線天見駅があります)方面行ってきました。和歌山県(橋本市)との境界に位置します。

山深い森の中であるにもかかわらず「天が見える」ところから「天見」という地名になったという説があります。 ↓ 隠れ里にふさわしい風景です(^^)/


国道371号線を河内長野から南下、「出合ノ辻」といういかにも曰くありげな交差点がありますが、そこは南北朝時代の古戦場で、1333(正慶2)の正月に、楠木正成が率いた南朝軍と北朝軍(紀州の御家人)とが、この辻で出くわして「安満見合戦」と呼ばれる壮絶な合戦が行われた場所なのだそうです。

河内長野方面からですとここを右折しますと、「流谷」という集落方向に向かいます。

左折しますと南海天見駅方向です。

流谷「ながれだに」・・これはなかなかに渋い名前ですよね~。くーったまらん!

 

 ↓ 八幡神社、通称「流谷八幡神社」(ながれたにはちまんじんじゃ)

この地にはかつて甲斐荘という京都の石清水八幡宮の荘園があったそうです。それで1039年(長暦3年)16日に石清水八幡宮より八幡神を勧請し、社殿を造営したことが神社創建の起源とされています。

境内にあるイチョウは樹齢400年とされ、大阪府から天然記念物に指定されています。秋にも来てみたいものです。

 ↓ 大イチョウ 今は紫陽花もきれいでした。

 ↑ 縄掛神事も行われています。1039年(長暦3年)石清水八幡宮より勧請された際の御柱渡御古例祭で長さ60mの注連縄を作り、勧請杉と柿の古木との間に掛けます。流谷と天見を分ける結界の意味があり疫病や忌穢れがお互い入り込まないようにします。また注連縄が長く保てば保つほど豊作になると伝わり、注連縄から12本(閏年は13本)の榊束を垂らします。毎年16日または前後の休日に執り行われています。


拝殿内に鉄製湯釜が展示されていました。毎年7月に行われる探湯祭の際に行われる湯立て神事にて利用されていたそうで、湯釜の銘文によると賢覚という僧侶が住民に寄付を募り、流谷八幡宮のため作られたことが記されていて、1340年(延元5年)作とされている製作時期が記された湯釜の中では、全国的にも特に古い年代のものだそうです。

 

今回、一番の目的は日本遺産に登録された「「葛城修験」~里人(さとびと)とともに守り伝える修験道はじまりの地~」における経塚の訪問です。葛城二十八宿は、役小角が法華経八巻二十八品を埋納したとされる経塚です。流谷には第16番経塚があります。

 ↑ え、こっちですか? みたいな所を歩きます。

 ↑ え、ここも登るんですか? みたいな所も登ります。さすが役行者さま。。。

 ↑ 【第十六番経塚】流谷の里 妙法蓮華経 如来寿量品でございます。

お近くにはもう一ヵ所、【第十七番経塚】天見不動 妙法蓮華経 分別功徳品もあるのですが、さらに登山が必要で今回はパスします💦


天見の歴史として、もう一つ興味深いのが隠れキリシタンに関することです。

河内長野は戦国時代、烏帽子形城城主の甲斐庄正治(かいしょうまさはる)がキリスト教の信者で、烏帽子形山の付近には300名ものキリシタン領民が住んでいたというキリシタンの町だったことがあります。1582年にイエズス会の宣教師がローマへ送った報告書に記されているそうです。その後、豊臣秀吉によるバテレン追放令により、キリシタン達は天見の山里に隠れ住んだそうです。当時、そこでも200名ほどの隠れキリシタンがいたそうで、天見の里は隠れキリシタンの里でした。


 ↓ この細い道を上に上がると薬師堂跡が。

流谷奥の薬師堂跡に破壊された十三仏碑があり、この石碑には「1653年(承応二年)十月十五日」の銘と共に「十三体の仏像」が浮彫にされています。さらに20名の信者名が彫られていますが、その中に「テウロ」や「シタニ」、「道金(ヨハキン)禅門」などキリシタンの洗礼名のような片仮名の名が見られるそうです。(残念ながら私には判別できませんでした)

 ↓ この石碑は隠れキリシタンのものではないかと推察されています。

この流谷エリア、飛鳥時代から続日本紀などに伝説的に語られる役行者の経塚と、戦国時代の隠れキリシタンの石碑が共存して残る、まさに長い歴史の中での隠れ里と言えるのではないでしょうか。

流谷から戻りまして「出合ノ辻」を反対方向に行きますと南海天見駅(無人)、ここで行き止まりと見えますが、実は道を下ると温泉旅館「南天苑」に続きます。

「南天苑」は明治・大正を代表する建築家・辰野金吾(代表作は東京駅)が手がけた建物です。

数寄屋造りの本館建物と、四季ごとに装いを変える日本庭園が素晴らしいです。
女将の山崎さんがインスタグラムで、その様子をこまめに発信していて素敵です♪

 ↓ 以前に訪問した時はなかったのですが、専用露天ぶろ付きの別館もオープンされていました。

客室も素敵です。

こちらの旅館も私にとって、大切な思い出のある場所の一つでございます。

Jazz この1曲・この2枚 My Back Pages2020年07月19日

ジャズの曲って基本的に何でもありです。ジャズ・ミュージシャンが作曲した有名曲も、もちろんいっぱいありますが、ほかのジャンルから持ってきたものもいっぱいあります。ミュージカルだの、クラシックだの、ポピュラーだの。

日本人ジャズ・ミュージシャンに至っては、日本の民謡まで取り込んだりしてます(‘ω’)

今回のアルバムは、キースジャレットの「Somewhere Before」、曲は「My Back Pages」です。

アルバム・タイトルは「昔・・どこかで」みたいな感じでしょうか。で、「My Back Pages」はボブ・ディランの曲です。

チャーリー・ヘイデンの重~い、重いベース・ソロから始まり、ピアノとドラムが加わっていくこのイントロが、く~、たまらん!そのピアノの旋律で、切ない青春の思い出が蘇ります。

最後に、拍手が聞こえてきますが、それでこの演奏がライブだということもわかります。

通常ライブならライブと、どこかにクレジットされているのですが、ジャケットには、いつどこそこでのライブとか全く記載はございませんし、ライナーノートには解説の最後に、初のライブアルバムとだけ記載がありました。

 

↓ アルバム・ジャケットもセピア色でノスタルジックで素敵です。 

収録曲は

1. My Back Pages

2. Pretty Ballad

3. Moving Soon

4. Somewhere Before

5. New Rag

6. A Moment For Tears

7. Pouts' Over (And The Day's Not Through)

8. Dedicated To You

9. Old Rag

全9曲のうち7曲がジャレットのオリジナルで、オリジナルでないのが、この「My Back Pages」と「Dedicated to You」の2曲です。 

で、元のボブ・ディランバージョンは「Another Side Of Bob Dylan」(1964年)というアルバムに収録されていまして、聴いてみたのですが、そっちの感想はというと、「う~む・・・・」でございます。

ボブ・ディランはご存じのように、2016年歌手として初めてノーベル文学賞を受賞しています!

これはなかなかスゴイことだと思っています。

ノーベル文学賞ですよ!つまり歌詞が優れていると! 

ボブ・ディランは「風に吹かれて」「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「見張塔からずっと」「天国への扉」などなど多数の楽曲により、1962年のレコードデビュー以来、半世紀以上にわたり多大な影響をミュージシャンにも、リスナーにも与えてまいりました。

ガロなるグループの『学生街の喫茶店』のフレーズ「学生でにぎやかなこの店のかたすみで聴いていたボブ・ディラン♪」というのがありましたが、あの頃(196070年代)の若者文化において、ボブ・ディランというアーティストの影響力はかなりあったと思います。

しかし、さすがノーベル文学賞、歌詞が・・・詩が難解です。。。(‘ω’)私には。。

 

My Back Pagesの歌詞です↓

 

Crimson flames tied through my ears

Rollin' high and mighty traps

Pounced with fire on flaming roads

Using ideas as my maps

"We'll meet on edges, soon," said I

Proud 'neath heated brow.

Ah, but I was so much older then,  ← ああ、けれど当時の私は老いぼれだった
I'm younger than that now.       今の方がずっと若い  (この繰り返し部分以外よくわからん)

 

Half-wracked prejudice leaped forth

"Rip down all hate," I screamed

Lies that life is black and white

Spoke from my skull. I dreamed

Romantic facts of musketeers

Foundationed deep, somehow.

Ah, but I was so much older then,

I'm younger than that now.

 

Girls' faces formed the forward path

From phony jealousy

To memorizing politics

Of ancient history

Flung down by corpse evangelists

Unthought of, though, somehow.

Ah, but I was so much older then,

I'm younger than that now.

 

A self-ordained professor's tongue

Too serious to fool

Spouted out that liberty

Is just equality in school

"Equality," I spoke the word

As if a wedding vow.

Ah, but I was so much older then,

I'm younger than that now.

 

In a soldier's stance, I aimed my hand

At the mongrel dogs who teach

Fearing not that I'd become my enemy

In the instant that I preach

My existence led by confusion boats

Mutiny from stern to bow.

Ah, but I was so much older then,

I'm younger than that now.

 

Yes, my God stood hard when abstract threats

Too noble to neglect

Deceived me into thinking

I had something to protect

Good and bad, I defined these terms

Quite clear, no doubt, somehow.

Ah, but I was so much older then,

I'm younger than that now.

 

あの頃自分はあんなことをした、あんなことを言ったり、考えたりしていた。あんな奴らもいたかな...と昔を振り返っていますが、リフレイン部分が「あの頃は俺も若造だったぜ」という言い方ではなくて、「あの頃よりも今の方がずっと若いぜ」となっていて、若いくせに成熟した考え方をしたり、行動していたかつての自分に対する反省?そして年寄り臭い分別めいた生き方は止めるぞ~、という意味なのか。う~む。。。

 

まあ、キース・ジャレットの方は歌詞などございませんので、美しいメロディを楽しむだけなのですが。

この曲はジャズ・ミュージシャンが取り上げて、ヴォーカルなしで演奏して、美しくなるような気が・・ディランさん、歌詞を無視してゴメンなさい!

なのでもう一枚、この曲「My Back Pages」が入っていて好きなLPレコードを。 

 太田邦夫クインテット「俺たちの青春」・・・なんという恥ずかしいタイトルでしょうか。

でも、これは「My Back Pages」の訳文みたいです。(昔、そんなテレビドラマもありました・・)

こちらでは、テナーサックスでメロディを歌い上げいて、ちょっと涙ぐみます。。。

烏帽子形城と河内長野のキリシタン遺跡2020年07月20日

NHK大河ドラマ「麒麟が来る」をずっと見ていたのですが、コロナの影響で現在放映中止、「麒麟が来るまでお待ちください」と言われても・・・(‘ω’)
で、NHK大河ドラマの再放送が「太平記」でございます。かなり昔の作品ですね。
吉岡英治原作、主人公は足利尊氏。尊氏の盟友でもあり、宿敵となる楠木正成。少し前の回で千早赤坂の戦いやってましたね。
今、私の住んでいる河内長野市ではゆかりの深い楠木正成を大河ドラマにキャンペーン実施中~!
楠木七城(くすのきしちじょう)は後醍醐天皇の呼び掛けに応じた、楠木正成が鎌倉幕府への抵抗の拠点とするために築城した城砦群で、現在の大阪府南河内郡千早赤阪村・富田林市・河内長野市にかけて城跡が残っています。
千早城・下赤坂城・小根田城(上赤坂城の一部)・桐山城(上赤坂城の一部)・烏帽子形城・龍泉寺城(嶽山城)・金胎寺城の七城で、烏帽子形城が河内長野市には残っており、国指定史跡です。

  ↑ 山上の曲輪と呼ばれる平坦部分の遺構です
 ↑ 遺構としては横堀、土塁、土橋などが発掘調査されています
 ↑ 国指定史跡になってから説明板を各所に整備したのだと思いますが、なかなか詳しい。

烏帽子形城はその後、城主として甲斐荘正治の時に、息子の正房をキリシタン大名の池田丹後守教正の娘と結婚させて、自身も洗礼を受けたそうです。又、同じく城主となった伊地智文大夫は、クリスチャンネームをパウロと言い、妻はキリシタン大名の高山右近の妻と姉妹で、三人の息子をキリスト教の学校で学ばせています。戦国時代の河内長野はこの様にキリシタンがあふれる状況(200~300人ぐらいの信者がいたそう)と、宣教師フロイスの「日本史」の中で書かれているそうです。

天正9年、宣教師ヴァリニャーニ巡察師が、アフリカ人を連れて、安土城で織田信長に謁見しています。信長は、黒人の彼に「弥助」と言う名前を与えて従者としました。
信長は安土城に向かう途中で「烏帽子形」を見たいと、河内長野にも立寄ったそうです(^^)/
本能寺の変で、弥助は信長の危機の際、勇猛果敢に戦い、最後は光秀に捕まりましたが、日本人じゃないから~との事で許されます。その後の行方は不明との事なのですが、このあたり山田芳裕の漫画「へうげもの」にも描かれていました。(謎多い本能寺の変、弥助は真犯人を目撃する!)

そしてなんとハリウッドが映画化したらしいではありませんか!いつ公開されるんだろう?
主演はマーベル・コミックの「ブラック・パンサー」の実写版で大人気を博したチャドウィック・ボーズマン。

外国人侍といえば、トム・クルーズと渡辺謙の「ラスト・サムライ」がありましたが、時代は幕末。
こちらは戦国時代。「ファースト・サムライ」ですねー!
「麒麟が来る」には登場するんだろーか?気になる(^^)/

やがて時代は変わり、秀吉によるバテレン追放令からキリシタン迫害に。
河内長野のキリシタンたちも隠れキリシタンとなり教えを守っていくことに。

烏帽子形城の北端の字端山の一角には、小字で「ヤソブ」と言う地名が残されているそうですが、この石像は烏帽子形城の北西に位置します大日寺の境内西側に残されています。
お地蔵さまのようですが、形はよく見られる舟形ではなく上部に丸みを帯びており、尊像もお顔が中央にあり、全体的に下に偏った感じがあります。また、錫杖は持っておられず、袈裟の形もあいまいな感じではっきりとはせず、手は胸で合掌されているのでは?という珍しい石仏です。昔は、この石仏を「ヤソ地蔵」と呼んだと言われています。

河内長野駅の東側には、石川が流れていて、対岸に十数年前まで新地と呼ばれた飲食店街がありました。現在は住宅地に姿を変えましたが、その北の外れ、諸越橋近くに河合寺川から石川に流れ込む鳴滝という小さな滝があります。今は、誰も気に留めない小さな滝ですが、古くから知られた滝だそうです。「成滝牛神の森 長野村鎮守」と記す文書があり、田植えの終わった後、お神酒を供えて祀ったと言う伝説も残されているそうです。
 ↑ すぐ側の住宅の横道を入り、山側斜面に見つけたお地蔵様。この先にマリア像を見つけたのですが、このお地蔵様もキリシタン遺跡なのでしょうか?お顔が微笑んでいるのが印象的です。
一石五輪塔の隣、裾に大きな花柄のレリーフ、花柄の上から手首にかけてロザリオが見える首の欠落した像が祀られています。(マリア像と思われます)
 ↑ なかなか衝撃的かと!
合掌の先も砕かれています。右手と手首が壊されていますが、キリシタンが迫害から逃れる為、そして信仰の本体を護る為に、わざと尊像を砕いたのではないかと考えられます。この像では指先は、祈りの組み手です。腹部の八弁の花は、アネモネと思われるそうです。
仏様の袈裟ですと波型なのでしょうが、こちらは衣の線が直線的です。これは、神父のガウンを見習ったものと考えられるそうです。
観光的な整備などは全くされておらず、山側斜面の藪の中で静かに佇んでおられます。そして隠れキリシタンの皆さんは新・隠れ里紀行 天見~流谷でご紹介した「流谷」にも移り住み、ひたすらに信仰を守られたのでしょう。。

新・隠れ里紀行 かつらぎ町大字東谷「堀越観音」2020年07月23日

白洲正子さんの名著「かくれ里」、そのコンテンツの一つに「滝の畑」があります。白洲さんが高名な考古学者、末永雅雄先生の自宅、大阪狭山市を訪ねます。その時、末永先生から狭山から南に入った山奥に、北条氏直が隠れ住んだ村があり、本当の「かくれ里」だから行ってごらんと勧められます。それが「滝の畑」(河内長野市滝畑)で白洲さんはまず、河内長野の天野山金剛寺に行き「日月山水図屏風」を見てから、滝の畑の集落へと向かいます。そこから見た風景があの「日月山水図屏風」にそっくりでここから描いたものであろうと書かれています。

 ↑ 「日月山水図屏風」 作者不明 (上:右隻・下:左隻)

室町時代紙本著色六曲一双147.0×313.5cm, 重要文化財天野山金剛寺蔵


白洲さんはとにかくこの絵がお好きで、お帰りに再び天野山金剛寺に立ち寄ったとのこと。お好きな理由として、「日月を配したのは、礼拝するための宗教画であったことを示しているが、その原型は山越しの弥陀とか、聖衆来迎の図に求められるであろう。現実に仏を描くことをさけ、日月山水で暗示するにとどめたのは、一つの発展であるとともに、自然崇拝の昔の姿に還ったといえるかも知れない。。。」(かくれ里から抜粋) 

 

そんなかくれ里「滝畑」から、私はさらに車を走らせます。白洲さんも訪れた「光滝寺」も過ぎて「光滝キャンプ場」、たいていの観光客はこのキャンプ場が目的です。が、さらに道は続くのでございます。。。

「光滝寺」のあたりからもし対向車が来たらいったいどーしよう💦な道なのですが、今回1台もすれ違うことなく、昼なお鬱蒼とした道を和歌山県に向かって走ります。

 

そして到着した集落が東谷。


「堀越観音」は正式名称「堀越癪観音」。お寺は、向井家が先祖代々祀っている世襲寺で、境内には、樹齢200年以上と推定される和歌山県指定の天然記念物のさざんかがあります。


癪」(しゃく)ですが、時代劇テレビ番組など見ていると、劇中突然、女性が脇腹をおさえつつ「持病の癪が、、あああ・・・」 とか言いつつ痛みをこらえる場面がよく出てきます。 この「癪」とは、胸や腹のあたりに起こる、激痛の総称で胃痛、生理痛、胆石症、盲腸などから来る腹痛すべてが「癪」と呼ばれるそうです。きっと昔は(いや今も)「陀羅尼助」なんかで治すのでしょう(^^)/

お寺の本尊は修験道の開祖・役行者が、母の癪を治そうと心込めて彫った十一面観音像(秘仏)。


 ↑ 本堂の上には観音堂があり、役小角の像を祀っています。

 ↓ どう見ても弘法大師空海様にしか見えないのですが、役行者だそう。。。う~む。


参道や境内、公園などで植えられているキリシマツツジは約50年前、向井住職と奥様が植栽されたそうです。 ↓ 今は紫陽花も美しい。 


堀越観音のお隣です。こんなところにぽつんと一軒家レストラン!「鳥唄山馨」(トリウタイヤマカオル)は2018630日にオープンだそうで、160年の古民家を改装したという店内は非常に雰囲気があります。

メニューはカレー。私はアイスコーヒーだけいただきました。 

 ↓ 和歌山のタウン情報紙、Lism に紹介されていました。


近くの展望台から… 晴れた日には、眼下に絶景が広がります。と、かつらぎ町の観光案内に書いてあったので、このレストランの横道から、約1㎞とあり、登ってみました。
が、これは失敗でした。ようやくたどり着いた展望台、この季節、雑木が生い茂り全く展望がございませんでした。。。

さらに和歌山側に車を走らせます。この東谷に、平、滝、広口の四つの村を総称して四郷(しごう)といいますが、400年の昔から串柿(お正月飾り)の特産地として、現在に引き継がれています。
JA紀北かわかみによるとこの4地区で、約6万本の串柿を出荷しているそうです。
10月になって秋が深まり、串柿作りが始まると農家の軒先や周囲の柿場(干場)に柿の玉のれんが一斉に吊るされ山里は柿一色に染まります。この風景を写真愛好家が撮影に訪れますが、私も~  (昨年11月撮影です) ↓ 季節外れですみません
串柿は1本の竹串に10個の柿が刺され、2個、6個、2個の順に分かれ、「いつもニコニコ(2個2個)仲むつまじく(中六つ)共に白髪の生えるまで」という願いが掛けられていというのは知りませんでした。最近では、小さい鏡餅を置く家庭に、5個の串柿も生産しているそうです。

のどかな山里からは紀の川の清流を眼下に国道24号沿いの町並みを見渡して、はるか雨引山、龍門山、高野山、大峰山を遠望できます。

キトラ古墳壁画公開と国営飛鳥歴史公園キトラ地区に行ってきました2020年07月30日

奈良県明日香村の高松塚古墳(特別史跡、7世紀末~8世紀初め)の極彩色壁画(国宝)の修理が完了したそうです。国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開(第30回)に、申し込んだのですが抽選外れました(-“-)

「飛鳥美人」(西壁女子群像)などで知られる壁画は1972年に発見されて、「戦後最大の考古学的発見」と話題になりました。私、「飛鳥美人」を図案化した切手なんかも持ってます(^^)/

この壁画のカビなどによる劣化は2004年に判明。壁画の描かれた石室ごと解体して古墳の外に取り出し、2007年から約13年間に及ぶ修理を続けるという異例の展開をたどりました。

実は2010年(第6回)と2011年(第7回)の文化庁主催による公開に行ったことがあります。

まず当局(文化庁)の方から、いかに保存が困難であり、大切であるかというようなレクチャーを受け、(いや・・・その前の発掘管理がまずかったんでしょ~が!作業員が不注意から壁画を傷つけたことも隠してたでしょ・・1300年間、状態を保たれていたのに、国が管理し始めてから30年余で傷つけてしまったやんかーと皆、心の中で思っている。。)その後、実物を見せていただいたのですが、カビによる破損のすさまじさ~!正直これは酷いと思ったのが印象に残っています。どれだけ修復できたのか見たかったのですが。。。


高松塚から10年後、同じ明日香村で発見されたキトラ古墳壁画公開(第16回)の抽選は当たりましたので行ってきました。こちらの壁画修理は平成28年に完了しています。ともに飛鳥時代の壁画であり、古からの中国大陸や朝鮮半島との交流を今に伝える遺産です。

 ↓ パンフレット

キトラ古墳では高松塚での反省を踏まえ、壁画を石室からはぎとって保存処理。

4年ぐらい前には古墳そばにキトラ古墳壁画体験館四神の館という管理施設ができて、周辺も整備されています。 ↓ なかなかいい感じ

 ↓ コロナ対策を施しつつ開催されてます(~8月16日まで)

抽選は終わってますが、当日、飛び込みで行ける可能性あります。

 ↑ 地下の常設展ではキトラ古墳についての展示やシアターがあります。

高松塚古墳が飛鳥美人で有名ならば、キトラ古墳は精緻な天文図が凄いのでは?!

公開は1階の作業室・展示室となりますが、間隔をあけながら入室します。(1回につき10名ぐらいかな)

で、展示はどうなんだ?見えるのか?と聞かれますと、、、なかなかに微妙でございます。。。💦

 ↑ 今回の目玉はこの朱雀、パンフレットのコピーですがまあこんな感じでで見えますよ(^^)/

 ↓ ちょっと目視が厳しいのがこちら(左)青龍は口から赤い舌が見えるのが限界

 (右)十二支の寅 ・・・ こんなには見えません! 赤い襟のV字型が見える程度です。

他に出土した金具や棺材、装飾品と思われる琥珀玉やガラス玉など展示があります。

壁画は国宝、出土品は重要文化財の指定を受けています。


↓ 歩いてすぐ。キトラ古墳も整備されていて美しい。

7世紀末~8世紀初め頃に造られたと推測されていますが、この頃の古墳は終末期古墳と呼ばれ、古墳時代前期の巨大な前方後円墳から円墳や方墳へと形が変わり、古墳そのものも小さくなる時代です。

さらに少し歩いて、史跡檜隈寺跡地にも行ってきました。第15代応神天皇の時代に渡来した、いわゆる渡来人、阿智使主の居住地跡で、東漢氏の氏寺とされるお寺でしたが、跡地には於美阿志神社が建っています。

檜隈寺は発掘調査によって、金堂・講堂とその基壇・塔・門・回廊・仏堂などが検出されています。伽藍配置は塔の北に講堂があり、南に金堂を置くという独特な配置で、瓦積基壇という工法は、朝鮮半島の寺院で多く用いられているそうです。大量の瓦が出土して、講堂の規模は飛鳥寺や法隆寺西院の講堂に匹敵すると言われています。渡来人大活躍!キトラ古墳や高松塚古墳の壁画絵師、築造にかかわった人物も渡来人なのでしょう。

キトラ古墳が誰の古墳か?というのは不明です。天武天皇の皇子である高市皇子、古墳周辺一帯が「阿部山」という地名であることから右大臣の阿部御主人などの人物説が有力ですが、あるいは被葬者も渡来人のかなり偉い人なのではないかと・・・・

 ↓ 境内には平安時代の十三重石塔(上部欠損あり)があります。

昔、奈良まほろばソムリエ検定のフィールドワークで、この辺り歩いたこと覚えています(^^♪ あの日も暑かった。

その頃はまだ、飛鳥歴史公園、整備されていなかったのですが、ずいぶん変わりました。


以前行った、高松塚古墳壁画修理作業室の公開の際、同行者に買ってもらったマウスパットがマイ宝物となりました。 ↓ これは玄武 もうひとつ朱雀も持っています(^^♪

次回、高松塚古墳壁画修理作業室の公開、また抽選応募するつもりです!

新・隠れ里紀行 明日香村尾曽2020年07月31日

相変わらず、新型コロナウイルスが猛威を振るう中、政府の「GoToトラベルキャンペーン」や各自治体独自の観光業者救済キャンペーンが実施中です。その是非に関しても様々な方々が、様々な意見を述べられておられますが、実際、観光事業者が壊滅的危機なのは悲しいことです。
日常の足となる交通機関はともかく、バスでも観光バス(事業者)、旅行会社、ランドオペレーター、添乗員、ガイド、観光地の宿泊事業者、お土産物屋さんなどなど。。。つまりは非日常(観光のための旅行)を対象にビジネスを営まれている事業者が特にキツイということですね。
私、以前専門学校で旅行ビジネスの授業をして、学生たちに「観光産業は平和産業、戦争にでもならない限り大丈夫。平和主義国家日本は大丈夫」などとお気楽なことを言っていたのですが、この時代にまさか「疫病」でアウトになるとは想像していませんでした。。。いつかワクチンが開発されて、治療法が確立するまでは当分、生活様式と旅行自体の変革を受け入れなければならないのでしょう。
そんな中、私の旅のスタイルです。① 個人旅行(主に自分だけ・・) ② 移動手段は歩き、原付バイクまたは自家用車利用(つまり近場ですね) ③ 行先はあまり知られていない場所が多い・・・と申しますか行きたい場所がそんな所が多いだけ ④ 平日に日帰りで行く
特にポイントは③でして、例えば日本遺産に登録された、役行者ゆかりの二十八宿など、経塚は大抵険しい山の中であり、これまでに山中で蛇とは何回か遭遇しましたが、人と出会ったこと皆無です~💦
今回のブログの写真も、人が全く写っていない😅

今回は、飛鳥の「隠れ里」行ってきました。この「隠れ里」といういい方ですがそれだけで、もう誰も居ない感、満載でしょ(^_-)-☆
以前、車で何回か前を通過して気にはなっていました。この看板 ↓
明日香村から、談山神社方向に抜ける155号線です。
看板に大和の「隠れ寺」とあるではりませんか!いや、まて〰️「隠れ○○」ってこの先○㎞とかアピールするものなのか?
地域は尾曽(おおそ)です。この橋を渡るとその集落なのでしょう。とりあえずお寺を目指します。
 途中にある表示です。↑道はかなり狭いですがまあこれぐらいなら普通車、何とか通れます。
到着しました!金かめ乗合交通の停留所がありますがこちらは、タクシー車両(ジャンボタクシー)を利用して、事前に予約をされた方々の自宅近く(最寄りの循環バス停留所及び各大字の集会所等)まで迎えに行き、指定の目的地(役場や健康福祉センター、医療機関等)まで運行する「予約制の乗合タクシー」システムです。赤かめバスは周遊型。お寺の奥に駐車場があるとわからずこの付近に車を停車して歩きました。
 ↑ 真言宗豊山派のお寺です。
 ↑ (写真上)山門、入るとすぐ左に地域の集会場の建物も。
(写真中)本堂と弘法大師像 仏像毘沙門天は秘仏で年1回、4月10日公開だそうですが、秘仏ならば、入り口看板に「毘沙門さんで知られる・・・」とのアピールはいかがなものかと('ω')だって、拝観を楽しみにやって来て、がっかりするではありませんか。
(写真下)鐘楼・・・突いてみたい!(^^)! きっと山中にいい響きが・・・
 ↑ 境内には樽を利用したお堂がいくつも。このようなスタイルのお堂は初見です!なかなかアートです。
 ↑ 明日香は水の都とも呼ばれます。。だからでしょうか?鯉のようなお魚に乗られた魚濫観音様も。
 ↑ そして気づかなかった駐車場のさらに奥には四国霊場のお砂踏み道場があります。
これが新しい造作とは思いますが、四国をかたどって、大変丁寧に作られており、感動です。
そしてここからの明日香村の眺めが素晴らしいです。
 ↑ 今回はこれ以上進みませんでしたが、さらに古道が続いているようです。
 ↑ 集落からの遠望です。明日香村、橿原、畝傍山、二上山。素晴らしい!
 ↑ お寺はかなり真言宗、空海様への師事が感じられますが、この石碑によれば、古代明日香村での政争でなくなった豪族への鎮魂を祈念しておられるようでございます。

明日香村、日本の原風景が残る地域。今回さらにその奥の山上の集落を訪問したわけですが、突然ですが、ここで「隠れ里」って何なのか定義しておきたいと思います(-"-)
Wikipediaによりますと「隠れ里(かくれざと)とは日本の民話、伝説にみられる一種の仙郷で、山奥や洞窟を抜けた先などにあると考えられた。「隠れ世」などの呼称もある」だそうです。
私的には ① 山奥や渓谷がいいですね。(海辺で隠れるのはなかなか難しいかも) ② 集落の人口は少なめ(数十戸まで)老人多めというか現実的にそれしかない ③ 住民はインターネットどころかテレビも微妙(いやそれはないか) ④ 住民の生業は農業又は林業、ハンター、但し都会から隠居してきて、芸術活動またはおしゃれな飲食店経営などはオーケー😁 ⑤ 集落の存在をアピールしない・・ってそれでは飲食店経営が難しいかも ⑥ 平家やその他戦で敗れた人の落ち武者伝説があればとても良い(^^)/ ⑦ 縄掛け神事などで、疫病や悪いものの侵入を防ぎたい ⑧ 地域独自の奇祭や、奇妙な風習がある 
そんな感じで勝手な定義をしてみました~。

明日香村は自宅からそんなに遠くないこともあって、よく訪れています。今でこそ日本の原風景が残る村ではありますが、かつての我が国の首都!万葉集の地でもあり遺跡や古墳もいっぱいです。今回、尾曽を訪問したついでに稲渕地区、飛鳥川にひっそりと残る飛び石に立ち寄ってきました。かつて万葉集に詠まれた飛び石です。懐かしい・・・!
 ↓ 15号線側から降ります。反対側からですと車の駐車スペースに困ります💦
 「飛鳥川 明日も渡らむ石橋の 遠き心は想ほえむかも」
(明日も私はこの石橋を渡り、あなたのもとへ向かうでしょう。その想いはこの石橋のように離れずあなたの心の傍にあるのです)
く~っ たまらん💓
 ↑ このところの雨でけっこう増水してまして、濡れてしまいましたが(^^♪