宝来山神社 茅の輪くぐりの季節に思う ― 2020年06月20日
朝の神社は実に清々しく、気持ちの良い空間と時間を提供して下さり大好きですね。
和歌山県伊都郡かつらぎ町に鎮座されます、宝来山神社に参拝して参りました。
神社の南側に紀の川の清流が流れ、西側は万葉集に15首も詠まれている妹山、背山を望む風光明媚な高台にあります。
創建は宝亀4年(773年)和気清麻呂が八幡宮を勧請し、八幡山と呼ばれたのが始まりとされています。本殿四社は一間社春日造で重要文化財に指定されているほか、中世に神社が鎮座する紀伊国桛田荘(かせだのしょう)は平安時代の末期頃までは京都の蓮華王院(三十三間堂)の管轄地でした。しかし寿永2年(1183)に後白河法皇が神護寺(京都)へ寄進。それ以来、京都神護寺の荘園領地となり、その頃の景観を描いたとされる二枚の絵図(宝来山神社蔵と京都の神護寺蔵)も重要文化財で、中学、高校の教科書に取り上げられています。(絵図は和歌山県立博物館に寄託、拝殿にレプリカを掲げています。)荘園の範囲は紀ノ川と穴伏川に挟まれた一帯です。
神社に隣接して、神宮寺である神願寺があります。鎌倉時代には荒廃したのですが、そこに神護寺の復興に尽力した文覚上人が、熊野からの帰りにこの地を訪れ、再興したそうです。
↑ 真言宗 弘法大師様の像も建てられています
神社の御祭神は、八幡大神・菅原大神・大山祗大神・猿田彦大神の四柱に素盞鳴大神・大国主大神・蛭子大神・少彦名大神・ 稲荷大神・市杵島姫大神を祀ります。
12月31日の年越の祓と対になる神事です。この2つの神事をあわせて「大祓(おおはらえ)」と呼ぶそうで、大祓の初見は、『古事記』仲哀天皇の段にあります。どちらも災厄を祓い清める儀式です。
↑ 宝来山神社も6月30日に行われます。今年はとにかくコロナウイルス退散です!
古来日本では、夏を迎えるこの時期、疫病が流行ることが多かったため、厄払いと無病息災のため、茅の輪くぐりが執り行われるようになったと考えられています。
茅の輪くぐりのくぐり方は、神拝詞(となえことば)を唱えながら、8の字に3度くぐり抜けるのが一般的です。
神拝詞は声に出さずに唱えますが、代表的なものは以下のようなものです。(地域や各神社で異なる)
「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ」
(はらへたまへ きよめたまへ まもりたまへ さきはえたまへ)
茅の輪の茅を引き抜いてはいけないという作法があります。
昔は、この茅を持ち帰ることがお守りになるという迷信がありましたが、現在では茅の輪の茅はたくさんの人の厄を持っているもので、それを持って帰ることは災厄を持って帰ることと考えられています。
宝来山神社では茅の輪の準備はまだでしたが ↑ こちらは丹生都比売神社の様子です
民間信仰・神話では、茅の輪は素戔嗚尊(または牛頭天王)から授かった小さなお守りでした。
牛頭天王は京都・八坂神社の祭神であり、祇園祭の行われる7月には「蘇民将来子孫也」と記した「厄除粽(ちまき)」が、夏越祭では小さな茅の輪のお守り「茅之輪守」が授与されます。
八坂神社でも6月30日に境内に大茅の輪が設置されます。
京都祇園祭は869年、疫病流行を受けた御霊会を起源に始まりましたが、今年は山鉾巡行を取りやめる決定がすでになされています。取りやめは、阪急電鉄の地下工事により中止された1962年以来58年ぶり。感染症との関わりについては、コレラが流行した明治時代に秋に延期したり、5月に実施したりしたこともあったそうですが、本当に残念ではあります。
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