役行者ゆかりの地が日本遺産に2020年06月19日

もうずいぶん前のことですが、奈良県大峯山の登山口、洞川温泉を旅した時から役行者という人物に興味を持ちまして、最近になってまたゆかりの地など訪ねていました。

本日2020619日付で文化庁から日本遺産の発表があって、その中に和歌山市から奈良県に連なる和泉山脈の『「葛城修験」 里人とともに守り伝える修験道はじまりの地』が含まれていました!おおー!


ストーリーの概要 ↓ (報道発表より)

和歌山~大阪~奈良の境に聳える葛城の峰々。修験道の開祖と言われる役行者がはじめて修行を積んだこの地は、世界遺産の吉野・大峯と並ぶ「修験の二大聖地」と称されています。この地には、役行者が法華経を1品ずつ埋納したという28の経塚があり、今も修験者たちは、その経塚や縁の寺社、滝や巨石を巡ります。そしてその修行にはいつの時代も、この地に暮らす人々との深いつながりがありました。

修験者や地域の人々が大切にしてきた聖地「葛城修験」――修験道の歴史は、ここから始まりました。 


その登録資産となった、和歌山県橋本市の「小峯寺(おみねじ)」に先日行ってきたばかりでした~

(前回ブログ 不動山の巨石 訪問日と同じ日)

 

「寶雲山(ほううんざん)小峯寺」は、延宝6年(1678)に鋳造された梵鐘の銘文に「小峯山は奈良時代、役行者が滞在し、修練したところで、小峯寺はこのときに始まる」、また「山は五色の霧が立ちこめることから、山号を寶雲山、小峯寺の名は修験道の霊場・大和国大峯山に対比していう」という意味の文が記されています。

大峯山に対して小峯。ほ~、ふむふむ。そうだったんだ。

3月の初めには、昔ながらの修験者の儀式が行われていて、大護摩祈祷が山伏とともに営まれ、その護摩を焚いた灰の上を、素足で火渡りも行うそうです。

二實修験道、葛城根本道場としての役目のあるお寺です。これは一度見学せねば!


 ↑小峯寺宝篋印塔(市指定文化財・地上高 180Cm)

南北朝時代後期の天授五年(南朝年号 1379年)の紀年銘を有する貴重な宝篋印塔です。全体的に見てバランスが良く美しいではないですか~。

相輪は下から、やや背の高い伏鉢・単弁請花・九輪・単弁請花・宝珠で完存しています。


紀の川流域では他に、かつらぎ町下天野にある、あの西行法師、妻・娘 宝篋印塔(南北朝時代後期、県指定文化財)がなかなか素晴らしいですね。

 

宝篋印塔墓塔とは、供養塔などに使われる仏塔の一種で、五輪塔とともに、石造の遺品が多いようです。

宝篋とは、宝の箱または宝を入れる籠を意味し、印は、価値の高いことを意味します。

宝篋印陀羅尼を納めた塔を、宝篋印塔と言います。

私、仏像って大好きなのですが、なかなかお写真撮らせていただけませんよね。

その点、屋外・野にある石像・摩崖仏・石仏・狛犬・宝篋印塔・宝塔・多宝塔・五輪塔・石碑などなど石の造作物は、写真撮影できますのでこれまた好きなんですよ~(^^)/


葛城修験「葛城修験二十八宿」は、役行者が法華経八巻二十八品を埋納したとされる経塚です。

経塚の形は、自然石、石祠、五輪塔などまちまちみたいですし、長い歳月の中で不明確になった経塚も多いそうですが。。

高野~熊野~吉野の総本山が連なる山岳宗教の最高峰、紀伊半島中に在る由緒ある修験の道。まだあまり一般に知られてはいないと思いますが、和歌山市の友ヶ島(加太の沖合の島です。近年、天空の城ラピュタのイメージで人気になりました)を一番経塚として出発して、和泉山脈に沿って二十八ヶ所の経塚を全国の修験者の皆様が訪ね巡っています。

「日本遺産登録」、おめでとー!😆⤴️